しょうちゃんの繰り言


天皇の執刀医
(権威の所在)

先日、極めて象徴的な出来事が全国民注視の中で報じられた。天皇の心臓冠動脈バイパス手術が成功裏に終わったと医師団により発表され、陛下は順調に回復に向かわれているというものだった。国民としては極めて喜ばしいことではある。我が日本国民の象徴として存在される国家元首天皇陛下が、東京大学医学部と順天堂大学医学部の混成チームで結成された医師団により心臓の手術を受けられたのだ。当然日本での最高レベルの医療を受けられたのは間違いない。

これまで医療当事者も、国民も最高レベルの医療とは入試最難関とされる東大医学部が提供するものだという暗黙の思い込みがあったようだ。ところが執刀したのは順天堂大学天野教授だった。しかも報道された経歴によると、天野教授は“三浪の末、日大医学部に入学”と書いてあった。

素人が考えても外科手術で主導権を握るのは執刀医であって、手術の現場である東大病院若しくはその関係者ではない筈だ。今回の手術で執刀医の技術は無論のこと、手術前後の処置を含め最高の医療環境が提供されたことは想像に難くない。

天皇の執刀医として選ばれた天野教授は間違いなく現在国内最優秀の心臓外科医であろう。患者にとって優秀な外科医とは何はさておき手術が上手くなければ意味が無い。最難関とされる東大の教授が執刀しなかった理由は東大医学部では最高の外科医を育成出来なかったという単純な理由だろう。

古代ギリシャでは剃刀を日常的に使う床屋が外科医を兼ねていて、その名残に理髪店の赤と青の回転する広告塔が未だに使用されているという俗説がある。赤は動脈、青は静脈を象徴していると言うものだ。

知人に地方の国立医大を出て東大の医局に学んだ医者が居る。当時彼が名刺を作った時、東大出身の医局員だけは確か「鉄門会」という三文字を名刺に入れて他の大学出身者との違いを際立たせていたということだ。この「鉄門会」という三文字は正に東大出身者の肩書きだったのである。

彼は前立腺の専門医で、日本で唯一日帰り手術を行える外科医になったが、彼の自嘲的な説明では“東大で手術が上手な外科医は職人と言ってあまり評価されない”とのことだった。東大で評価され出世コースに乗るには外科医と雖もまず論文に秀でていることが絶対条件で、それが出来なければ教授にはなれないとの説明だった。彼が医局に居たのは40年以上も前のことである。現在はどういう仕組みになっているか知らないが、腕のいい外科医は東大では育成されない仕組みに昔からなっていたようである。価値の基準が一般の判断とかけ離れていることがこの事実からも良く分かる。手術にも論文にも長けている医者が存在することはあり得るから、腕の良い外科医が全く育たないとは言い切れないが。

野球のルール・歴史に卓越した知識を誇る選手が打率が1割そこそこだった場合、彼は残念ながら試合では使って貰えない。何故なら実戦では役に立たないからだ。同じことはあらゆる分野で言える。

今回、何故天野教授の経歴紹介でわざわざ“三浪して日大医学部に入学”とマスコミが報じたのだろうか。本人の強い意向とは考え難い。その経歴は隠すことも恥じることも無いが普通、天皇の執刀医を紹介する時にそこまで書く必要は無いだろう。素直に取れば三回目で受かってもちゃんと日本一の心臓外科医になれるのだという応援賛歌とも取れる。少し深読みすれば東大医学部を揶揄しているとも取れる。

日本社会でのあらゆる分野の序列化は大学の入試から始まっている。その前に当然名門高校・中学・小学校と遡って控えてはいるが、何と言っても学生の序列化は大学の入試で最終章を迎える。受験した本人たちも世間もその価値観にあまり異を唱えることは無い。

