しょうちゃんの繰り言


自己責任

 過激派組織“イスラム国”に拘束された日本人人質二人の.解放に関して、インターネット上での意見を含め様々な声が国民の間から出ている(1月24日現在)。中でも一番多いのが“自己責任”のようだ。イスラム国から一人当たり一億ドルの身代金を要求されているが、彼らの主張に従ってこの問題を解決するなら、国が二億ドルを払って手を打つしかない。例え本人達が幾ら自己責任を旅立つ前に唱えていても、個人で短期間に準備出来る金額でも払える金額でもない。従って、客観的な判断材料としては彼等の行動の背景には死をも覚悟した本人達の強い意向があったと理解するのが妥当であろう。

 2004年にイラクで日本人男女3名が人質になった時も、“自己責任”という声が国民の間から上がった。後に解放された若い女性が述べた「自分探しの旅に出ていた」という弁明は、紛争地を訪れるにはあまりにも不用意で、現地で解放された後も飴を咥えながら喋るあっけらかんとした態度に反感を覚えた国民も居たことだろう。

 外務省は国際紛争の火種になっている地域への民間邦人の出入りに関しては、その都度警告を発している。彼らの立場からは、「余計な問題を起こさないでくれ」と言うのが本音に違いない。イラクの事件では人質が無事解放された事から国は身代金を払うなどの、何らかの手を打ったと推測される。ただ、事実だった(身代金を払った)としても真実が明かされることは無いだろう。身代金の額とやり取りは極秘にしておかねばならない事情が双方にあるからだ。しかし、これもあくまで推測に過ぎないが、関わった政府の方々の苦労が大変だった事だけは確かだ。

 日本国民が海外を旅行する際、持参しているパスポートの最初のページに記載されているのは「日本国民である本旅券の所持人を通路故障なく旅行させ、かつ、同人に必要な保護扶助を与えられるよう、関係の諸官に要請する。」という各訪問国に対する外務大臣のメッセージだ。旅行者が、外務大臣の各国への要請が自分のパスポートに書いてあることから、彼等の身の安全を期待しても犯罪者はどの国にも居るし、日本の外務大臣の要請でも、各旅行者に対して訪ねた国が護衛付きで守ってくれる訳でもない。むしろ日本ほど治安の良い国は無いと言われるほどで、海外は日本より危険な事を海外旅行前に知っておくべきだろう。まして紛争地では生命の危険に係わる事もあり得るし、過去何度も日本人(ジャーナリスト)の犠牲は出ている。こういった了解の上での事件である事は拘束されている本人とその家族も充分認識しておいて貰いたい。

 こういう経緯を考えると、一般国民から類似事件が起きるたびに“自己責任”の声が上るのは当たり前とも言える。どういう事情があるにせよ、リスクを犯すなら自己責任で「勝手にどうぞ」と言うしかない。だが、ジャーナリストが使命感に燃えて生命の危険を冒してまで紛争地で取材するのは彼等の信念だと思える。かつて世界でも名の売れた記者や写真家が何人も戦場で犠牲になっている。日本では変わったキャラクターの戦場写真家としてテレビで売れた人も居た。

 ただ、別の見方をすれば戦場での報道活動は生計の為か信念の為か余人には分からないが、彼等の報道が社会で必要とされている限り、何か現場で起きた時に我々は“自己責任”と冷たく見放す訳にもいかない背景がある。紛争の記事や映像が極一部のマニヤックな集団の需要であれば一般には縁が無いものと決め付けてもいいが、公共放送を始めとして大新聞を含めたマスコミ全体が彼等の得た情報を流し、それを国民が享受している限り、ある意味我々も彼らをサポートした仲間だとも言える。

 1930年に製作された「モロッコ」という映画で、往年のスター、ゲイリ・クーパーが演じる外人部隊の兵は実質傭兵だった。西欧では傭兵の歴史は古く、金で外国人を雇い国の防衛や拡大を企てた例(戦争)は幾らでもある。国際間の紛争は、そこの国民が当事者として参加しないのは認めないという国際論調で、傭兵は現在では禁止の方向にある。傭兵だった場合、国際法上では戦闘員としての扱いは受けない。

 理由の如何を問わず、外国人が自分の国以外で戦う事はあり得るし、有名な話ではアメリカのノーベル賞作家アーネスト・ヘミングウェイも第一次大戦やスペイン内戦に積極的に参加している。そこでの見聞が後の名作「誰がために鐘は鳴る」や「武器よさらば」誕生の基になっている。ただ、彼の行動を外人部隊や傭兵の範疇に入れる人は居ないだろう。彼が取ったのは、スペインでの反ファッシズム運動で結束されて出来た「国際旅団」の一員としての行動で、動機は本人の政治的信条としか言いようがない。

