しょうちゃんの繰り言
我が家の整理・整頓 |
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あまり計画性も無く、几帳面な質でもない私はそれでも年に一・二度くらいは机や本棚の周りを整理・整頓しようと決心することがある。あらゆることを人のせいにしがちな得な性格だが、何かやる時はその傾向が益々強くなる。 書きかけのメモの類は何が重要で何が不要かは当然私の判断になる。仕分けに熱中する私は重要度に応じて指図するだけで、実際に動き回るのはかみさんの役目だ。引き出し、本棚、ファイルの類全て仕分けし、不必要と思われるものをそのあたりに放り出し、助手であるかみさんは黙々と片付けという肉体労働に従事する。何をやるにもこの我が家の法則は変らず、滅多にやらない大掃除の時も原則としてこの法則が適用される。 あまり我慢強くないかみさんは不満顔でも長年の伝統は変らず、慣れると不満顔も気にならなくなる。 私の決心のお陰で我が身の回りはこぎれいになるが、結果不用品の運搬と捨てる手立てはかみさんが全て仕切ることになる。私の中にはこの出来上がった我が家の伝統は特段気にならないし、こんなものだろうと納得している。整理した後の数日間は達成感にもひたれる。 ■ 日本を代表するような家電メーカーが経営不振に陥り、再建に取り組んでいるニュースが最近目に付いたが、驚くことに下請け業者から“積極的に取引したいとは思わない”とか“正直言ってザマミロ”といった感想が多く聞かれたというコメントがインターネットに流れていた。“部品の買い叩きや無理な納期の強要が原因と見られている”とその記事は結んでいた。大手メーカーをめぐっては多かれ少なかれ同じ様な問題を背後に抱えていると充分に推測される。 ■ 20年以上前の話だが、“天下の公道をこのメーカーは駐車場や倉庫代わりに使用している”という記事が出たことを憶えている。必要な資材・部品をその日に必要な量を必要な時間に届けさせるため起きた現象だった。メーカー側から見るとこの方式だと確かにストックする倉庫も要らないし、資財・部品を保管している期間の金利も発生しない。家庭に例えるなら食事を作るたびに必要な調味料・食材を必要な時間に商店に届けさせるようなもので、それが可能なら家庭では冷蔵庫も貯蔵戸棚も要らない。 究極の手前勝手と思われるこの方法が何故だかそのメーカーが実行すると究極の合理化策として賞賛されている。そのメーカーはお陰で現在内部留保は数兆円に達するらしいが、台風や地震の度に部品の供給が止まり、倉庫を持ってない工場の生産ラインがストップする、とその都度ニュースになる。 ■ また、拙文「いじめ問題の根」にも書いたが、“孫子の代までこのメーカーの車は買わない”という取引業者の声は大手企業の利益追求という大儀名分にかき消され、ごまめの歯軋りとしか捉えられていない。残念ながらこれが日本の実態だろう。 ■ 日本を追い上げる周辺諸国へ日本の技術者が流出し、その結果家電では日本は周辺国に追い越されてしまった。人を大事にしなかった付けが国家的損失として何倍にもなって払わされる破目になっている。流出した技術者にも問題があることは推測出来るが、彼らをその気にさせた何かがあることも事実だろう。全てが企業のせいとは言わないまでも、“自分さえ良ければいい”という発想では企業も個人も長い目で見ればお互いが不幸であり、結果として国家の損失にも繋がる。 ■ 経済の連鎖の輪はどこかが切れると機能しなくなる。誰かの犠牲で成り立つような仕組みは長続きしない。“万骨枯れて一将なる”の精神は現代では通用しないだろう。 “ザマミロ”は一時的精神の満足感は得られても決して健全な心の働きではない。海外に流出していった技術者も金は得られてもどこか忸怩たる思いを抱いていることと思う。或いは経済的に他の手段が無かったための究極の選択だったかもしれない。人は平然と国や人を裏切ったり、自分の利益だけのため他人を利用したりすることはなかなか出来ないものだ。それをさせる何かが生じたためだろう。 それは教育の結果かもしれないし、社会環境かもしれない。自分の栄達の為だけに人が学ぶのであれば皮肉なことに今の日本は立派にその教育の目的を果したとも言える。その結果が今の社会環境を形成したと言えるだろう。 ■ 模範となるべきプロの運転手が自分勝手な運転していては社会全体の運転マナーのレベルは上がらないだろう。数少ない経験から言えば、ロンドンのタクシーには見習うべき点が多くあったし、彼の国の運転マナーは日本の比ではなかった。