この評価を努力と才能の賜物として肯定するのが日本社会での掟かも知れないが、だとしたら陛下の執刀医が入院された東大病院の医者でないのが腑に落ちない。

日本一と言われている鮨屋で、これ以上ない大事な客が来る時、ライバル鮨屋の職人を呼ぶのと根本は変わりが無いだろう。しかも応援に呼んだ相手はカウンターに立つまで3年も掛かった鮨職人だった場合どう判断するべきなのか。

実は日本人である我々の価値判断にダブル・スタンダードの刷り込みが既になされていて、あまり違和感が生じないようになっている。

著名なテレビ討論番組で、後に厚生大臣を務めた出演者が“日本で一番優秀な学生が東大に行き、その中で一番出来る奴が大蔵省に行く。馬鹿にやらせる訳にはゆきませんから”と発言していた。論客が揃った番組なので誰か異を唱えるのかと期待したがこの発言に反論も無く何も起こらなかった。どうもこういった価値観は日本では既に磐石の地位を得ているようだ。

それなのに違う大学から執刀医が呼ばれることにもたいした違和感がない。専門家の間では至極当然だという見方さえされている。

私の友人に一寸毛色の変わった男が居て、彼の発言には時として本質を突いた面白い表現が出て来る。

1989年の日本経済バブル最盛期の暮れ(12月29日)、その時株価は日経平均38,950円を越えていたが、経済評論家と称する男がテレビで翌年の大納会では45,000円まで上がると予想し、もう一人の評論家は50,000円までは固いと予想していた。45,000円を予想した経済評論家と称する男は後に政治家になり、つい最近大臣にまでなった。

その時異色の彼は、“こいつら馬鹿ばかりだ。こいつらの言うことを聞くと碌な目に会わないぞ、こんなもの続く筈が無いと”一刀両断に切り捨て、結果は彼の言う通りになった。彼が後に解説したところでは、同じ様なことがアメリカでは1928年に起き、多くの学者や経済評論家が太鼓判を押したにも関わらず、1929年にはバブル経済は破綻したということだった。日本が全く同じ道を辿っていると看破していたわけだ。さらに当時、都内23区で一億円以下では住宅が手に入らないと騒いでいた時も彼のコメントは“大丈夫、落ち着くところに落ち着く”と平然としていた。理由は同じ様に“こんな事が続く筈が無い”というシンプルなものだった。金融機関が不良債権と言って自業自得のトラブルを抱える要因はこの時既に熟成されていた。もし私の友人が金融機関のトップだったら不良債権問題は絶対に起こり得なかったと断言出来るが、同じ様に彼は金融機関が絶対に取らない人材でもある。

自称、“三流大学で馬鹿の行く学校”を卒業した彼は経済学部を出てはいるが、専門での優の数は一個だけで、体育とか英語とかの教養科目で少し優を貰ったらしい。最初から「不可」でなければ良いと決めていて、その通り実践した男だった。学生時代経済学を学んだとは到底思えない。今風の表現をすれば一流企業が相手にしない、落ちこぼれた男となる。

その彼がリーマンショックが起きる前に、“またぞろアメリカかぶれ共が、アメリカの金融商品は利回り30%以上と煽っているが、いつまで続くと思っているのかね”と薄ら笑いを浮かべていた。大蔵省出身の経済評論家・パイプを咥えたテレビ評論家が得意になってアメリカを見習えと囃し立てていた時だ。程なく彼の予見は的中し、アメリカの大統領をしてGreedy(強欲)と言わしめた金融機関の破綻とその拝金主義が明るみに出た。

彼のその当時の発言が面白かった。“馬鹿は先が見えないし、何度も同じ間違いをやる。欲に狂った人間は盛のついた犬以下だね”品は悪いが確かに本質は突いている。

残念なことに大蔵省の官僚から一切の警告はバブル期にも、リーマン全盛の時にも発せられなかった。勿論一流大学を出た都市銀行の経営者もバブルに悪乗りはしたが、冷徹な判断力は無かった。少なくともこの連中は日本ではエリートと言われている人達だ。

