しょうちゃんの繰り言


認識の違い
(東は東、西は西)

酒を提げて、先日拙宅を訪問してくれた例の友人は飲んだ後、彼が頼んだデュセンバーグは無かったが代わりにタクシーを呼んで帰った。彼の家まで大した距離ではないにしても、彼の今の家計から考えれば例え2000円のタクシー代でも痛手ではないかと心配になる。だが、彼には他人のそんな心配を寄せ付けない風格がある。彼の身体(脳梗塞の後遺症で電車での移動が不自由になった)の事を考えればタクシーでの往復は当然の選択だが、その往復のコストを考えると申し訳ないと、彼が我が家に来るたびに思う。

彼にはある事情で家も手放し、現在は安い借家で年金暮らしの身だ。それでも若い頃は華々しく活躍していた。正確に言えば、晩年も活躍していたが、取引企業の不条理とも言える扱いで正当な対価が払われない儘、現業から手を引いてしまった。自分の会社でもないのに、かつて海運界不況の折、友人・知人から工面した金でその会社を維持させ、結果として彼が個人的にその負債を全て背負ったままで、新たに自分の会社をスタートさせた。元々出来る男なので彼にも自信があったのだろう。その後決まった大口の契約では取引した船会社が正規の手数料を払わず、又約束と違って他の仕事で彼の面倒を見る事もなかった。結局、その船会社は好景気がしばしあったにも関わらず二度目の倒産をした。名前を聞けば誰でも知っている会社だ。規定の手数料が払われていれば、またその時約束したように他の仕事や後に派生した仕事で補填してくれれば、友人は借金を全て返せたし、家のローンもとどこる事はなかったのに全く不運だった。

その後も鉄鋼会社のバックアップでそこの系列外の船会社と契約が出来たが、そこでも天下りで来ていた役員に彼は何故だか外された。そこの船会社の社長はその後、任期前に更迭され、また友人を外す画策をした担当役員は、鉄鋼会社には現在相手にして貰えない。友人のサポーターがまだ鉄鋼会社の社長・副社長の経験者として現役の後輩に影響力を持っているからだ。この会社も財政上は実質現在倒産状態だ。問題になった天下りの社長と役員は、プロパーの今では引退している役員に現役時代、“死神”、“疫病神”と呼ばれたが、正にその通りだった。堅実な会社を、資本系列の天下りで来た社長と役員が短期間の内に根底から破壊してしまった。私もその間の醜い事情は良く知っている。プロパーで身を呈しても守り切れなかった事にも原因はあるが。

「俺を裏切った連中は、不思議な事に個人・会社を含めてみんなおかしくなっている」と友人が言った事があったが、確かに符合する。仕事が人間の信頼関係の上で成り立っている事を理解しないような役員に会社を経営する能力は元々ない。また、彼の世話になった個人も複数知っている。その中の何人かは小銭のため平気で彼を裏切り、その後、例外無くおかしな人生を送っているのを知っている。逆に何年経っても続いている人間関係も知っている。むしろ彼の場合その方が圧倒的に多いようだが。

残念ながら、こういった不条理な扱いは少数と雖も存在する。私の経験でも契約の数量が多いからという理由で手数料を半分に値切られたが、約束した他の仕事での埋め合わせは皆無だった。常に払う側の論理が優先し、背景を持たない零細事業家は多かれ少なかれ泣かされている。その場しのぎの理由を付け、後は知らぬ顔を決め込むのは良く見られる光景だ。それを避けるため、同業者はこまめに客筋の機嫌を取り、間違っても逆らわない。頭(づ)の高い友人や私は煙たくて可愛気のない存在なのだろう。同業者は顧客と互いに別の意味の人間関係を築き、それなりに上手くやっているようだ。そして仕事が出来ない事で有名だったある同業者は、これまた不思議な事に成功して高級住宅街に自宅を持つまでになっている。人の繋がりにも色々ありそうだ。

全てとは言わないまでも、これが21世紀の今でも“東”に存在する事情とすれば、外資会社にスカウトされた友人は“西”の別な事情を、若い頃身を持って体験している。

彼は名のある日本商社からの招聘を断り、北欧系アメリカ会社の東京オフィスを選んだ。両社共、彼が前の会社を辞めると言った途端、同時期に引き抜きに来た。彼が外資系に出した働く条件は「仕事に口を出さない」事だったが、結局細かい指示に嫌気がさし彼は3年程でそこを辞めた。辞める前にニューヨークのトップに直接ウォーニングの手紙を書いたがそれは中間で握り潰されたようだ。彼をその会社に紹介した造船所のNY駐在員にトップから「彼は何故辞めたのだろう」という問い合わせがあって初めて真相が分かった。

