しょうちゃんの繰り言


見る人が見れば

民主主義の原則は多数決の原理に基づいている。人口がある程度の規模の国になると全員参加であらゆる物事を決めるのは現実的ではない。日本のような億単位の人口だと直接国民投票で決める案件は限られてくる。市町村から県・国の政治に直接参加するのは我々が選んだ代表で、彼らが選挙民の代議員として、それぞれの役目を果たしてくれている。従って選挙はどの種類の代議員を選ぶのであれ、民主主義の大事な根幹を成すもので慎重に判断されるべきだ。英国には「国民は自分のレヴェル以上の政治家を選べない」という言葉(格言?)がある。原文では確か「政治家」ではなく「内閣(Cabinet)となっていたと記憶している。言われてみればその通りだろう。

我々一般市民は、県政・都政や国政のことを毎日熱心に観察しているわけではない。何か問題が発生した時それぞれの思いをごく近しい友人・知人と語り合うだけだ。積極的な人は新聞や雑誌に自分の意見を投稿するかもしれない。だが採用されるのはごく少数だろう。特に自分が選んだ代議員や知事が何か不祥事を起こした時、その怒りは頂点に達する。

あらゆる種類のスキャンダルを反対派やマスコミは探してきて、道半ばで辞めていった大臣や知事・代議員なら過去幾らでもいる。例の口の悪い友人の「政治家は女と金に関する不祥事は不問にしないと補欠選挙という無駄なコストが掛かってしようがないぞ」と言う皮肉なコメントも、最近ではさほど馬鹿げた発言だと思わなくなってきた。

彼は常日頃「投資に掛かった金を取り戻そうとするのは人の常で、選挙で金が掛かる現実をそのままにしておいたら議員と雖もコストを回収しようとするのは当然ではないか」と嘯いている。つい最近でも地方議会で政治活動費のごまかしが暴かれ,何人かが辞めることになった。その手口の幼稚さに笑ってしまったが、与党も野党も仲良く其の中に入っていた。

東京では知名度が高くなければ知事選挙では勝てないという現実がある。マスコミは面白おかしくそれを「人気投票」と呼んでいる。選挙が人気投票になるのは当たり前のことで、マスコミがやるべきことはその「人気者」の本質を判断材料として投票前に一般市民に知らせることではないだろうか。

かつて友人は語っていた。

「大臣や知事を全て有能な人間がやっていると思うのは幻想にしか過ぎない。政界と雖も有能な人間は限られるだろう。与党も野党も親の地盤を引き継いで代議士になっている例なら幾らでもある。大半は存在感の無い二代目に過ぎないが、それでも親を凌ぐ能力を発揮している人はいる。民主党が政権を取った時、彼らはイギリスを訪ね議会制民主主義の原点を学んで来たと国民に報告している。かの国では規則上親の地盤を引き継ぐことは出来ない。選挙に出る自由は認められているが、二代目は他の選挙区から出るしかない。それに、選挙に出るにはそれぞれの地方で各政党が選別した上で候補として認めることになっている。また、かつて買収の多かった選挙を正すため彼らは買収した方だけを罰し、金を貰った方は不問にした。それだけのルールの新設で選挙での買収は無くなったという。市議レヴェルは無報酬で議会は夜開かれている。働きながら市議を務めることが出来る様にした知恵だ。こういうことを真似すれば民主党も国民の支持を増やせたと思うが、彼らは肝心なことを学んでこなかったようだね」

さらに最近では、

「属する党の中で、周りに敵を作った人間は選挙民の支持が最後の拠り所で、劇場型の政治にならざるを得ないだろう。“Sekoi(せこい)”という言葉を世界に流行らせた前知事はその典型で、今となればあんな男をなぜ“総理にしたい”と思ったのか後悔している選挙民は多いと思う。自民党が政権を失った時“この党の役目は終わった”と言って彼は飛び出し新しい党を創った。時の総裁が“戻ってくれ”と頼んだら“自分を総裁にするなら戻ってもいい”と応え、結果として党からの離脱ではなく一番厳しい処分である“除名”になっている。自民党は前都知事選で究極の選択として彼を推薦はしたが、本気で応援した自民党議員は誰も居なかった筈だ。

現東京知事も前知事と同様に古巣の政党では自分の居場所が無くなり、彼女は様々な手法で“被害者”を演出した挙句、都民に選ばれた。当選したから古巣も受け入れているだけで、あざとく権力者にすり寄り自分がのし上がるため利用してきた過去の経緯を党内では誰でも知っている。民間では30年以上前からやっていた“エコ対応”として夏場の上着なしでのノーネクタイ運動や、横浜市で同様に既に実践していた事をあたかも自分が始めたかの如く“クール・ビズ”として宣伝している。俺は彼女を全く評価してないが、怪我の功名ということもあるからお手並み拝見で、今はただ見ているだけだね」

と語っていた。

地盤も金も無かった女性が政界の表舞台にのし上がるには、それなりの努力があったと評価すべきだろうが、現都知事も最近野党の党首に選ばれた女性もテレビという媒体で充分な知名度はあった。彼女らに共通するのは短い言葉で端的に反撃出来る能力だ。当たり前のことだが、この対応能力を磨かなければ時間の限られたテレビ番組ではキャスターとして使って貰えない。さらに二人に共通するのは強烈な「上昇志向」という個人的野心だ。この性向を否定していたのでは政治家のなり手は居なくなるだろうが、あまりにあざといと鼻につく。友人が指摘しているのは過去における女性知事の節目ふしめでの身の処し方に疑問を持ったからだろう。「それらしく振舞うことで票は取れる」という彼の言葉を私は無視することが出来ない。