変わり者の友人が発する“こんなもの長続きする筈が無い”という単純明快な結論が一番説得力を持っていたことになる。バブル崩壊後“誰にも判らなかったのですよ”とテレビでバブル経済を総括していた大蔵省の審議官と称する男に友人は“お前らに判断するのは無理だろう。与えられた事の再現しか出来ないのだから”と一刀両断に切り捨てていた。

言われてみれば彼の言うとおりだった。漢字をいくら識っていても良い文章を書けるとは限らない。クイズ番組でチャンピオンになれる位が関の山だ。

白州次郎を主人公とした自伝的テレビドラマが数年前放送されたが、その一場面でケンブリッジ大学の教授が白州に“君の答案は私の講義をかいつまんで纏めているだけだが、それでは良い点をあげるわけにはいかない”と彼の答案を否定した。それに対して白州は“教授それはまさしく私が求めていたものです”と劇中で応えていた。彼我の教育に於ける根本的違いを物語るエピソードである。実はこの差が大きいことに気が付いている人はあまりいない。

変わり者の友人が言うように日本の試験制度は極論すれば“与えられたことの再現”が判断の基準になっている。それに波長が合うか、若しくは長けた学生が所謂一流大学に入ることが出来る。考えて見ればただそれだけのことで、それ以上の意味も無い。

“極東の島国がどういう基準であれ勝手にやって結構だが、世界に通用する人材は育つのかね”友人の毒舌はさらに続く。“辻褄合わせに終始した人生のどこが面白いのやら”

落ちこぼれの言い分にも確かに理はある。だが現実社会では大学のランク順に有利な就職先は分配されている。それに対する彼の評価は“卒業証書を社会への免許証にしている間はたいした人材は生まれないだろうね”

彼の指摘は日本の教育の本質を突いていた。就職に有利な大学・政治家になりやすい塾等々世間には成功への道筋が用意されていて、そこを出れば本人も世間も何となく納得している。だが現実はバブルもリーマンショックも予見出来なかった。原子炉のメルトダウンも単に水を供給し続けなくてはならないという原則が破られ、それを想定外の出来事として対処しようとしているに過ぎない。どんなことが起きても冷却水を供給すると言う姿勢があれば、原子力安全委員も保安委員も事故が起きてから他人事みたいな解説は出来ない筈だ。安全・保安に関して役に立たなかったという判り易い実例だ。当事者意識も責任感も彼らには全く感じられない。決められた道を決められた通りに歩んで来て順番が来たから安全委員・保安委員をたまたまやっていただけの事に過ぎない。

民間でも“官僚化”という言葉で形骸化した硬直組織を表す事がある。日本人の知恵が作り上げた恐るべきヒエラルキーで、そこに君臨するのは資格を取って来たかどうかという極めて単純なルールである。

巨大鉄鋼会社で、“彼は私大出身だから役員は無理だろう”と囁かれていたことがある。幸いに役員になれたが、このエピソードは1970年代の話だ。

真面目で勤勉な日本人が時間を掛けて作り上げたヒエラルキーとネットワークはほぼ完成している。既存の組織が硬直化するのはある意味当然の成り行きだろう。個人が全体を考えて行動するのではなく、その組織で如何に調和するかにしか関心が無い。金融機関が社会の要請にいつまでも応えようとしないのはそこに原因がある。担保があって資産が有る人には貸すが、起業家や遣り繰りに困っている中小企業には見向きもしない。本当に金を必要としている人達には決して貸そうとしないし、これからも貸さないだろう。彼らの関心は自分の安全と属する組織の安泰が第一なのである。

それでも天野教授みたいな外科医が育ってきたのは我々に希望を持たせてくれる。圧倒的な技量の差は東洋の島国での価値観を見事に粉砕してくれた。天皇は意図せずとも日本の将来に大きな課題を与えてくれたことになる。

落ちこぼれの友人はそれでも“馬鹿は学ばないからな”と半信半疑の憎まれ口を叩いていた。

 

平成24年3月28日

草野章二