しょうちゃんの繰り言


「それを言っちゃお終いよ!」

映画「男はつらいよ」のフーテンの寅さんの決め台詞は、「それを言っちゃお終いよ!」に尽きるだろう。誰もが暗黙の了解で分かっていることに、真実で「だめ出し」をする必要はない。こういった話題で久し振りに会った例の口の悪い友人と大いに盛り上がった。互いにハンディーを持つ身体になり、幾らか軽症の彼がタクシーと電車を奥さんの付き添いで乗り継ぎ、最近転居した我がアパートを訪ねてくれたことから全てが始まった。

彼は本音をストレートに表現するため、仲間内の評判はあまり良くない。特に女性からは奥さんを含め敬遠されることが多い。人はえてして真実の指摘には傷つくことが多いものだ。ただ、いつもながら物の本質を見抜く眼力には一目置かざるを得ない。

「航空会社の社長が、飛行機での人身事故が起きた場合“二度とこういう事故は起こしません”と頭を深々と下げるが、彼がその時遺族にいくら心から誓っても事故は又いつか残念ながら起きるだろう」

煙草に火を付けると続けた。

「彼がもし正直に良心に従って真実を述べるなら、“事故を起こさない様に最大の努力はお約束しますが、残念ながら我々の努力に関わらず飛行機の事故は今後も無くならないでしょう”と、正確には言うべきだろう。考えてみれば、人間社会では言ってはいけないタブーとされている約束事が幾つもある。結婚式で新郎の女癖の悪さを新婦に忠告する友人は、例えそれが事実だったとしてもまず居ない。夫婦間でも“誰のお陰で飯が喰えるのだ”というセリフは今では絶対的なタブーになっている。俺が子供の頃は一家の主の特別な発言ではなかったし、少々家内の家事等で至らぬおばさん達は夫のこのセリフで態度を改めていたものだった」

言われてみればこの“誰のお陰の飯”発言は私にもさほど違和感はなく、いつかは昔の男のようにこのセリフを言ってみたいと思ったこともある。ただ、今の世の中の風潮と、かみさんの性格を考えると、思っていても我が家では口にしない方が無難だろう。

「人は、特に謝る時には自分に跳ね返る反発を出来るだけ避けようとする。トラブルを起こしたところの責任者は、例えそれが不可能だと判っていても“二度と起こしません”と言う以外に言葉の選択肢が無い。この言葉が空しいことは、当事者は被害者を含め分かっている筈だ」

確かに彼の言う通りで、航空会社の社長が将来的な無事故を被害者や世間に対して誓っても、それが事故を永遠に無くす保証にはならない。大量生産の食品加工工場における異物混入も、ゼロにすることは無理だろう。つまり、あらゆる分野でのミスを完璧に無くすることは不可能だと分かっていても、私達は他人にはそれを要求する。平和な世の中が続けば、安全神話は限りなく拡大され、無理なゼロ・リスク理論も大手を振って市民権が得られる。人の命の尊さが全てに優先し、国を守って死ぬことさえ否定される。タバコに関しては医学的根拠と思しきものを背景に、公共の場での(例えオープンな屋外の海水浴場でさえ)禁煙を実施している地方自治体もある。その一方で、年間5000人にのぼる交通事故での死者が出る車社会では、車そのものは野放しにされている。ゼロ・リスクを頑なに主張する人達は、論理の整合性からこのバランスをどう取っているのか私には理解出来ない。

「自然科学の分野では、自己矛盾するような説は受け入れられることはない。人文科学の世界でも破綻した理論が受け入れられる訳もない。理屈で考えれば不可能なことを、会社を代表する人間が口にすることは通常あり得ないだろうが、事故が起きた後、謝る場合には何故だか慣例として頭の下げ方が良ければ世間は論理矛盾した謝罪を受け入れている」

考えてみれば彼の言う通りで、教会での結婚の儀式でも、牧師の前で新婚カップルは何の疑問も躊躇も無く「永遠の愛」を誓っている。全てのカップルではないにせよ、この神の前での誓いを守ってない例があることは誰でも知っている。飛行機は誰かが誓い、誰かが安全を保証しても落ちる時は落ちるし、神の前の新郎新婦の永遠の誓いも、早ければ数カ月若しくは数年で破綻することがある。

「人によっては事故を避けるため飛行機を利用しないケースもあることだろう。俺なんか子供が小さかった頃は、飛行機に乗る時はその都度、国・内外を問わず必ず保険を掛けていた。蓄えと資産の無い俺には保険は自己防衛として必要で、また、こういった現実的な対応は家族に対する責任だと思っていた。これは一家を構えた財産の無い男のたしなみではないのかね」

と言って笑った。

彼の奥さんから随分前に聞いた話だが子供が出来た後、彼は高額な保険を飛行機に乗るたび掛けていたらしい。世の習いごとに無頓着に見える男だが、肝心なことには若い頃からちゃんと対策を心掛けていたことが窺える。

「飛行機が落ちた後、航空会社をいくら非難しても失われた家族の命が蘇るわけではない。我々は、例え確率は低くても万が一の場合に備え自衛するしか方法はない。その自衛の手段が俺の場合は保険だった。もっと言えば、自分が乗った飛行機が落ちる確率がゼロといことはあり得ないことから、保険を掛けていた。墜落事故を避けたければ、飛行機を利用しなければいいだけの話だ」

