オフレコとういうのは良く聞く事のある言葉だ。政治家が“公表しない事”を前提にマスコミに披露した話が“オフレコ”(Off
the record 記録を取らない、記事にしない)として日本でも定着した表現だという。結構この約束は破られる事が多いようだが。
過日、例の口の悪い友人と煙草の吸えるコーナーがあるレストランで食事した時、政治家ならオフレコになるような話がかなりあった。互いに大して発言の影響力が無い為、ここで差しさわりの無さそうな幾つかを披露しても彼なら笑って済ませるだろう。
「昔、“猿にも分かる”という謳い文句で、社会の色々な出来事をお笑い芸人相手に解説していたテレビ番組があった。無知な俺には結構勉強になったと今でも思っている。お笑い芸人を猿と決め付けて番組を進めるのは問題だと思うが、当事者たちが心得ていて、その役をちゃんと演じていたから成り立ったのだろう。俺の目からは彼等は俺同様無知かもしれないが、馬鹿ではなかった。むしろ優越感を持って、番組を見て笑っていた方が猿並みだったのではないだろうか」
彼に言われてみれば、確かそんな番組を見た記憶がある。主に時事用語を解説していたのを覚えている。
「ケネディーが大統領選挙に出馬した時、彼の陣営が徹底的にテレビ映りを研究したエピソードは有名だ。髪型・服装・ネクタイ・表情等々、選挙民に対する映像的な効果を徹底的に調べて演出したという。対抗馬の候補ニクソンは政治家としてはベテランでそれなりの実績と見識もあったのだが、若いケネディーにテレビ討論での見栄えで負けたと言われている。ジョン・F・ケネディーは優秀な兄の下で常に劣等感を持ち、親父からよく叱られていたそうだ。それに痛めた背中に持病を持ち、決して健康で逞しい若者ではなかった。出来の良い兄が戦死してなければ次男ジョンの出番は無かっただろう」
新しい煙草に火を付けて続けた。
「ケネディーの選挙戦以来、アメリカでは大統領選挙が変わったと言われている。選挙民に好感を持たれることが大事で、テレビの視聴者に与える印象が何よりも優先するのだろう。民主主義の大原則が国民参加の選挙にあることはどの国でも変わりがない。候補者のイメージが大事なことは良く分かる。だが、逆に国民はアメリカでもその程度で大統領を選んでいるとも言える。リンカーンも言っている様に“男は40過ぎたら自分の顔に責任を持て”というのは、どの国でも通用する至言なのだろう。だが、顔と表情で全てが語られる訳でもないし、当人の本当の価値が判断出来る訳でもない」
コーヒを一口すするとさらに続けた。
「よく考えてみれば、我が国での自分達の代表選びも残念ながらこの程度で決める事が多いようだ。国会議事堂にも本来居てはならない議員なら幾らでも居る。政治が悪いと文句を言う前に選挙民は自分達の選球眼を磨く事だ。シングル・イッシュウ(単一公約)の“原発即全廃”だけで通って来た議員など、その理論構成も無ければ天皇主宰の席でのマナーも心得てない程度の半端者だったが、選んだのは首都圏の選挙民だった。ただ、彼にはテレビを通しての知名度という切り札があった。一億人も人が居れば、優秀な人間は必ず居る筈だ。そういう人が出たくても出られない選挙制度を変える事が肝心だと俺は思っているがね」
これは彼のかねてからの持論だった。
「選挙に金が掛る仕組みを変えれば挑戦する人は増えるだろう。少なくともかつて良識の府と言われていた参議院の選挙だけでも新しい方法を検討してみては如何だろう。各政党が責任を持って有能な人材を発掘し、選挙資金を党で面倒を見て個人の負担を軽くすれば済む話だ。これで優秀な議員を選出出来るのなら、それこそ公費での負担も国民は納得するだろう。だれを選ぶかは各政党が決め、誰に投票するかは国民が決めればいい。また、何人かの推薦が纏まれば、政党に関係なく立候補出来る仕組みも作ればいい。そこでも選挙の費用は国費で賄う制度を採用すれば問題ないと思うがね。
半ば利権化した政治家の家業的後継者に、全てとは言わんがひどいのが居るのは国民も分かっている筈だ。選挙に出るのは自由だが、少なくとも親の地盤からの出馬は禁止しているイギリス並みのルールを作ればいいだけの話だ。これだけでも地元での利権がらみの話は透明度を増すだろう。サラリーマンだったら、数年後に任期が終わった時、職場での復権の道を残しておけば彼らも出やすいだろう」
そこまで言い終わるとトイレに立ち、ついでに買ってきた新しい煙草を開けると彼は続けた。
「話は変わるが、テレビには視聴率という黄金ルールがあり、どんな良い内容でも公共放送を除き数字が取れなければ放映されることはない。逆に数字が取れさえすれば、どんな下らん番組でも続けられる。視聴率の取れそうなアナウンサーはフリーになれば身入りが増えることから退社して独立し、辞めた後も古巣に出ていることなど珍しくもない。彼らなりの掟はあるのだろうが、どうも俺には理解し難い世界だね。年端もいかないニュースを読むだけの男女が、顔が売れて好感度が高いという理由で、すぐに年間億単位の稼ぎが出来るのは、やはり異常だ。テレビも不況と言われながら、たいした能力は無くても一回の出演で200万も300万円も取っていた司会者が多数居た事実は残っている。彼等は商売柄知名度の高い人達との交遊も増え、各分野の国民的ヒーロとも親しくなるのだろうが、番組で如何に自分が懇意であるかをさり気なく訴えて自分の商品価値を高めるあざとい手にはうんざりしていたがね。少なくとも彼等の分不相応な出演料はただちに改めるべきだろう。その後でなら、庶民の懐について同じ仲間の問題みたいな話をしても幾らか真実味は増す」
