しょうちゃんの繰り言


独占の弊害

年配の方なら思い出すかもしれないが、昭和54年(1979年)に国際電電公社(KDD)が関与した
大スキャンダルが報道された。きっかけは、KDD社長室の職員が海外から帰国の際、成田空港で海外高級ブランド品を不法に持ち込もうとして摘発された事件だった。その後、この事件の原因は半ば恒例化した不法購入の為の出張だったと報じられ、スキャンダルは拡大していった。さらにこの年から遡る3年間でKDDは総額58億円を接待費として計上していた。その中から1億2千万円が政治家のパーティ券等の購入費に充てられ、又政治献金もその中に幾らか含まれていると報道されたが、政治家への流れは解明されなかった。また、この事件で関与したKDDの社員2名が自殺したとも後に報じられた。

関連報道として、社長の奥さんのブランド品や下着まで接待費で処理し、さらに日常的に社長夫人には交通手段としてハイヤーが使われていた事も判明した。もちろんこの出費は公社の支払いで決済されていた。件の社長は郵政省からの天下りで、当然キャリアー組(高級官僚)だった。最近報道されている隣の国の桁外れの汚職には金額では負けるが、政治家・官僚ぐるみで半官半民の公社を食い物にした誠に品の無い事件として際立っていた。また、社長の公私混同も歴代社長の恒例となっていなければ、ここまではしないだろうと思えるほど荒みきっていた。

半官半民の電話会社に、この巨額の接待費は必要なのか当時話題になり、その接待の対象は誰だろうと一般の我々も疑問に思ったものだ。経営の中核に確たる理念や目的がない場合、トップが往々にしてこういった道を選ぶことがある。その時のトップは言うまでもなく偏差値最高学府を卒業して、官僚(公務員上級)の試験にも受かり、KDDへの天下りを含めそれまでの人生を所謂エリートとして歩んできた人だった。

日本には「晩節を汚す」という言葉があり、それなりの地位に到達した人は己の立ち振る舞いに気を付けるものだが、ここの社長の地位はそれさえ忘れるほど会社の風紀が乱れ、誘惑が多かったのだろう。乱れた風紀や悪しき伝統を改革すればその社長も名を残せたのだろうに、残したのは新聞の社会面で「汚名」という烙印の押された名前だった。

ちなみに当時の国際電話の料金は日本から海外への発信だと理不尽とでも言うしかない高額で、海外から日本への料金に比べその差は数倍どころの比ではなかった。本来ならここの社長は利用者の為に高止まりした電話代を少なくとも海外のレヴェルまで下げる努力をするべきだった。ところが馬鹿高い電話料でもたらされる利益に溺れ、この利権を天下り官僚の源泉とし、政治家にもそのおこぼれを流していた。甘い汁を求める人種にはもとより改革などという幼い(?)使命感は無く、人より優れた人間の当然の権利としてその地位に甘んじていたのだろう。そうでなければこの確信犯的なスキャンダルの全体像は普通の感覚では理解出来ない

この基本構造とその精神はもしかしたら今でも大して変わってないのかもしれない。リーダーの育成は、小手先の辻褄合わせでは難しい事を示したサンプルと言ってもいいだろう。程度の差こそあれ、これに似た話ならまだ幾らでも隠されているのではないだろうか。

国内も国際も、日本の電話料金は長い間必要以上に高かったのではないかと今でも思っている。携帯電話が登場した頃、日本は電話機の製造というハードの面では世界をリードしていると報道されていた。ただ、その普及はなかなか進まず、我々はテレビで海外の事情を時折知らされていた。その中で鮮明に覚えているのは香港の若者がごく当たり前に携帯電話を持ち歩き日常的に利用している風景だった。少なくとも日本で普及する前だったのは確かだ。日本で世界の最先端の機種を製造しているのに、なぜ一般に普及しないのか不思議に思っていたので香港の風景が記憶に残ったのだろう。さらに、当時の経済力は日本の方が香港より上だったと理解している。

日本で普及しなかった理由は簡単で、通話料金の設定が高く、また携帯電話そのものも高かったためだ。国内に大きなマーケットを持ち、ビジネスの可能性は充分あるのに、当時の経営者はその活かし方を知らなかったのだろう。決め付けた言い方をすれば、辻褄合わせで生きてきた人間の限界だ。多数の国民が普通に利用出来ない価格の設定では普及する筈がない。

KDDもNTT(日本電信電話公社)も競合相手がいない為、利用者の利便性を改善して収益を上げるという基本姿勢が伝統的に無かったのだろう。昔、市外電話料の高さは地方から出て来た我々世代や団塊の世代の人達なら良く知っていることだ。電話代が高ければ通常誰でも必要最低限にしか利用しない。一方設備投資(電話線の普及や中継局の設置等)が終わればハードの経費はメンテナンスが主たるものになる。安ければ人は頻繁に利用するのは分かり切ったことで、低価格で利用回数が増えれば収益が上がり、電話局・利用者共にメリットのある事に当時電話局は気が付かなかったのだろうか。