民度の違いを実感させられたが、この単純な差さえ埋めるには長い期間が必要とされるだろう。各個人の手前勝手な判断で運転していては道路の混雑は益々酷くなるだけだ。 40年程前初めてロンドンに行った時、入国の審査窓口の手前で行列を作り、窓口が空いた順に旅行客を案内していた。空港のタクシー乗り場でもホテルのドアマンみたいな立派な服装をした初老の男性が乗客を列の順番に従ってタクシーに案内していた。私に取っては珍しい光景だったが、デンマークの空港では様子が違っていた。まさに空車の奪い合いで、空車が来ると後から来た乗客が並んでいる行列を無視して空車に駆け寄り乗ってしまう。列に並んで長く待っていたデンマーク人と思しき男性が”Danish never learn.(デンマーク人はこれだからな)“と悪態をついていた。 日本でも今では乗車時のみならず、女性トイレの順番待ちにもロンドン方式は採用されているようだ。 ■ オリンピックが開催される為、入場や乗車する際、列を作る指導を急遽国民にしていた国もあった。伝統や習慣は一朝一夕に変えることは無理だろう。しかし合理的な生活手段は社会に取り入れた方が問題は少ないし、もめる原因も減らすことが出来る。 つまり“自分だけ良ければ”という基本スタンスを変えた方が全体の調和は取れるという単純な理屈だ。 人間が社会生活を営んでいる以上この法則は時代を超えて普遍の価値を持つものと思われる。だとすれば“自分だけは旨い目に”という浅ましい考えから脱却すれば丸く収まることは数多く出てくると思われる。 この単純なことを国民全員で共有出来れば、傾いた企業が”ザマミロ“という罵りの言葉を聞くことも無くなるだろう。 ■ 豊に暮らすということは各個人が角つき合わせて自分の利益に過敏に反応することではない。人より少しでも先に自分の車を出すことでもない。むしろ相手を配慮する心のゆとりを持つことが豊な暮らしに結び付く。 自分だけは絶対に損をしないという生き方が他人には見透かされていることを互いに自覚するべきだろう。人間関係が壊れる原因はここにある。露骨にそういった生き方をする個人や企業は分かり易い言葉で表現すれば「顰蹙を買っている」ということになる。 人は必ず自分を正当化し、心の安定を求める。乗車拒否には“生活がかかっている”という理由がすぐに付くし、企業の手前勝手は“合理化”という言葉が用意されている。開き直って“それはお互い様だ”ということなら教育もマナーも躾も要らない。 ■ 世間の槍玉に挙がっている組織・企業・個人には単純な共通した生き方が見られるようだ。 つまり“自分さえ良ければいい”という分かり易い理念だ。 そういう目で見れば我が家の整理整頓のやり方にも何か問題がありそうに思えてきた。
草野章二 |
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編集人注 私の昭和41年の修士論文は自動車工場での生産管理にまつわる話だった。それから何年後だったか、下請け業者に部品の納品数量と日時(細かい時間まで)を指定して納めさせる事を始めたのはトヨタ自動車だった。工場内での部品在庫も0にするため、生産ラインに対する部品の供給も徹底的に管理した。この生産管理方式を「トヨタ方式」と呼んだ。同じことを日産自動車でも始めた。「Just In Time方式、略してJIT」という。これで、部品の備蓄は必要なくなった。納入された部品を一時的に棚にしまっておくと、生産ラインに部品を運ぶフォークリフトが自動的にとりに来るという仕組みだ。 さらに生産ラインでは多種少量生産管理が進み、オプション注文が多い乗用車では同じ車種でも取り付ける装置や部品がみな違う。そういった部品をフォークリフトで供給するのだが、その順序やタイミングを合わせる細かな管理がコンピュータ制御の元で可能となった。 この方式が始まって以来、工場の外の道路には下請けの部品納入のトラックが並んでいるのです。このトラックが部品倉庫というわけです。大自動車メーカーは部品在庫が無くなったといい万々歳だが、なんてことはない、部品在庫をただ工場の外に追い出しただけだ。まるで漫画じゃないか!われわれはその姿を揶揄したものだった。 80年代前半だったか、自動車産業ではないが、アメリカの生産工場の見学に行ったとき”JIT”という横断幕が工場内に張ってあるのを見た。おじさんは驚きましたよ。「アメリカよ、お前も同じかよ?」って。 いつの世も弱いものにシワ寄せが行き泣かされるのです。ザマミロって?そうでしょうねぇ。 |