しょうちゃんの繰り言


社会の仕組み

例の口の悪い友人が予言(断言)した如く、数々の不祥事に関して都知事は下手な弁解で天下に恥を晒しただけでなく、その政治生命も終え社会的信用も失くした。丁度知事の辞任のタイミングに合わせたように、「良い酒が送って来たから明日持って行く」と昨晩彼から連絡が来た。いつもの様に奥さん連れで顔を出すだろうと朝から待っていた。彼の来訪は今や私の唯一の楽しみになっている。「かみさんの野暮用で遅くなった」と言いながら我が家に現れたのは三時過ぎだった。「今日も泊めて貰うぞ」と一升瓶を出した時には、我が家のかみさんの手料理は昼に合わせて既に作ってあって、それを肴に直ぐに男同士の酒盛りが始まった。医者に止められている深酒や煙草は「俺のリハビリだ」と豪語していて全く聞く耳を持たない。

「俺は金には恵まれないが隠れフアンが何人かいて、酒や食料を彼らが時々送ってくれる。金を送るのは失礼だと弁えてのことだろうが、友に恵まれるのは何より有難いことだね。本音では金の方がもっと有難いが」

と高笑いした。

損得で動かない男の矜持を彼から感じるのは私の買い被りだとしても、彼には世渡り上手な連中のあざとさは一切見られない。そこを見込んだ彼の古い友人が未だに彼を忘れずサポートしているのだろう。金勘定では計れない羨ましい人生だ。

「俺も若い頃は負けず嫌いで、一番でなければ気が済まなかった。人がやれることは自分にでも出来る、そして俺ならもっと上手く出来ると思っていたものだ。利口ぶるなんて得意中の得意で、口先だけで相手を言い負かして悦に入っていた。中学の時出会った英語教師の底知れぬ知性と見識に圧倒され、馬鹿な辻褄合わせや目先の競争から気が付くと自然と身を引いていた。思えばそれを自覚したのは中学二年の時だったが、それ以降は目先の試験のためだけの勉強を止め自分の好奇心の赴くままに本を読み漁った」

彼の、子供の頃のエピソードには事欠かない。その一つが、昭和28年彼が小学校6年の時、当時最新の5球スーパ・ヘトロダイン方式ラジオを自作したことだ。5球とは真空管が5個付いていることを意味し、当時家庭用ラジオの主流は3球だった。5年生の時鉱石ラジオを自作したが30分程度で出来てしまい、挑戦の意味が無かったと失望して翌年6年生の夏休に一足跳びに5球ラジオとなったらしい。「初歩のラジオ」という月刊誌を当時愛読していて、その中から機種を選んだという。今の便利な時代と違って全部揃ったキットとして販売しているものがなく、本に出ている配線図を見て全ての部品を一個づつ揃えたそうだ。真空管・トランス・コンデンサーといったパーツを取り付けるため、シャーシーという台にそれぞれの大きさに合わせて切り込みを入れるとこから始まったと語っていた。何よりの驚きは部品・材料費だけで5,000円掛ったという事実だ。当時の大卒の初任給より高かったのではなかろうか。電気屋の店員は小学生の子供には無理だと言って止めさせようとしたらしい。近所にラジオ・マニアのお兄さんが居て時折指導してくれたそうだが、彼は見事にラジオを完成させた。その後親戚の依頼で何台か作り、また、近所のラジオや出始めた電蓄の修理もしてあげたそうだ。その趣味は中学2年できっぱり止めている。九州の田舎の小学校時代でのエピソードだ。5,000円という当時の大金を小学生の子供に出した親も偉かった。

彼にしてみればやりたいことをやり遂げただけで、誇らしい気持は皆無だったと述べていた。ただ誰もが出来る事には関心を示さなかったという。中学の時も、高校の時も受験を目的とした学校の補習授業には一切出なかったと言っていた。秘められた能力にも関わらず彼は落ちこぼれとしての人生を歩んだ。辻褄を合わせなかった故の対価だったが、彼は一切後悔していない。問題の知事とは対極の生き方だが、それも人生の選択なのだろう。彼の佇まいにはせこさも卑しさも無縁だ。

「勉強が出来る子供は往々にして自分は頭が良いと思いがちだ。そして未熟な時はどうしてもそんな成績の良い自分が利口だと主張したくなる。また、そういったペーパー・テスト重視の価値観で運営されている組織が未だに存在するのも事実だ。辞任に追い込まれた問題の知事は正にその象徴だろう。本人も世間も彼を優秀だと認め、世論調査では“総理にしたい男ナンバー・ワン”にもなった。都民がそんな彼に期待したのは当り前だと思われる。だが、結果は世界に“Sekoi(せこい)”という日本語を流行らせただけだった。とても自分で言った“ナンバー・ワン・リーダー”の矜持も誇りも最後まで彼に見る事は出来なかった。どこから判断しても優秀で能力があるとはとても考えられない。決め付けた言い方をすれば“未熟なペーパー・テスト秀才”とでも表現するしかない」

と彼は切り捨てた。

今考えれば国民の多数はこの男を有能と考え“総理に最も相応しい”と数年前判断していた。都知事になった後、蓋を開けてみたら言っている事とやっている事との大いなる乖離に我々は驚かされることになった。あまりにも単純で判り易いブーメランに、テレビのワイド・ショウは各局毎日“知事問題”で賑わった。かつての彼の著書及びテレビ出演で主張した事が繰り返されて空しく響く結果となり、ある意味極めて面白いエンターテーメントとしての話題を提供してくれた。偉そうに、或いは利口そうに主張していたことが全て根拠の無いもので、自分を大きく見せる手法だった事が白日の元に晒された。九州まで毎週通ったことになっていた母親の介護は、月に一度来るか来ないかの頻度だったと地元の人は前から証言していた。老人介護・福祉及び待機児童の解消を謳って選挙に出ながら、その施設への視察は皆無だった。その間美術館へは何度も通い、日に二度視察したことも記録に残っている。首都圏の防災を力説しながら、東北の被災地は一度も訪れていない。都議の質問に対して時間が取れないと応えながら、金曜日になると3時過ぎには都庁を出て湯河原の別荘へ毎週公用車で通っていた。分かり易くかつ安手の喜劇だった。