また、私が働き始めた1960年代は電話を取り付ける為に買わされる債券は初任給の3倍以上していて、さらに電話の設置には数カ月の待ち時間が必要だった。簡単に言えばマーケットは充分にあったし、ほっといても売り手市場だった。NTTやKDDが顧客の為に努力しなかった理由が分かるだろう。そこは正に利権の巣とも言える組織だった。ちなみに後に私が払い込んだ2台分の電話債券の決済はされないまま、NTTに取り上げられた。この件は誰も問題にしていないが、極めて不明朗な結末であった事は明記しておこう。

独占的な地位を占めた組織はこういった例からでも分かる様に、自ら利用者の便宜を図ろうとは普通しないものだ。どの分野でも競合する相手があって初めて利用者の為に本格的な改革がなされる。現在の携帯電話サービスなどその典型的な例だろう。この背景はより多くの顧客を獲得するため、各企業が利用者に提供するサービス競争が始まるためだ。従って、企業間の競争は常に利用者(消費者)にとっては必要なことなのだ。その目で見れば、競争の無い組織は未だに無愛想で効率もサービスも悪い事が多い。それがどこだとは言わないが。

電話サービスに競合相手が出て来たら、通話料は国内・国外共に瞬く間に安くなった。携帯でも同じことが言える。一番変わったのは多彩なデザインと色彩、それに電話機の持つ機能だった。マーケットを解放したお陰で電話機は携帯電話を含め、極めて短期間に多様に進化した。

ただ、私が問題にしたいのはこの古典的な利権とたかりの構造を蒸し返して非難する為ではない。方法はともあれ、安い通信手段は社会にとって非常に大事でかつ重要な事だと力説したいからだ。

パソコンの普及は通信手段に革命的変化と進歩をもたらしてくれた。スカイプの利用で海外の孫ともタダ同然で彼等の姿を見ながら話す事が出来る。また、かみさんが加入している携帯電話は、固定料金でかけ放題のサービスが付いている。もっぱら市外の友人にはこのサービスを利用している。

昨今、高齢者の独り住まいが社会問題になっているが、安い通信費のお陰で家族は遠くに住んでいても毎日のチェックと会話が気軽に出来る。また災害の時、家族はそれぞれの携帯電話で安全の確認が互いに出来るようになった。東日本災害時に一部で繋がらなかった経験もしたが、今では中継通信事情も改善されたと報じられていた。非常時の安心・安全の確認のため、利便性の高い通信手段は自然災害の多い我が国では欠かせないものになった。

一方で、携帯電話は子供や老人の位置確認にも利用出来るという。彼らに何か異変が感じられた時、保護者はすぐに居場所をチェック出来るようになった。人間の知恵は使い方次第で、この様に多様な用途に利用出来る。スマート・ホーンは子供の勉強の妨げになると最近問題になっているが、少なくとも人間の知恵の成果はいい方面に活かせば良いだけで、文明の利器の使用法は子供のしつけや家庭の習慣の問題だろう。大人に関しては運転中や、歩行中の使用はマナーの問題として民度を上げるしかない。弊害が派生したとしても、それはあくまで利用の方向性と節度の問題だ。

この30〜40年の電話の歴史とその裏側を見ても、大変な変化があった事に気が付くだろう。そして官僚が仕切っても旨くいかなかったし、むしろ彼等は自分達の天下り利権としかとらえていなかったようだ。通信はこれからも大事な役目を持つという観点に立てば、安く国民が利用出来る今の方向性を変えてはならない。

かつてNTTの社長が携帯電話の普及に関して「こんなに伸びるとは思わなかった」と正直な感想を述べていたが、電話通信事業のトップとしては先を見る目が無かったと糾弾されても仕方ないだろう。毎度言っているが、お勉強の出来た秀才に仕切らせても旨く行くとは限らない。

人は自分の育った環境での価値観や習慣を自然と引きずって歩くことになる。評価の基準と価値観の違う場所では他の場所で優秀とされていたことが全く役に立たない事もある。かつてトップで天下った官僚がKDDやNTTでどれ程の事が出来たのか検証するのも意味があるだろう。独占企業の時は誰がトップでも悪い事さえしなければ何とかなる。だが、時代に応じた発展を遂げる時、残念ながら彼らに多くは期待出来ないだろう。彼らを買い被るのはそろそろ止める頃かもしれない。

新しいものに挑戦し、新しい時代を開くにはどの分野でも既成のものに捉われないチャレンジ精神が必要だ。秩序は大人が後に構築してあげればいい。

独占に胡坐をかいていても誰も幸せに成らなかった事実は嫌というほどある。もう少し目を開けば誰もが喜ぶ方法があるかもしれない。

かみさんの下着は自分で買う事だ。そうすれば誰も文句は言わない。


平成27年1月16日

草野章二