しょうちゃんの繰り言


ワン・アウト・チェンジ

数年前に偶然視たテレビのドキュメンタリー番組で「ワン・アウト・チェンジ」という新しい言葉を耳にした。東北地方の木材業者が腐らないヒノキ風呂を開発し、それが評判になってフランスからも注文がくるようになったというサクセス・ストーリーの番組中でこの言葉が出てきた。このヒノキ風呂の評価は国内・外で高まり、木材家業三代目の開発者は張り切って生産に励んでいたが、台風襲来の為工場が破壊された。売り上げの記録や注文書を見せて工場再建のため銀行の融資を受けに行ったところ融資は断られた。業績が良く売り上げも順調に伸び、海外からの注文書も提出したのに断られる理由が分からないため銀行にその理由を確かめたら、過去に一度倒産したことが原因だと判明した。これが「ワン・アウト・チェンジ」という言葉の解説だった。今日現在、例え業績は順調に伸びていても過去に倒産の事実があれば融資不適格の烙印が自動的にかつ永遠に付き纏うらしい。問題はこの烙印がいつまでも付いて廻るという銀行のルールにある。野球で言えばワン・アウトでチェンジになり、その後のゲームが続けられなくなるということだ。

銀行の評価の尺度はとかく目障りな事が多すぎる。ローンの支払いやカードの決済が1回でも、1日でも遅れるとすぐブラック・リストに入れられ、何時までもその汚点が付いて廻る。日本では当たり前のこのような銀行の厳しい物差しはどうも国際的な基準とは少し違うみたいだ。

20年以上前に読んだ新聞の随筆欄に、ある筆者のスイス駐在時代の体験談が載せてあった。後に物書きとなったその筆者は当時ジャーナリストとしてアフリカに出張になり、そこでは日本に電話する際、当時あった「KDD国際カード」が使えず現金持参の必要性が生じた。現地で書いた原稿を本社に電話で口述筆記の送信をすると、彼の給料では賄えない程の料金が必要となり、手持ち金では不安なため本社からの給料送金の扱い銀行に融資の相談をした。融資は簡単に認められたという。月日が経ち、前回と同じ様な状況の時その銀行にまた頼んだら今度は金利が前回と違っていた。銀行が金利を間違えたのかと思い、その旨申告すると、“あなたは前回ちゃんと期間内に返済してくれたので信用が増した分今回金利が安くなっている”との答えだったという。
我が国で外国の短期駐在特派員が融資の相談に行ったら、給料の送金取扱銀行が果してその外国人に融資するだろうか。ましてや二度目の融資に金利を下げるということは絶対ないだろう。

人によっては「命より大事な」と表現することもあるお金だが、その金を扱う銀行は私にとってどうも印象が良くない。理由は彼らの基準が合理的でないからだ。実際に私や、友人・知人が経験した実例を幾つか挙げて検証してみよう。

ある知人は友人の住宅購入にあたり連帯保証人になったが、その友人が支払い不能になり、結果として残債を引き受ける破目になった。話によると私の知人は友人の残債を完済したが、銀行は一銭もまけてくれなかったという。

銀行は残債の全てを保証人に責任を持たせ、自分たちは一銭も損しない仕組みになっている。最初からの決まり事とはいえ、何か腑に落ちない感情を持つ人は多いのではないだろうか。ちなみにアメリカでは住宅ローンが支払い不能になった場合、現物(担保物権)を銀行に渡し、権利を放棄すれば金融機関からそれ以上の追求を受けることはないそうだ。勿論日本のように住宅購入でローンを組む場合連帯保証人なども要求されないという。

保証人制度は人間関係を如何に破壊したか金融機関も少しは考えたらどうだろう。自分のリスクを第三者に押し付ける制度は決して健全とは言えない。

大学の後輩で金融機関に勤めていた男が常日頃言っていたことは「担保があっても事業内容が良くなければ我が銀行は融資しない」という極めて格調の高い理念だった。その銀行は後に大阪の料理屋の女将に1,000億円以上の融資をし、焦げ付いていたことが判明した。世間を賑わした事件だったが、彼の理念は融資の担当役員にまでは徹底していなかったようだ。

また、知人の医者の奥さんは自宅のローンを抱えていながら全盛期には他に5件のマンションを購買し、それぞれにローンが認められていた。

一方同じ時期、自営業の友人は運転資金の申し込みがことごとく断られ、「海外旅行の費用やベンツ購入なら貸し易い」と銀行に言われたと腹を立てていた。簡単に言えば医者には無条件に貸すが、零細自営業の運転資金は絶対貸さないということだろう。これはノー・アウト・チェンジとでも言うのだろうか。

その友人がその頃迷言(名言)を残している。「テレビと銀行は良く似ている。仕切っている奴は馬鹿だが、影響力が大きい」というものだ。腹立ちまぎれとは言え、何となく彼に同調したくもなる。ついでに彼の更なる迷言は「運転免許証と住宅ローンは欲しい奴には出してやれ」というのがある。口は悪いが本質を捉える彼の発言にいつも感心させられている。

口の悪い友人に言われるまでも無く、銀行は預金者の金を運用しているのだからそこにはちゃんとしたルールなり理念が無ければ共感は得られないだろう。医者や弁護士にはほぼ無条件に貸し出した結果、多重債務者には彼らが多く名を連ねている。行員が持ち寄った金で運営しているのであれば、銀行が恣意的に誰に貸そうと貸すまいと彼らの勝手だが、預金者の金で運用している事実を考えれば姿勢を正した方がいいのではないだろうか。

