しょうちゃんの繰り言
社会の仕組み |
例の口の悪い友人が予言(断言)した如く、数々の不祥事に関して都知事は下手な弁解で天下に恥を晒しただけでなく、その政治生命も終え社会的信用も失くした。丁度知事の辞任のタイミングに合わせたように、「良い酒が送って来たから明日持って行く」と昨晩彼から連絡が来た。いつもの様に奥さん連れで顔を出すだろうと朝から待っていた。彼の来訪は今や私の唯一の楽しみになっている。「かみさんの野暮用で遅くなった」と言いながら我が家に現れたのは三時過ぎだった。「今日も泊めて貰うぞ」と一升瓶を出した時には、我が家のかみさんの手料理は昼に合わせて既に作ってあって、それを肴に直ぐに男同士の酒盛りが始まった。医者に止められている深酒や煙草は「俺のリハビリだ」と豪語していて全く聞く耳を持たない。
と高笑いした。 損得で動かない男の矜持を彼から感じるのは私の買い被りだとしても、彼には世渡り上手な連中のあざとさは一切見られない。そこを見込んだ彼の古い友人が未だに彼を忘れずサポートしているのだろう。金勘定では計れない羨ましい人生だ。
彼の、子供の頃のエピソードには事欠かない。その一つが、昭和28年彼が小学校6年の時、当時最新の5球スーパ・ヘトロダイン方式ラジオを自作したことだ。5球とは真空管が5個付いていることを意味し、当時家庭用ラジオの主流は3球だった。5年生の時鉱石ラジオを自作したが30分程度で出来てしまい、挑戦の意味が無かったと失望して翌年6年生の夏休に一足跳びに5球ラジオとなったらしい。「初歩のラジオ」という月刊誌を当時愛読していて、その中から機種を選んだという。今の便利な時代と違って全部揃ったキットとして販売しているものがなく、本に出ている配線図を見て全ての部品を一個づつ揃えたそうだ。真空管・トランス・コンデンサーといったパーツを取り付けるため、シャーシーという台にそれぞれの大きさに合わせて切り込みを入れるとこから始まったと語っていた。何よりの驚きは部品・材料費だけで5,000円掛ったという事実だ。当時の大卒の初任給より高かったのではなかろうか。電気屋の店員は小学生の子供には無理だと言って止めさせようとしたらしい。近所にラジオ・マニアのお兄さんが居て時折指導してくれたそうだが、彼は見事にラジオを完成させた。その後親戚の依頼で何台か作り、また、近所のラジオや出始めた電蓄の修理もしてあげたそうだ。その趣味は中学2年できっぱり止めている。九州の田舎の小学校時代でのエピソードだ。5,000円という当時の大金を小学生の子供に出した親も偉かった。 彼にしてみればやりたいことをやり遂げただけで、誇らしい気持は皆無だったと述べていた。ただ誰もが出来る事には関心を示さなかったという。中学の時も、高校の時も受験を目的とした学校の補習授業には一切出なかったと言っていた。秘められた能力にも関わらず彼は落ちこぼれとしての人生を歩んだ。辻褄を合わせなかった故の対価だったが、彼は一切後悔していない。問題の知事とは対極の生き方だが、それも人生の選択なのだろう。彼の佇まいにはせこさも卑しさも無縁だ。
と彼は切り捨てた。 今考えれば国民の多数はこの男を有能と考え“総理に最も相応しい”と数年前判断していた。都知事になった後、蓋を開けてみたら言っている事とやっている事との大いなる乖離に我々は驚かされることになった。あまりにも単純で判り易いブーメランに、テレビのワイド・ショウは各局毎日“知事問題”で賑わった。かつての彼の著書及びテレビ出演で主張した事が繰り返されて空しく響く結果となり、ある意味極めて面白いエンターテーメントとしての話題を提供してくれた。偉そうに、或いは利口そうに主張していたことが全て根拠の無いもので、自分を大きく見せる手法だった事が白日の元に晒された。九州まで毎週通ったことになっていた母親の介護は、月に一度来るか来ないかの頻度だったと地元の人は前から証言していた。老人介護・福祉及び待機児童の解消を謳って選挙に出ながら、その施設への視察は皆無だった。その間美術館へは何度も通い、日に二度視察したことも記録に残っている。首都圏の防災を力説しながら、東北の被災地は一度も訪れていない。都議の質問に対して時間が取れないと応えながら、金曜日になると3時過ぎには都庁を出て湯河原の別荘へ毎週公用車で通っていた。分かり易くかつ安手の喜劇だった。
私も偶然その番組は見ていた。彼のその発言もしっかり頭に残っている。友人と同じように違和感を覚えたが、論客たちから何ら反論が出なかったのは彼らもこの男と同じような価値観を持っていたからに違いない。むしろそれは今でも日本中で共有されている価値観なのだろう。
まじめな顔で意見を述べると、空になった燗瓶を新たに満たし自分で台所まで持って行って温めてきた。
友人が言うように、誰しも所謂実力者に取り入ろうとするだろうし、それほど役に立たないと思われる人達にはマクドナルドのクーポン券で済ませるのは当然なのだろう。私の知り合いにも、プライベートの飲み・喰いにも関わらず一切自分で払おうとしない芦屋の二代目もいた。大口は叩くが毎度人にたかるだけで、結局仲間は誰も付き合わなくなった。せこい人間はどこでも排斥されるものだ。しかし、少し配慮のある人間なら見え透いたことはやらないものだ。我々が大人になるにはこういったバランスを取ることから始まる。
とんでもないことを友人は言い出したが、問題の知事に対する都議会最大与党の対応は彼の邪推を聞いた後では理解し易い。
普通、落ちこぼれが言うと説得力がないが彼の今回の発言は心して聞くべきだろう。
平成28年6月23日 草野章二
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