しょうちゃんの繰り言


人の悪口

「物言わぬは腹ふくるるわざ」と吉田兼好は言っているが、何と言っても人の悪口ほど面白いものはないようだ。その前提として自分の事は棚に上げておく必要がある。考えて見ると自分より弱者に対してより、強者に対する悪口の方が盛り上がる傾向がある。人間の感情・嗜好には概ね共有する一致点があるからだろう。高い木は風当たりが強いのは当たり前で、目立つ人間は非難の対照になり易い。

最近の週刊誌に「女性に嫌われる女性」という特集でベストテンが発表されていた。残念ながら全ての人を知っていた訳ではないが、成る程という人選だった。面白いことにその特集によれば、毎回顔を出す常連が居て前回の順位まで書いてあった。人は何故こんなものに興味があるのかと考えた時、これは人間の共有する性向に違いないと思うようになった。他人のうわさ話が好きなのと同じ性向だろう。源氏物語にも「雨夜の品定め」という件(くだり)があり、女性陣が男の噂話に興ずる場面が出て来る。時代は変っても人の本質は変らないようだ。

リーマン・ショック直後、大蔵省出身の評論家はその波及する結果として「円は60円台まで上がる可能性がある。また、ドルは基軸通貨から外れる可能性もある。」とテレビで御高説を滔々と述べていた。世界経済に与えた影響が大きいとはいえ、単なる投機会社が破綻しただけの話だから今後50年・100年での可能性に言及した訳ではなく、せいぜい2年・3年といった近未来での予想だろう。いつものように彼得意の当たらぬ先走りを臆面もなく披露していた。彼はかつて例の口の悪い友人に馬鹿扱いされた男だが、懲りない人間は何処にでもいるものだ。馬鹿扱いされた理由はリーマン・ショック前“アメリカの金融商品は利回り30%以上の利益を上げているから日本も見習え”という趣旨の発言だった。パイプを咥えた評論家も同じ様な事を主張し、友人の失笑を買っていた。友人の主張はそんな利益が継続的に上げられる筈がないという至極まともなものだった。三流大学しか出てない落ちこぼれの判断の方が元大蔵省官僚や評論家より結果としてまともだった。(拙文「天皇の執刀医」参照)

政治家にしろ評論家にしろ先走りの発言や矛盾する発言で信用を落としたにも関わらず、平然としている様は気の小さい我々は見習う必要があるのかもしれない。当たらない占いでも懲りないおばさんはテレビが創った醜悪な見世物だし、心ある人間ならでたらめな世迷い言に耳を傾けないだろう。若しかしたら嘲笑の対象も視聴率に貢献しているのかもしれない。昔はこういう姿勢を「厚かましい」と言って軽蔑し、かつ黙殺するだけの見識があったものだが最近ではテレビが率先して取り上げ、結果として人気者になるようだ。

いずこの世界でも先走りと目立ちたがり屋は居るものだが、通常この手合いは誰もまともに相手にはしなかった。お笑い芸人であれば赤信号を皆で渡っても笑って済ますが、経済や政治、或いはジャーナリズムの世界ではそれなりの矜持が必要だろう。少なくとも自分の発言に責任を持つ習慣が無ければ、無責任な言いっぱなしの悪弊は無くならないし、経歴や肩書きだけでへらへらしている輩も無くならないだろう。こういった問題に対しては例の友人を引き出すのが一番相応しいと思う。常人と違った観点を持ち、いつも本質をえぐる彼の出番だろう。なんと言っても彼の悪口と放言には年季と哲学が含まれている。その幾つかを思い付くままに列挙してみよう。

“新聞社やテレビ局にはサラリーマンは居るがジャーナリストは居ない。”
“テレビ局と銀行は良く似ている。取り仕切っている奴は馬鹿だが、影響力が大きい。”
“俺が死んでも葬式するな。坊主も要らなきゃ戒名も要らん。香典は貰っとけ。”
“人類の中に少しだけ人間が居る。”
“日本列島に住むには日本猿には快適でも、人間が住めばフラストレーションが溜まる。”
“頭の悪い奴ほどいい大学へ行け。馬鹿な女でも化粧すれば幾らか見られるだろう。”
“女性に言葉を与えたのは神の間違いだった。”
“ゲーテはいい事を言った。「女は曲がれる肋骨にて創られにけり」とイヴ生誕の経緯を述べた後、曲がった肋骨を真っ直ぐに伸ばそうとする奴に「肋骨の折るるは好ましからず」と警告を出している。(ゲーテ詩集より)”
“本能に従って生きる女に理屈が通ると思うな。男は所詮彼女らの付属品(脇役)だ。”
“事実を否定するのは女の特権だ。”
“世界的哲学者に女性は居ない。”
“天皇家の歴史はたかだか2700年弱だが、俺は人類始まって以来の血と歴史を背負っている。ただ先祖がずぼらで記録が残ってないだけだ。”
“肩書を欲しがる奴や振り回す奴には、例外なく禄なのは居ない。”
“あほな奴に権力を持たせるとその組織や国は滅びる”