彼女たちは友人が指摘するように要所要所で“それらしく振舞って”いた。政治信条から出た振る舞いなら理解出来ても、その発言には深みも一貫した主張も大して無かった。特に女性知事の場合、かつての同僚国会議員の応援は一切無い。選挙で応援したのは比例代表で当選していた新人代議士一人だった。高い政治理念があって所属する党の中で孤高を保ったのであれば理解出来なくもないが、この御両人の女性にはそれを感じることはない。唯一の味方は彼女たちに投票してくれた選挙民だけだ。

仲間や養う子分が居なければ余計な金策はしなくて済む。女性であるが故に大臣への道もすぐに開けた。女性や文人は概して利権にもあまり関係がない。利権に関係ないから既存の勢力を“ブラック”と決めつけて具体的根拠が無くても選挙民を味方に付けて攻撃は出来る。現実社会は色々なしがらみの中で営まれていて、時として四角四面の判断では収まり切れないこともある。同僚や政敵、さらに部下として仕えてくれる役人に対してもその配慮が出来る人を、日本では有能な指導者としてきた。個人的な利害さえ絡まなければ政治の世界ではこの器の大きさは大事な指導者としての資質だ。

果たして時代をリードしている様に見える御二人に、この器は備わっているのだろうか。「都民第一」という表現は尤もらしく聞こえても、全ての都民の声を聞いて彼らを満足させることは不可能だ。都議会と都職員の協力なくしては都知事のリーダー・シップも示すことは出来ないだろう。自分だけが正しいという発想では「役人は馬鹿です」と言った民主党の党首とその精神構造は変わらず、成果を期待するのは無理だ。都知事選に出馬した際、「都議会を解散します」と都民に宣告したことを都議は決して忘れてないだろう。首都東京の巨大行政組織を効率良く運営するには都議会・都職員のサポートは絶対不可欠だとだけ述べておこう。

友人がいつも主張しているように、民主主義はコストの掛かる効率の悪い制度だが、今のとここれ以上の政治形態を私達は見つけていない。

政治を志す人達は、まず選挙という洗礼を受ける。そのため日本では「ドブ板作戦」・「辻説法(辻立ち)」といった効率の悪い泥臭い戦法で、有権者に名前を覚えて貰うことから地道に取り組んだ。地方政治ならいざ知らず、国政でも同じ手法で未だに伝統を踏襲している政治家も居る。出勤途中の早朝の駅前で演説しても、話は誰も聞いていないし中身は絶対伝わらない。ただ、毎日続けることで人の記憶には残るだろう。また、かつては選挙中の飲み食いを楽しみにしていた有権者はどこにも居た。投票で金を貰う有権者は今でも居るかもしれない。安い会費で何倍もの見返りがある候補者主催のバス・ツアーなら誰でも喜んで参加している。地方ではその名残はまだ残っている。有権者は候補者の政策や理念で投票するとは限らない。有名人に投票するパターンとどこに本質的な違いがあるのだろう。

現在ではパソコンの普及で候補者や政治家の主張を簡単に知ることが出来るようになった。この格安の伝達方法を有効に利用することによって政治活動及び選挙活動は革命的な変化を起こす可能性がある。立候補しても選挙用ポスターや宣伝車を使用せず、選挙事務所さえ準備しなくて済むだろう。少数のスタッフとパソコンがあれば経済的負担が少なくて立候補出来るようになる。それが選挙の全てではないとしても候補者から選挙民が選ぶのは知名度やバス・ツアーの充実度ではない筈だ。特に「良識の府」と、かつて言われていた参議院は一度選ぶと6年間は代えることが出来ない。現在を含め日本国民は参議院にも衆議院にも相応しくない代表を何人も選んできた。議員や候補者のしっかりした政治理念を聞くことによって、我々は確かな選択が出来るようになる。少なくとも人気投票に終わらせない工夫をお互いにしないと日本の政治は変わらないだろう。その手段としてパソコンでの候補者のメッセージの発信は大いに役に立つ。既に実行している議員は多数居るが、選挙運動そのものも充分にやれる筈だ。選挙法との整合性もあるのだろうが、この経費の掛からない文明の利器を使わない手はない。関係者にも一考を促したい。

日本には解決しなければならない政治課題は国内外幾らでもある。思いつくままに挙げても「ワーキング・プア」・「貧富の格差」・「保育所の充実」・「800万戸に及ぶ空き家」・「地方町村の過疎化(限界集落)」・「農業従事者の高齢化」・「高齢者の医療・介護費の高騰」・「災害対策とその復興」・「核武装を進める北朝鮮問題」・「東南アジア諸島での中国の軍事基地化」等々が出てくる。

政治に携わる人達が「ファースト・クラスの飛行機代」・「ホテルのスイート・ルーム使用」・「政治活動費の私的流用」などで税金を無駄遣いしている場合ではない。政治家も個人的野望だけでその任に付いて貰っても困る。野党第一党も「批判だけから対案を提示する政治に変える」と女性党首が今さらながら抱負を述べていた。

「今の儘では何にも変わらないだろう」という有権者が女性リーダーを選んだとすれば、友人が言うように怪我の功名でもいいから彼女らに期待するしかない。

新都知事と野党の党首には失礼な言い草になったが、これを契機に見る人が見てもうなずけるスタンスで政治をやって欲しい。

御二人には辛口の応援歌と取って貰えれば幸いだ。どうせ先の短い老人の戯言だから。

平成28年9月20日

草野章二