しょうちゃんの繰り言


誰が病気を治すのか

普段我々は病気を治してくれるのは医者だと思っている。ところが例の口の悪い友人によると「医者は原則病気の診断や、外傷・骨折・火傷等の処置をするだけで治すのは患者本人だ」と力説していた。

彼の説によると「人間の持っている自然治癒力が病気を治していて、医者が出来るのはそのアシストだ」と言う。「例えば人間は怪我をしても血小板の働きで自ずと出血が止まるようになっている。大きな傷の時医者は縫い合わせて致命的な危機を救ってくれるが、病気・怪我を治すのはあくまで本人の持つ自然防御の働きだ」とも彼は言う。

言われてみれば納得出来ることもある。そしてさらに「そこの原則を分かっている医者は認めていいが、俺が治してやるという医者には禄なのはいない」と過激なことを言っていた。「自然界の動物はすべからく自分で治すことが原則で、治らなければその個体は生存に適さないだけだよ」と言い放った。

「風邪を引いた時医者は一週間分の薬をくれ、念のためレントゲンを撮り、注射までして患者を帰す。時には抗生物質の薬もかつては処方していたが、身内が来た時連中は同じことをやるのかね」、さらに「風邪を治したければ消化のいいものを食べて身体を温めじっと家で寝ていることだよ」と続けた。「現代医学では風邪も治せないのが現実だよ。だから分かった医者なら自分を含め身内には決して余計な診療や投薬はしない筈だ。金になるから赤の他人の患者には色々手を尽くしているだけだ」

「ただ連中の貢献は俺も認めている。彼らの努力で人類は細菌による病気は克服出来た。それに致命的な怪我や火傷からも生還出来る様になった。潜在的な病因を早期に見つけることによって人が長生き出来るようになったのも事実だ。それでも病気が治るのは本人の持つ自然治癒力で、その力がなくなれば寿命が尽きたと思った方がいい」なるほど病気・外傷に対する処置とその状態から健康な身体に戻るのは彼の言うとおり別のことだ。医者が出来るのはそのアシストだという彼の説明もよく納得出来る。「科学技術の進歩で病気の原因や病巣の正確な診断は出来るようになった。それにどう対応すればいいかという事を含め医学の進歩があるのも事実だ。免疫力を高め自然治癒力を増すのが病気の克服に一番役に立つ。ガンだって例外ではなく原則は同じだよ」馬鹿の行く学校を出た落ちこぼれと自分で称しているにしてはなかなか鋭いことを言う。

彼から医学の講義を聞くとは思わなかったが、同年代の我々には聞くべきことがあるような気もする。古希を迎える我々の年代は友人や同窓の集まりでは何処でも話題が決まっているかのように、まず健康と病気、それに続くのが孫の話だ。

先日も高校の同期の集まりで人間ドックの話題で盛り上がった。行政の援助のお陰で殆どが定期的に検診を受けていた。半数以上が血圧や血糖値が高く、中性脂肪・尿酸値の高いのも何人か含まれていた。いずこにも見られる後期高齢者集まりの風景だろう。孫の話に“外国に居る”と枕詞が付くのが必ず何人か居るのも時代を反映しているようだ。

そんなのどかな風景も口の悪い友人に言わせると「70歳を過ぎれば車で言えばポンコツだ。エンジンはもとより、足回りや電気系統もガタが来ているに決まっている。金を掛けて調べるまでもなく全てがくたびれていると予想出来る。血圧も必要があるから年相応に高くなっていると思えば別に病気扱いしなくてすむ。WHOの基準が低いため医者のいい稼ぎになっていると俺は思っているがね」と相変わらずの皮肉な口調での持論だった。

「20年以上前、胆石を摘出した時、胃カメラを初め色々調べられたが、それ以来人間ドックなど受けたことは無いし今後も受ける気もない。俺なんか節制もせず酒やタバコは無制限、睡眠時間はイレギュラー、こんな生活を50年以上もやってきた挙句今さら医者の世話になり、寿命を延ばしたいというのは虫が良すぎるだろう。老人は消え行くのみだよ」そう言って彼は知人の医者から送って貰ったという「フィンランド症候群」と書かれたFaxのコピーを見せてくれた。そこには彼の地での綿密な調査が纏めてあった。長期間の追跡調査で定期的に健康診断をしたグループと、全く診断を受けなかったグループの寿命の結果が出ていたが、予想に反して健康診断を受けなかったグループが長生きしていた。