我々は時として自分の都合のいい選択をしていて、利便性は求めるがその背後に潜むリスクに対しては無防備なことが多い。何かを得れば、何かを失くしていることが往々にしてあるのが常だ。我々が進歩とか進化として捉えている科学技術の発展は何らかの副作用を残していることが多い。車の無かった江戸時代までは、日本には死亡を伴う交通事故は殆ど無かったと推測出来る。飛行機事故も、原発の事故も皆無だったことは明らかだ。私達が利便性を求めて推進した科学技術の進歩も、常に何らかの犠牲を伴っている事実を忘れてはいけない。いつも言うことだが、ゼロ・リスクを主張して江戸時代に戻ろうとする人は殆どいない。進化した文明は、私達から昔に戻る力も取り除く作用を持っている。簡単に言えば、慣れ親しんだら少々のことでは手放せなくなる。クーラーと水洗トイレを考えれば良く分かるだろう。

「俺たちは自分が生きた時代が自分に与えられた舞台で、それ以外の選択はあり得ない。人間の環境は社会の変化と共に常に変わっていて、俺たちが、さらなる変革を求めて立ち向かうのは自分の前に現在立ちはだかる壁だ。それは不条理な社会の仕組みであったり、政治への不信感が生じたりした場合だ。その中には人権や男女同権の問題があり、資本主義社会では富の配分の問題も含まれている。これは国内だけの問題に留まらず、国境を越えた国家間の難題も含まれてくるだろう。予言めいたことを言えば、人類は常に問題を抱え、それを丁寧に片づけていくことを未来永劫運命付けられているようだ。科学技術の進歩とその恩恵も、必ずと言っていいほど厄介な副作用を我々に残していることを忘れてはいけない。この分野でも常に壁が生じ、それを少しずつでも克服するしか方法はない。言葉のレトリックや謝罪の姿勢で解決出来る問題ではない筈だ」

二本目の煙草に火を付けると続けた。

「この世に生を受けた人間の生き方は千差万別だろうし、目標とすべきものを含め多種多様な価値観がそれぞれにあろうと推測出来る。特に地域性(生まれた国)から来る宗教・伝統の違いはそこで生まれた子供に多大な影響を与える。さらに教育という名での間違った歴史での“洗脳”さえ国民に意図的にする国もある。寅さんでなくても“それを言っちゃお終い”なことを平然と口にする国のリーダーさえいる」

同じ地域に生きていても、共通と思っている言葉で話しが通じるとは限らない。人が学び、教養を身に付けるのは、出来るだけ理性的に物を判断するための訓練だと思うが、現実は国内でも軋轢は常に生じている。常識とは、知性とは、理念とは、等々の基本的な概念でさえ食い違う事があり、言葉の持つ重みさえ自覚しない人間は幾らでもいる。その時任せの言い逃れで済ませる例なら、国内の政治家にも数多く見てきた。

「“君子の口約束が最高の契約”とされた古の中国の話を君とも何度か交わしたが、1978年日本を訪れたケ小平は松下幸之助に中国での工場の建設を依頼し、幸之助はケ小平の依頼をすぐに受け入れている。中国近代化の為には日本の最先端技術は必要とされ、幸之助は日中の将来に対する布石のため、快くケ小平の申し出を受け入れた歴史が残っている。その幸之助のお陰で出来た工場も、それから30数年後には中国の国民によって破壊された。君子が約束しても国民が暴動で壊す歴史なら世界でいくらでも見ることが出来るだろう。俺なら“それをやっちゃお終い”と言うがね」

ここで、私も口を挟んだ。

「講和条約や国交回復に伴う各種の和平条約は、国際的な法規定と慣習の下に調印されると理解しているが、残念なことに何時までも条約締結後引きずる国が隣にはある。戦争があった事実は否定出来ないが、和平条約が結ばれた後は、当事国は本来なら互いに将来に向かって新たな歩みを進めるべきだ。その為の和平条約だが、一方で争いを繰り返してきた教訓から生まれた和平の知恵を無視する国が出て来たことも現実として受け止めざるを得ない」

私の言い分を聞くと、いつもの皮肉な口調で例の友人は締めくくった。

「我が国は曲がりなりにも歴史や伝統は今に受け継がれている。それでも基本を理解しない国賊とも言える弁護士や代議士、それに新聞社もあるが、少なくとも彼等の自由な発言は保障されている。彼等にいか程の知性や教養があるか知らんが、単なる政治的プロパガンダとしての発言で、少し物の分かった大人なら無視する位の見識があってもしかるべきだ。だが、日本のインテリは未だに記事を捏造した新聞を取り続けている現実がある。海を隔てれば、こいつら以上に民度も知性も歴史も無い民が居ることを我々は覚悟しておかなければならない。謝罪なんて何の役にも立たんし、もしかしたら彼等を文明人扱いするのは間違っているかもしれんぞ」

友よ、気持ちは分かるが、それを言っちゃお終いよ!

久し振りの再会だったが、彼の歯切れのいい論旨に気分がすっきりしたのは事実だった。

平成27年9月6日

草野章二