 一方、中東の闘いではアメリカは民間の軍事会社を利用している。一応物資の運搬など後方支援が主だとされているが、火器の使用に長けた退役軍人が多数雇われている会社もある。現代の戦闘は火器を含めかなりの部分が専門化されていて、志願兵の訓練だけでは実戦に間に合わないのだろう。多額の金が動いている背景もあるが、実像はまだ詳しく明かされてない。言えることは戦争には生死の危険が伴うが、同時に多額の報酬を得るチャンスもあるという事実だ。当然と言えば当然だが。そこには民間の軍事会社が入りこむ余地は充分出てくる。現在のアメリカの志願兵は、働くところが無いとか、国籍取得の為とか個人的経済事情が優先し、中には英語を充分理解しない新兵も居ると言う話だ。彼らを兵士として利用するのは戦う動機も目的もずれていて、員数合わせの感は免れない。これならベテランの退役軍人が高給で活躍出来る余地が充分ありそうだ。この推測は大して間違ってないと思う。

 ジャーナリスト・民間軍事会社・傭兵(外人部隊)等々、紛争の直接当事者以外も戦争には参加している。彼等は生命の危険は充分に熟知している筈だし、その動機に至ってはまちまちだろう。主義主張・経済的理由・名声等々幾らかは思い浮かぶが、最終決定の要因は余人をもって計り難いものがありそうだし、軽々には決め付ける訳にいかない。

 また、2003年のイラク戦争の際にはアメリカCNNの記者はバクダッドから衛星通信を利用してアメリカ本国へ空爆開始の瞬間をテレビで中継していた。多国軍と言いながら実質戦争の主導権を握っていたのはアメリカだったが、正に敵地に乗り込んでの決死の報道だった。日本では大手のマスメディアは通常激戦の紛争地に自社の社員を派遣する事はなく、フリーランスの記者・カメラマンと契約して情報を得ているようだ。この件に関しては全てを確認した訳ではないので違っていたら教えて貰いたい。世界的に耳目を驚かすような出来事には誰もが関心を持つことだろう。だから需要は確実にある。

 幾つかの国々では既に“イスラム国”と称する国からのテロ攻撃(人質処刑を含む)を受けている。イギリスのキャメロン首相は「テロには屈しない。身代金も払わない」とはっきり声明を出している。概ね西欧の指導者は誘拐・拉致された場合でも身代金を払って解決する手段は取らない。国の指導者がはっきりと方針を打ち出し、それが国民に受け入れられれば、身代金問題で残された解決法は極めて限られる。それでも危険に挑戦する人を止める訳にはいかない。こういった基本的な国家の方針が国民に徹底していれば、不都合な何かが紛争地への訪問者(旅行者)に起きても、“自己責任”という言葉で片付けるのには誰も異存はないだろう。

 西欧と我が国とでは当然文化や伝統の違いがある。日本の総理大臣が「人命は地球より重い」と言って1977年の“ダッカ日航機ハイジャック事件”の際、人質解放のため日本赤軍グループに身代金を払う決断したのも、当時日本では大して問題にならなかった。だが、この解決方法は欧米では絶対あり得ないし、国民も納得しないだろう。その一番の理由は、犯人に資金をいかなる名目であれ提供すれば、それは彼等のその後のテロや不法活動を助ける事になるからだ。総理の判断が国際社会から当時非難されたのも、“イスラム国”みたいな過激集団の所業を知れば、今では日本人も頷けるだろう。

 国の防衛に関しても、わが国では戦っても自国を守るという発想はない。所謂平和憲法を逆手に、武器を持ってテロや不法行為に立ち向かう姿勢をことごとく否定してきた歴史がある。日本だけに通用する平和絶対主義は国民の感覚まで麻痺させ、自分達だけは安全だと無意識に思いこんでいる節がある。日本が軍事力を増すと軍国主義に戻る、武器を持つと使用するようになるという想像力豊かな人達は、尖閣島を取り込もうとする国は日本を攻撃しないとその想像力をさらに膨らましていた。「ヒットラーは平和を望んでいる」と彼との会見後国民に報告したイギリスの首相に似ている。

 国家の危険に対する備えは、常に想定された仮定の中での可能性を探る事で、防衛の主目的はその際の守りを固めることだ。宇宙人の襲来を想定して国防を語っているのではない。日本には安全を旗印に自説を述べ、周りも同じ様に日本の安全を願っていると考えている人達が幾らでもいる。周辺国の主張はその真偽に係わらず受け入れ、謝罪を何度も繰り返したい人でいっぱいだ。70年に及ぶ平安の夢は結果として国民に良かったが、現実的な対応は何故だか避ける民になってしまった。国を守るという事は犠牲を伴う事で、“犠牲を出すな”という至上命令は自分の意志で危険地域に飛び込む国民もすべからく救わねばならない。

 戦後民主教育のお陰か、日教組の方針が行き届いたのか、若者には愛国心という言葉さえ馴染みが無く、自分の思い通り生きることが自由なのだという価値観が根付いているようだ。今度の事件を契機に、自由と責任の因果関係をそれぞれ考えてみてはどうだろう。

 こういった事情の時、覚めた言い方は反感を持たれることを承知で発言すれば、腐ったリンゴは同じ樽の健康なリンゴをすぐ蝕む。互いの政治的信条で立場の違いを認めた上で、どのリンゴが腐っているのか良く考えてみよう。

 またぞろ、今回の事件に関し呆れた議員の発言が話題になっている。彼らにはその程度の思考力しか無いのは、最初から分かる人には分かっていた。

自己責任にも、その背後にあるものは様々なようだ。

平成27年1月25日

草野章二