しょうちゃんの繰り言


被害者意識

夫婦喧嘩の顛末は、概ね夫に分が悪い結果となることが多い。男性は横暴と世間では相場が決まっていて、腕力も普通女性より強い。そして致命的なのは、男性は理屈で考え女性は感情で判断することだ。そんな状況では男性に勝ち目はない。何と言っても女性は原因がどちらにあるにせよ、すぐ被害者になれる。加害者と被害者が存在する場合、被害者には常に「被害者」という説得力がついて回る。紛争の詳細など誰も気にしないで、被害者と名乗るだけで味方が増える。夫婦の争いでも遠因になったのは女房の、がさつさや無神経な対応でも、それに怒った亭主が悪者になる事が多い。亭主が怒鳴れば加害者になり、原因を作ったか弱い女房は被害者となって世間の同情を得られる。しかし多くの夫婦は日ごろの諍いがあっても致命的な対立にはならず、少々の不満が残っても添い遂げている。何故なら、そこには互いの信頼が根底にまだあるからだ。

一方、国際間の紛争は簡単に収まらない。自分達の被害を誇張して宣伝し、相手が謝ろうものなら問題解決になるどころか、それを根拠にさらに主張は声高になる。厄介なことに、国民にありもしないことを歴史の真実として教え、国内の不満を外なる敵に向かわせる方法で民心を治めようとさえする。また、捏造とも言える戦争被害を世界遺産として国際機関に認めさせれば、お墨付きを貰ったことになり、例えそれが歴史的事実から乖離したものでも、平気で外交の切り札として利用する。

ある国は政治的妥協の為一度謝ったら、さらなる謝罪を要求し、納得いくまで「1000年でも続ける」と根拠の無い主張を対当事国のみならず世界に向けて発信している。我が国ではこういった物言いを「言いがかり」として常識ある大人なら絶対やらないが、彼国ではトップに居る人が平気で何度も謝罪要求を繰り返していた。

その隣の人口の多い国でも、醜悪とも言えるプロパガンダの反日映画を量産し、「反日教育」によって国民に敵愾心を植え付けている。また、この国では人口以上の住民を日本兵が虐殺したことにもなっている。

ただ、情けないことに「強制従軍慰安婦・南京大虐殺」問題は、実質日本の新聞社によって捏造され、かつ火が付けられたと断罪してもよい位の役目を「大新聞社」が果たしてくれた。前にも言及したが、日本ではこういうのを「国賊」と言って酷く軽蔑したものだ。

我が国が現在抱える韓国との諸問題を今の視点で見る前に、日韓共に1910年の韓国併合当時の世界情勢を見直してみるがいい。同時に朝鮮という国が、当時どういう国であったかも冷静に知る必要があるだろう。

併合の国際法的正当性
教育問題(識字率)
義務教育の普及度
高等教育の普及度
国民の権利
農民の実態
道路・鉄道を含めた社会的インフラの整備
産業の発展

さらに
日本名改名への強制性
日本語の強制性とハングル文字の普及
日本による人権の弾圧

思い付くままに挙げてもこれだけの問題が出てくる。ここに出てない問題を含め、日韓の専門家が其々の分野を検証し、日本が如何なる貢献をし、如何なる非道な扱い或いは搾取をしたのか史実に基づいて互いに納得いくまで議論すればいい。学校建設を始め、社会的インフラ整備のコストは誰が払ったのかも検証して欲しい。そして日本が搾取したのであれば、具体的な事例が欲しい。

互いに不都合な事実も出し合って歴史に耐える検証がなされた時、両国は真の友好を築くことが出来るかもしれない。被害者意識だけで居丈高に主張しても何の解決にもならない。歴史上の事実を見つめ、韓国にあった被害を洗い出し、同時に日本が韓国に貢献したことも冷静に見る必要がある。

1900年代初頭の世界情勢は、欧米及び大国ロシアが植民地の拡大を図って、其々にアジアでの利権を狙っていた時期だった。日本は自国防衛と資源利権確保のため立ち上がったが、それは結果として朝鮮や中国も欧米の侵略から救えるという読みがあった。国際的に緊迫した情勢下の日本の判断は正しかったのか、我々はさらに考察しなければならない。この考察は韓国にも中国にもやって欲しい。バイアスの掛ったプロパガンダでの主張には説得力がないし、歴史の重みには耐える事は出来ないだろう。互いに先入観と偏見を持たず理性で判断して貰いたい。感情だけでの争いなら、我が家の夫婦喧嘩の域を出ないだろう。

1910年の併合時には100校程度だった朝鮮の小学校は、日本の統治が終わった頃には4,000校以上に増えていた。識字率も同様に一桁台から二割以上に上昇している。こういった具体的な成果を韓国の国民はどう評価しているのか知りたい。人権の回復や社会的インフラの整備も洗い直して欲しい。学校・社会的インフラ整備等のコストは誰の負担だったのか、もう一度詳細に検証する必要がある。日本語は本当に押し付けられたのか、改名は強制されたのか等々互いの誤解を解く為にも、是非専門家同士の真摯な取り組みをお願いしたい。