「悪いが俺はこの男をマスコミに出始めた当初からあまり信用していなかった。相手を鋭く攻撃し、断定的に上から目線でものを言う人間には昔から信用置けない例が多かった。決定的になったのは“日本中から一番出来る学生が東大に集まり、その中で一番優秀なのが大蔵省に行く。馬鹿にやらせる訳にはいきませんから”という彼の“朝まで生テレビ”での発言だ。予想に反して出席した論客からは何の反論も出なかった。確か当時彼は東大の助教授という肩書だったと記憶している」

私も偶然その番組は見ていた。彼のその発言もしっかり頭に残っている。友人と同じように違和感を覚えたが、論客たちから何ら反論が出なかったのは彼らもこの男と同じような価値観を持っていたからに違いない。むしろそれは今でも日本中で共有されている価値観なのだろう。

「世の中には自ずと出来上がった価値観がある。時として俺たちはそれを伝統と呼ぶこともあるが、時間を掛けて出来上がったものは変えるのは非常に難しい。ましてその価値の恩恵を受ける人は、例え時代にそぐわなくても絶対変えようとはしないだろう。そしてその価値が権威を持った時盤石の地位を得ることが出来る。それが試験という公平な尺度で仕分けがなされた結果の価値であれば誰も異論を挟めなくなる。そうやって国民に認められた問題の知事は、彼の過去の主張や発言から有能でかつ立派な見識を持っている筈だった。どこに間違いがあったのかこの際我々はよく考えたほうがいいと思うぞ」

まじめな顔で意見を述べると、空になった燗瓶を新たに満たし自分で台所まで持って行って温めてきた。

「建前論での立派なことは気の利いた中学生でも主張することは出来る。他人の攻撃なら小学生でも出来るだろう。それを理路整然と展開するのは難しいことではない。思うに彼は自分を目立たせ、有能に見せることでのし上がってきた男のようだ。その場、その場で小賢しく発言するから自分の実績を臆面もなく拡大して誇張する。俺の知人の弁護士にも知り合いの子息の不祥事を自分の画策で解決したことを自慢げに話す奴がいた。当事者たちが言いたがらないことを他人が吹聴することはないが、この手の自慢話は世間でよく聞く。だが、この手の人間はボロを出すのも早い。なぜなら関わった人間がその実像を見ることになるからだ。今回の問題の知事も政治での同僚を初め、元妻・実の姉達やその娘から酷い実態が暴露されていた。彼を誉めたのは元自民党の実力者で、フランス料理と高級ワインをご馳走になった例をテレビで披露していた。問題の知事は世間で言われていることに反して、決してケチではなかったと元実力者は力説していた。上役に自前で取り入るのは人の常套手段だ。上昇志向を持つ人間なら当然の初期投資だろう。裏表の差が激しい奴ほどこういったことを平気でやるものだ」

友人が言うように、誰しも所謂実力者に取り入ろうとするだろうし、それほど役に立たないと思われる人達にはマクドナルドのクーポン券で済ませるのは当然なのだろう。私の知り合いにも、プライベートの飲み・喰いにも関わらず一切自分で払おうとしない芦屋の二代目もいた。大口は叩くが毎度人にたかるだけで、結局仲間は誰も付き合わなくなった。せこい人間はどこでも排斥されるものだ。しかし、少し配慮のある人間なら見え透いたことはやらないものだ。我々が大人になるにはこういったバランスを取ることから始まる。

「ただ、今度の問題の根は深いと俺は思っている。都は年間13兆円言われている予算を動かしているらしいが、この巨額な予算の先には必ず利権が付き纏うと考えたほうが自然だろう。オリンピックにも金が掛り、その先では所謂実力者が采配していると思える。一方文人政治家は利権には縁が無いことが多い。その前提で考えると、これはあくまで俺の邪推と取って貰って構わんが、知事に玩具を与えて遊ばしておき一切利権の分野に口を出させないことが利権に繋がる政治家には望ましい筈だ。だから、彼が外遊やホテルで使う金なんか安いもので、うるさく自分たちから騒ぎ立てることはなかった。他の都議連中も税金にたかったのは幾らでもいる筈だ。それが人間社会の仕組みというものではないか?」

とんでもないことを友人は言い出したが、問題の知事に対する都議会最大与党の対応は彼の邪推を聞いた後では理解し易い。

「政治は綺麗ごとだけでは済まされず、人と組織を動かさなければならない。清廉潔白な人間の集団を見たことも聞いたこともないが、建前では誰もが正論を主張して裏では違ったことをやっている。そこに紛れ込んだ単純な男が足をすくわれたと俺は考えている。暴いたのは週刊誌という第三の権力だった。あまりにも見え透いた振る舞いに内部からも告発があったようだ。与党の実力者達もアホな知事を庇えなかったといういのが今回の実態だろう。偏差値最高の大学を出て優秀で頭のいい男が陥るような罠ではない。つまりそこを優秀な成績で卒業すれば有能だという神話が分かり易く否定されただけの話だ。優秀なのもいればアホもいる。それが世の常だと思うよ」

普通、落ちこぼれが言うと説得力がないが彼の今回の発言は心して聞くべきだろう。
快い酒盛りが続いた。

 

平成28年6月23日

草野章二