言われてみればその通りだ。一回の出演料で百万単位の収入を得ていて、“我々庶民の立場から”と力説しても説得力は全くない。芸にそれだけの価値があるなら別だが、キャスターを名乗る以上場違いな収入で庶民面するのはおかしい。また、アナウンサー上がりの司会者が“ちゃん”付けで伝説の国民的歌姫を呼んで、さも親しげに回想する様は何度も聞いていると嫌味以外の何物でもない。また、時の権力者にぴったり寄り添って党を渡り歩いた女性代議士もいたが、決別した後に悪口を言う品の悪さにこの女性の下心と本音を見た思いがしたものだ。どの世界でもこの程度のあざとい人間なら幾らでもいる。
「経団連の会長を務めた土光敏夫さんに、さるパーティで出会った大手建築会社の社長が挨拶に来て、“家を新築しましたので、是非お寄り下さい”と招待したら、“君は人の家(ビル)を建てるのが商売だろう。自分の家なんか最後でいい”と彼は応えたという。さらに“次の会がありますのでこれで失礼します”と言ったら、“君は宴席を掛け持ちする芸者か”と土光さんにたしなめられたそうだ。建設省から養子然と大手建設会社(ゼネコン)の跡取り娘と結婚して入社したこの社長はどうも嫌われていたようだ。このエピソードは昔読んだ経済紙に載っていたが」
彼はこう言って別のケースを紹介した。
この会社は本家の別荘に、時の首相を筆頭に各界超一流の客を呼んで豪華な接待をするのでも有名だった。嫁の実家の家業を継いで社長になり、一人前の顔をしている姿が土光さんの生き方には受け入れられなかったのだろう。土光さんの嫌う華美な宴と、あたかも上流階級の仲間面したこの俗物に何の評価も与えていなかった。自分で設立して大きな会社に育て上げたのなら、誰も家の新築くらいでは文句を言わないだろう。嫁の実家の社長含みの地位を求めて官僚の道を捨てたこの男を、土光さんは信用していなかったのだと思える。たいした能力も実績も無く、人の褌で相撲を取って当たり前の顔をしているのは、テレビだけでの出来事ではないようだ。見ている人は見ているとしか言いようがない。
「たいした能力も実績もなく表舞台に出てくる連中の事を俺は並べているだけだ。“火中の栗を拾った”と主張していた野党の代表は選挙区でも、比例でも今回の選挙で国民から見放された。自分から欲しくて拾った栗は“火中の栗”とは言わない。単に自分が代表の座を求め、その政党がそれを認めたに過ぎない。本人を除いて彼にその大役が務まらない事は少し物を考える人間ならこれまでの言動で分かっていた。この党にはテレビで売った顔やパフォーマンスで出て来た人間が多く、とても政権を任されるような人材は居なかった。これも最終的には選んだ選挙民に責任がある。沖縄の基地問題(最低でも県外移転発言)・東日本大震災での事後処理(特に福島第一原発)等を検証すると、無能と言うより有害と言った方が事態を正確に表しているだろう。この党に居て、自分の存在感を誇示したがるだけの“壊し屋”と言われた男も最後には何の政治的理念も無かった事がばれてしまった。国民はもっと早く目を覚ますべきだったのだろう。もっともこの党に限らず、他の党にも似たり寄ったりの連中が居ると言った方が正鵠を得ているかもしれんが」
いつもの彼らしい辛口になってきた。こういった発言はこの時が初めてではない。むしろかつて彼が問題提起した事が現実となったため二人で回想していると言った方が正しいだろう。彼のいつもの口癖である「俺にはしがらみと守るものが無い」というスタンスは明快に問題あるものをその都度遠慮なく抉ってくれる。
我々が少しばかりの個人的利益に拘って、徐々に大事なものを失くしていくのが彼には黙っておれないのだろう。テレビや、最近のインターネットの情報には勿論プラスの面が多くある。また、同時に弊害があるのも事実だ。
我々国民が自分で考える事を放棄して、何となく時流に流されていくと芯のしっかりした社会を構築するのは難しい。
「決め付けた言い方をすれば、安易に出た結論にはたいした結果は伴わない。損をしない生き方と、テレビで聞きかじった程度の皮相的な知識ではまともな判断が出来る筈がない。それが嫌ならそれぞれが学んで自衛するしかない。国の方向性など、孫子(まごこ)の代まで影響することを考えれば、議員を選ぶにも少し考えたらどうかね」
そう言って見せた彼の皮肉な笑顔には、気のせいか期待と諦めの表情が見えた思いがした。
彼に賛同するかどうかは別として、いつも刺激的な発言で私の目を覚まさしてくれる。私の買い被りかどうかいつも彼と別れると気になって仕様がない。
取り敢えず落ちこぼれでも長年の付き合いから評価しておく事にしよう。テレビで名前の売れている評論家と称する連中より私には彼の方が、より説得力がありそうに思えるからだ。
この歳で、ミイラ取りがミイラになったかな。この感想はオフレコにしよう。
平成27年1月20日
草野章二
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