慰安婦に対する強制性があったのなら、その証明は今ならまだ可能なはずだ。言われている様に、8万〜20万人の「性奴隷」を強制的に集めた事実があれば、韓国民の目撃者が居ないのが不自然だ。また「奴隷」には対価が払われることはないが、慰安婦が稼いだ賃金は、背景にどんな事情があったにせよ、利用した兵卒が貰う給料より遥かに高かった。そして売春は当時違法ではなかった。

2015年12月28日、日韓は「慰安婦問題を最終的かつ不可逆的に解決されるとの認識で合意した」と報じられた。さらに「国際社会で非難・批判することを控える」ことも外相同士で確認されている。最終的・不可逆的とは「遡って蒸し返しません」という言質を日本は韓国から取った事になる。ゴール・ポストを動かすから試合に決着が付かず、国際的にも韓国の主張は疑問視され始めていた。ただ、以上の様に外相会談で同意したにも関わらず、韓国では不満の声も挙がり、日本大使館前の不法な慰安婦像さえ直ぐに撤去されそうにもない。はたして外相同士で同意したことが国の同意事項になるのか、まだ予断を許さない。

1965年の日韓基本条約締結時に、日本は無償3億ドルを含む合計8億ドルの資金協力を韓国に対して行っている。当時の韓国国家予算の半分だと承知している。もし韓国が植民地支配されていたとすれば、植民地にこれだけの資金協力した国が他にあったのだろうか。また、日本が搾取したのであれば、何をどう搾取したのか具体的な史実を明らかにした方が両国の今後のためになるだろう。支配された国民が抱く感情は良く理解出来るが、孫子の代のみならず1000年にも渡り被害者意識を引きずるのは互いの利益にならない。

歴史は勝者によって書かれたと言っても過言ではないだろう。東京裁判は法的正当性さえ疑われるが、日本はその結果である判決は受け入れた。だが、裁判そのものの正当性には未だに疑問が持たれていて、日本もその正当性を認めた訳ではない。

日本が戦争に突入した原因を連合軍の最高司令官だったマッカーサー元帥は1951年のアメリカ上院軍事外交共同委員会で「日本の戦争目的は安全保障によるものだ」と証言している。1945年から1951年まで日本を連合軍最高司令官として統治した人物の証言だ。「侵略国日本」の印象を強めようとした質問にマッカーサーは正直に答えている。また、彼はアメリカによる原爆投下を「虐殺で、残酷極まる」とも同委員会で証言している。

アメリカは2発の原子爆弾を落としたが、被災者の殆どは非戦闘員だった。平和に対する犯罪を裁くのであれば、「残酷極まる」原爆こそ真っ先に取り上げられるべきだろう。しかし平和に対する犯罪として裁かれたのは“安全保障”のため立ち上がった敗戦国の日本だけだった。そして日本人は原爆を二度も被災した、「残酷極まる」破壊力の犠牲者だった。戦争末期に原爆を2個まで使用したアメリカの当時の事情と真意も我々は知る必要がある。アメリカに対する被害者意識を確認する為ではなく、愚かな判断を人類が繰り返さない為の検証だ。

我々日本人が一部の自虐史観に染まった人達の道連れになる必要はない。日本がアジア諸国に対して行ったことは全て極悪非道なことだったのか、今の内なら検証は幾らでも出来る。負の遺産も含めて総括した方がいい。少なくとも安倍首相が言うように孫子の代まで戦争の亡霊を引きずり、謝り続ける必要はない。歴史的事実を曲げ、捏造さえやりかねない国には毅然とした態度が必要だ。

また、長いこと国連の負担金をアメリカに次いで二番目に多く納めている日本が、未だに敵国条項に縛られる必要もない。常任理事国への道も閉ざされた儘だが、これも明らかにおかしい。ここの改革にも日本は発言力をもっていい筈だ。捏造された南京大虐殺を世界記憶遺産に認めるような国連の組織には、大いに問題が残る。

日本の歴史教育は近代史を取り上げようとはしない。歴史的評価が定まっていないというのがその主な理由だろうが、第二次大戦とその背景は是非これから日本を背負う若者に学んで欲しい。我々日本人は被害を捏造したり、また原爆の被害そのものを盾に謝罪や補償を要求したりしたことはない。仮に有利な歴史的事実が明らかになっても、我々は静かに受け入れるだけの矜持は持ち合わせている。今更検証するのは相手を非難する為でも、補償を要求する為でもない。まして自国を政治的有利な立場にする為でもない。日本が全て正しかったと確認する為でもない。歴史の検証は互いにそれを教訓として新しい関係を未来に向けて築くためだ。

日本には、正月を契機に新たな気持ちで新年を迎える歴史的伝統がある。どこかで負の連鎖を断ち切らないと何時までも紛争の種を引きずり、健全な国家間の協力や発展は叶わないだろう。戦争の愚かさや悲惨さは、例えその連続した人類の宿痾から我々が逃れられない運命だとしても、訴え続けなければならない。幸いアジアでは限定された国を除き、他からは歓迎され、植民地から独立する気運を創ってくれた国として感謝もされている。

被害者意識を捨てて、世界中で新たな気持ちで新年を迎える事は不可能なのだろうか。

平成28年1月3日

草野章二