などなど延々と続くが彼の世迷い言(?)を全て紹介するのが目的ではない。人間の視点が変ればこういう発言も出て来るという例として幾つか引用しただけだ。彼の過激な発言が彼を孤立させ、その結果友人は少ないようだが、そんな事で懲りるような男ではない。

彼の最近の発言にもこんなのがあった。

“一回の出演料で200万円も300万円も取るテレビの司会者が「私たち庶民の立場から」と連発しているが、庶民にはその司会者のたった一回の出演料で一年暮らしている人が大勢居る。それに実際に番組を制作している下請けの連中は、テレビ局員の半分の給料も貰ってないのが居るそうではないか。テレビで尤もらしい事を言っている連中が世の中の不公平を一番知っている筈だ。”言われて見ればその通りだ。“マスコミは建前で語っていては全く説得力は無い。本気で問題提起をする気があれば姿勢を正して少しはましな奴が仕切った方がいい。最もテレビをマスコミと捕らえるかどうかは問題あるがね。”

映像の与える影響は確かに大きい。子供たちが昔と比べて本を読まなくなったのはテレビやゲーム機の普及に大いに関係がありそうだ。映像の与えるインパクトは強力かつ直接的で、想像力や空想を膨らます要素が本より少ないように思う。それなりの利点があったにしても、世界の名作が映像化された時どうしても原作を越えることは不可能だ。若い頃の読書は知の基礎体力を付けるようなもので、これが少ない人間は往々にして長じても人間の幅が狭い。高等教育を受けてきたにも関わらず判断力の無い人間はテレビ以外でも幾らでも見る事が出来る。メッセージの送り手も受け手も同じレベルなら口の悪い友人がちょっかいを出す必要は無いのかも知れない。所詮テレビも根底には金儲けがあるとすれば過大な期待をする方が間違っているとも言える。テレビを「一億総白痴化」とその創成期に看破した大宅壮一を改めて見直す必要があるのではないか。そう言えばかつてテレビで有名になった評論家と称する男は自分の講演料は日本一高いとパイプを咥えながら自慢していた。商売人ならそれでもいい。

「傾向と対策」によって出来上がった人間は、それなりのものと言うしかない。挙句が典型的な金太郎飴で、マニュアルがないと自分では判断のつかない人間も大量に生産されている。読書の楽しみを知らない人はそこから生まれる可能性を垣間見ることなく人生を終え、ある意味不幸とも言える。

自己主張の強いフランス人には時としてうんざりする事があるが、教養ある人間としてテレビ・新聞に出ていた記事と解説をそのまま自分の意見として語ることはやらないらしい。そんな事をやれば馬鹿扱いされることが判っているからだ。彼らは自分独自の意見を持つことに教養人としての誇りを感じているそうだ。フランス映画がハッピー・エンドに終わらないのはそのせいかもしれない。ただ自分で考え、自分の言葉で話すという基本は我々にも参考になるのではないだろうか。

斜に構えた例の友人の話は、良く聞けばそれなりに説得力があることが多い。ただ彼の発言に時として違和感を覚えるのは、我々があまりにも現状に同化し過ぎているからだろう。目の前にあるものに何にも疑問に思わないから彼の発言に違和感を覚えてしまう。“金魚のフンでは金魚に連なっているだけでたいしたことは出来ないだろう。井の中の蛙は死ぬまで大海の存在さえ知ることがない。人間は知的好奇心という面白い性向を神から授かって生まれてくるから、それを活かさない手はない。学ぶということの根本はそこにあるが、お仕着せの決まりごとを幾ら覚えて試験には受かっても、ただそれだけのことだ。”

彼の目で見ると確かにおかしいことだらけだ。徒党を組んで生きることに何の疑問も持たなかった高校・大学時代、互いに傷を舐め合う事を友情と固く信じていたことが彼から見ると単に金魚のフンに見えるらしい。御説ごもっともだが、指摘されると腹も立つ。彼はそんな私に平然と“真実はいたく心を傷つけるという言葉がある。もっともこれはデンマーク人が教えてくれたのだがね。”と嘯いていた。

人の悪口を言うのが趣味の男かと思っていたが、どうもそれだけではなさそうだ。ただ、彼にはもったいない奥さんの彼に対する評価は散々で、しかも要を得ている。真実でいたく傷ついている彼を想像するとつい笑ってしまう。

平成25年4月27日

草野章二