自分の健康を常に気にしているより、気にしない方が人間長生き出来るようだ。気にすることがストレスとなり、何らかの肉体的トラブルに結び付き寿命を短くしていると推測出来る。これでは口の悪い友人は喜ぶが、医者は困るだろう。皮肉な結果だが人間に感情があり、それが肉体に良い影響も悪い影響も与えていることは充分理解出来る。口の悪い友人のことを熟知している医者が彼にFaxをわざわざ送ってくれたのは何となくうなずける。「そのままで良いよ」という医者からの彼に対するメッセージだと考えられ、二人は互いに分かり合ったいい関係なのだろう。

確かに医学の進歩は客観的に見て人類に貢献している事は否定出来ないが病気を治すには、口の悪い友人が言うように、所謂西洋医学で全てが収まりそうにない。ガンセンターの歴代理事長も1〜2名を除きガンで亡くなり、最近でも当時現役理事長の奥さんがガンで命を落とし彼は本まで出版して奥さんのことを偲んでいた。夫婦愛に富んだ感動的な本だが、まさか自分の家内がガンに”という立場上の困惑と驚きが綴られていた。

素人判断では彼らはその置かれた環境から、少なくともガンに関して現代医学の最高峰の医療処置を受けたと推測される。それなのにこの結果はどうしてだろうと疑問が湧く。皮肉な言い方をすればガンセンターでもガンを治せないと言えないだろうか。ガンセンターと言うからには、ガンに特化した診療を専門的に行っていると考えてもいいだろう。それでも現実はこういった厳しい結果になっている。勿論ガンセンターの治療のお陰で社会復帰し、その後何ら支障なく長年生きている人達も居ることだろう。しかし現代医学最先端の専門的治療を行っても全てのガン患者を救うことは出来なかったと言っても間違いないだろう。

かつて結核が不治の病と言われていた時期があった。医学の進歩はやがて不治の病だった結核を克服したが、ガンに関しても近い内に克服出来ることを期待したいし、信じたい。しかし現状はトップレベルの関係者もガンに侵され残念ながらガンから生還することが叶わなかったのが事実だ。

こういった事実が分かってくると素人の予備患者としてはガンセンターの処置に全てを任せる気にはなかなかなれないのが本音ではないだろうか。

また医者によっては抗がん剤に疑問を持つ医者も少なくない。著名医大の専門家さえ実例を挙げて堂々と現状の抗がん剤投与に反対する例も見受けられる。

「寿命が延びればガンになる人は増えるだろうし、現代医学技術の進歩がガンの発見を促す面もあるだろう。従って相対的にがん患者は増えガン発生率が高まるのは不思議ではない」口の悪い友人は続けた。「ガンになる前に他の病気や怪我で死ねばガンにはならないし統計上は数字に出てこない。他の病気で死ななければ残った致命的な病気はガンということになり、治り難い病気の代表がガンであれば長寿社会ではガン死亡率が一位になっても何らおかしくない。この客観的事実を恐れる理由はなんにもない。人はいつか死ぬのは皆納得している。ただ生きている間は、死は自分事だと考える人もあまり居ないし、本能的にもっと生きようとするからガンが怖い存在になる」

彼の言うことにも一理があって、長寿社会がガンの発生率を統計上高めているのは事実だろう。「俺の知り合いの医者は自分が血圧160もあるのになんにも手を打ってない。挙句にガンは治さなくて共存すればいい。結果自分の寿命の方が長ければ無理して抗がん剤を使用することもないと公言しているよ」

変った友人とその知人である医者は専門が違っても医療に対する基本的な姿勢は同じだったということだろう。気が合ったと言うのか同じ穴の狢(むじな)と言うのか、主流にはなれなくとも説得力はあるような気がする。

「医者を選ぶも寿命のうちと言うだろう。70過ぎたら選ばなくても俺の寿命はもう尽きているよ」と笑いながら平然としている彼がとてつもなく達観した哲学者に見えてきた。

そんな彼も最近脳梗塞になり、医者から禁止されても平然と「リハビリで煙草と酒をやっている」と公言し全く懲りていない。

若しかしたら彼は哲学者ではなく落ちこぼれの本当の馬鹿かもしれない。

平成25年2月12日

草野章二