世間を騒がせる事件の裏には殆どの場合金が絡んでいる。それも日常的に普通の人達が手にするような金額ではない。逆に普通の人達は自分の収入とそれに合った自宅を取得し、生活を営んでいる。この人達が社会を支えている事実を銀行はもっと知るべきだろう。医者でも弁護士でもなく、それぞれに自分の収入に合った生活をしている人達だ。間違っても土地やマンションや株の転がしで不労所得を狙っている人達ではない。こういった堅実に生きる人が居るからこそ社会は健全に営まれている事実を我々はもっと認識するべきだろう。

銀行にもし社会的責任という認識があれば、もう少し国民から認められるのではないだろうか。小銭を持った人達だけを集めてゲームするから平気でワン・アウト・チェンジにし、自営業者の友人にノー・アウト・チェンジとしてゲームにも参加させないのだろう。

不良債権処理で困った時銀行を助けたのは国民から集めた税金が基になっている。その中には銀行が相手にしない預金者が払った税金も含まれている。それでも銀行は過去の借金繰越の制度で最近まで税金も免除されていた。利子も預金者に殆ど払わず、利益を上げても税金は免除され、そんな中で役員報酬をはじめ社員の給料やボーナスは上がっている。制度的に違法でないからといって経営を破綻させた組織がやるべきことではないだろう。少なくとも税金を払うようになるまで役員報酬・社員給料・ボーナスは据え置くべきではないだろうか。そんなことは預金者に利子を払ってから手を付ける事だろう。国民が窮地に陥った銀行を助けた恩義を彼らは忘れるべきではない。

人は立場が弱いと必要も無いのにどうしても下手に出る。車の免許を出すところも勘違いして長いこと偉そうな態度だった。許認可権を持つ役所は未だにそういうところがありそうだ。金を借りる為何とか銀行に認めて貰おうと下手に出ざるを得ないのが現実だろう。

例の口の悪い友人は「奴ら金を貸さない理由は一切言わない。言うとその原因が取り除かれたら貸さざるを得なくなるからだよ。」と言っていた。「金貸しの知恵だろうが何かがおかしい。零細自営業には原則貸さないと言った方が分かり易いのだがね」と続けた。彼は長年住宅ローンも認められず、友人の建売不動産屋が奔走してくれてかなりの高齢になってやっと家が買えたそうだ。「若い時に買っていればとっくに苦労せず返済も終わっている年だ」と笑っていたが何か心なし寂しそうだった。

アーサー・ヘイリー(Arthur Haileyイギリス出身の作家)が「マネー・チェンジャーズ(The Money Changers)」という本を1975年に著しているが、その中で新任の黒人警察署長がスピード狂の銀行頭取を捕まえ、罰金を払わせるエピソードが出てくる。地方の名士である頭取からスピード違反があっても罰金を取った警察官はそれまで居なかった。その黒人警察官が後日、件の銀行に住宅ローンの申請に行くと頭取との経緯を考慮して窓口の銀行員は当然の如く断った。頭取に面会を求め断る理由を問いただすと、頭取は銀行員の不手際を謝った後、ローンを認めてくれた。その後二人の交友は発展し、後に退官後警察署長は銀行の警備主任に再就職する。

断る合理的理由が無ければ住宅ローンは貸すようにするのが銀行のあり方ではないだろうか。特定の業種の人に5件のマンションのローンを認めたり、大阪の料理屋の女将に1,000億円以上の融資をしたりするのは自分達で持ち寄った金で賄って貰いたいものだ。それなら誰も文句は言わないし、口の悪い友人から彼らも馬鹿扱いされなくなくても済むだろう。

日本が活性化するには新規事業の立ち上げが必要だと色々なところで言われているが、現実はまず不可能だ。金を借りるには過去3年位の決算書と納税証が求められる。新規事業を立ち上げる時そんなものは最初から存在しない。システムとして日本では新しいことが出来ない様になっているし、それ以上の対応をしようという姿勢は金融機関に全くない。

馬鹿丁寧な言葉で対応するのが親切な姿勢ではない。相手の状況を理解して適切に対応するのが本当の親切だろう。ファースト・フード店並のマニュアルで客を選り分けるなら何も一流大学を出る必要はない。所謂サラ金が全盛期に金融機関は胴元に迂回融資をやっていた。直接手は出さないが儲かることには参加する根性はさすがとしか言いようが無い。高いリスクの相手には高いリスクで自分が貸せばいいものを、自分の手は汚さないという金貸しの見本みたいな姿勢は貫いていた。金利も税金も払わなくて自分達の取り分は臆面も無く上げるところにその一貫性は見て取れる。さすがだ。

少なくともアメリカ並みにスリー・アウト・チェンジ位の事を考えれば少しは銀行も世間から認められるかもしれない。連帯保証人などという貸し手の責任を第三者に取らせるような仕組みは恥ずかしいと思う気持ちがあれば口の悪い友人も納得してくれるだろう。

口の悪い友人はいつも言っていた。“高い木は風当たりも強くなるし、影響力のあるとこは常に批判に晒される。それが正論であるかどうか別だが”

友よ、そんなに間違ったことを言ったつもりはないが。

平成25年2月3日
草野章二