3年間、毎年30万ドルの仲介料(3年間で日本円で3億円)の実績を1970年代初頭に上げたにも関わらず、彼の報酬はたいしたことはなかった。東京事務所の代表を務めていたデンマーク人は、「確かに契約は決めたが、まだ入金になっていない」ことを理由に彼の給料を上げなかったそうだ。金に拘らない彼(日本人)の性格が見抜かれていたとしか言いようがない。彼等は決して自分達から上げようとはしない。黙っていれば満足していると勝手な理屈を付けて其の儘で済ます。ちなみに、彼は年俸5000ドル(180万円)で移籍し、2年目は50%アップの270万円、そして3年目が400万円強だったそうだ。中間に居る人間が本社に向かっていい顔をする典型的な例だろう。お陰でそのデンマーク人は本社で役員になった。そして、その東京事務所は彼の決めた長期契約が終了したのを期に事務所を畳んでいる。彼の後継者は彼より払われていたらしいが、たいした仕事は出来ず、約10年で彼の実績を食いつぶして終わった。彼が当時借りていたアパートの年間経費はデンマーク人の一月の家賃(36万円)と同じだったと笑っていた。

かつて日本人が安く使われていたのは事実だが、彼みたいな典型的日本人は外資系にはいい様に食い物にされたのだろう。言葉では彼等は色々言っても、決して相手の立場まで忖度して手を打つことは当時しなかった。分かり易い言葉で表現すれば金に関しては、彼等はケチで特に現地の人間に特別な配慮をすることは稀だった。自衛手段は厚かましく自己主張するしかない。それが彼等の文化だと友人はさみしく笑っていた。

それでも欧米の顧客と仕事上の契約では、彼等は日本のように手数料に圧力を掛け、最後はうやむやにするようなことは私の経験でも一度も無かった。

ただ、日本の名誉のため付け加えておくと、日本の船会社は新造にしろ、傭船にしろ、一度決めたことは律義に守るという当たり前だが、高い国際的評価を受けているのも事実だ。その中でも時折立場の弱い仲介業者に行儀の悪い事をする者が出てくるのも又事実だ。

日本の文化には金に淡白な人を賞賛する伝統があった。「金に汚い」という表現はその人格も否定するような評価に取られていた。私達の世代は自分が直接関わった金の話は苦手だ。他人の事なら遠慮なく論理的に相手を説得するが、自分のこととなると何故だか充分に主張出来ない人が多い。

「情けは人の為ならず」とか、「以心伝心・相手の立場を忖度する」等々の表現は今でも日本人の根底にはいくらか生きているだろう。「武士は食わねど高楊枝」も支配階級のやせ我慢である。戦後日本の経済を牽引した経営者に多く見られたのも身ぎれいな人達だった。自分の取り分を主張する文化は日本には無かったと思っている。明治生まれの私の父など、金に汚い事を一番嫌っていた。

宗教も、民族も、言語も、国も違う人達とのビジネス上の約束事は契約書で細かく決める他方法が無い。以心伝心も忖度も必要とはされない。分かり易いとも言えるし、無味乾燥とも言える。気心の知れた相手だと思い込むのは勝手だが、多くの場合こちらの思惑と違う事が分かって落胆する事がある。この壁はどこにでも存在するから、我々の主張は一方的であってはならないだろう。ただ、心得ておくべきことは、黙っていれば誰も決めた以上のことを考えてはくれないという事実だ。仕事が上手くいって、特別ボーナスが欲しければこちらから要求しない限り、まず黙っていたのでは何も起こらない。

民間での仕事の繋がりからでも、こういった違いは実感出来る。彼らも我々もどちらも正しくて、どちらかの方法に統一する必要はない。

伝統や習慣の違いを嘆いたり、批判したりしても何ら建設的なものは生まれない。分かってくれるだろうと期待しても、黙っていれば彼等は受け入れたと看做すのが当たり前だ。
大人の配慮が国際的に評価されないのは、彼等が悪いのではなく、我々が丁寧に説明しないからだ。譲れないもの、事実に反するものがあればすぐに反論しなければ近隣の国のプロパガンダにすぐ利用され、それが第三者に史実と看做される。

政治家や外務省は国民に促される前に、その役目を全うしないと世界中、強制連行された慰安婦の像が建つことになるだろう。今なら歴史もチェック出来るし、どちらの言い分が正しいのかまだ検証出来るだろう。住んでいた人口以上に殺戮を行う事が可能かこれも早く検証して欲しい。根拠になった出典を互いが納得いくまで検証し、第三者を入れて判断すれば今より公平な世論が出来るだろう。戦後70年の節目に日本はまだやらなければいけない事が沢山残っている。厚かましい人達の餌食になる必要はないし、我らが孫子に間違った負の遺産を置いていってはいけない。これは我々の義務だ。

英語教育を早くから始める前に、彼我の文化の違いを教えることがより大事ではなかろうか。黙っていて通用するのは国内の一握りの人達だけになったようだ。互いの深い信頼感が根底に無い限り、黙っていては誰も理解しようとはしない。そうでなければ、口の悪い友人が困ることなどあり得ない。国内でも国外でも、自分の事以外は概ね無関心で、声の大きい方の意見を聞く傾向がある。

残念ながら、人間世界では正しい事が必ずしも通用する訳ではない。
これが人間の限界だとは思いたくないが。


平成27年2月3日

草野章二