しょうちゃんの繰り言


守るも攻めるも

立場が変われば意見が異なる事は個人間でも国家間でもよくある話で大して驚かないが、その妥当性の判断はあくまで主張している主旨に正当性と整合性があるかどうかだろう。個人の日常的なトラブルでは経験豊かな年配者が事を納めてくれる。利害の絡んだ争いには裁判という裁定方法がある。国家間の争いもオランダのハーグにある国際司法裁判所が裁定してくれるが、領土問題で日本と対立していると主張する近隣の国はこの国際的に認められた公の場所での裁定がどうも嫌いなようだ。

子供の争いは、まだ判断力が備わらない為に互いが自分の主張を譲らない事で起きる事が多い。自分の主張がおかしいと気付くある程度の年齢に達すれば、こういった争いは自ずと収まってくる。ところが大の大人なら、まさかと思うような主張や結論を国家間の争いでも往々にして垣間見る事が出来る。その主張の背景も自国に都合のいい解釈に終始し、事の正否はともかく相手に烙印を押し、それが国際的に認知され流布されれば勝ちとする卑劣な手法も外交手段として認められているようだ。本来なら理性的に史実に基づいて判断するべき国際的機関も歴史的事実を丹念に検証する事もなく、主張の本質をわきまえない人達に簡単に左右されている。明らかに負けているボクシングの試合で勝ったとばかりに選手が両手を上げ、審判も不明朗な判断を下した例は過去幾らでもあるが、英知の結晶とされるべき国連でもアメリカ議会でも、明らかに負けている選手の手を上げる愚を平気で犯している。

また、国連で拒否権という民主主義に反するような権利を小数の国が21世紀になっても保持しているのはどう考えてもおかしい。こういった仕組みに異論を唱える国はあるのだろうが改まる気配は今のところないようだ。国連の経費をアメリカに次いで長年二番目に多く負担している日本が、ドイツなどと共に未だに敵国条項に縛られている現実は笑えないブラック・ジョークとでも言うしかない。列強国に拒否権を与えるなら、大スポンサーである日本にも無条件で常任理事国の地位と拒否権を与えなければ辻褄が合わない。現状を見る限り国連には形骸化している事が多いと断罪しても間違いないだろう。権威ある組織に作り直せばいいのだが、各国のエゴが働いてそれさえも出来ないでいる。現状では国連信仰もほどほどにしておいた方が賢明だ。絶対権威を誇れるほど立派な組織とは慰安婦問題の対応を見ても思えない。歴史的事実に基づかない判断や裁定は本来知性ある人間のやる事ではないが、一部の委員は所謂従軍慰安婦問題として提出された案件に関しては、理論構成の整合性さえ疑うような結論を出しても改めようとはしない。結論ありきの、どこかの無謬を誇る新聞社と同じ様な体質なのだろう。国連の判断の重みを自覚してないかの如き裁量は早く改めて貰いたい。委員に能力が無ければその任を解くべきだ。

慰安婦問題についての下された結論で異を唱えている訳ではない。判断、若しくは訂正の材料は揃っているのに国連の人権委員が公平な審判が出来ない為敢えて注文を付けている。国家の威信に関するジャッジメントを一人の委員の偏見に満ちた報告で済ませているところに問題がある。先入観に惑わされる程度の知性を世界の組織に係わらせてはいけない。国の評価が試されている重大な判断だという認識があれば、国連の各委員は充分な検討と反対意見を聞く冷静な耳を持つべきだろう。史実に基づいた判断で報告が出されたのであれば、よしんば日本に不利な結果だとしても我々日本人には受け入れる度量はある筈だ。

第二次大戦終結から70余年経っても、ドイツ・日本・イタリア等の国は当時の連合軍から終戦後敵国と看做され国の名こそ条文には明記していないが、この三国を初め連合軍と戦った幾つかの国が実質未だに国連の敵国条項の対象国として残っている。改正の動きは過去何度かあっても、纏まらないのが現実だ。国連がまともに機能してない事がこれからも窺える。

また、わが国でも慰安婦問題に関してはありもしない話を国連の人権委員会に持ち込み、見事母国に汚名を着せる事に成功した日本人弁護士も居る。不確かな韓国人慰安婦問題に火を付け、慰安婦の弁護を買って出た女性弁護士は今でも我が国の国会議員として在籍している。事実なら国民も納得し弁償にも応じるが、捏造されたものは断固否定し、この弁護士達の責任も新聞社と同様問うべきだろう。如何に国益を損じたか彼らは認識していない。それどころか人権を振りまわし、正義のヒーローを気取っているのだから始末に負えない。まだ政務費をごまかして号泣した県議の方が罪は軽い。何故なら、それぞれが未熟で愚かな所業の極みだが、県議の国際的影響は他と比べて笑い程度で済むからだ。

一流新聞社・弁護士・国会議員・国連と並べると、世間ではひとかどの見識を持った人達が携わっているだろうと勝手に連想するが、今回の慰安婦問題の経緯を見ていると攻める方も守る方も実に杜撰であった事が浮き彫りにされてきた。結論としては人の判断力は後ろで見ている人達を含め、いつもこの程度で事実や歴史は幾らでも変えられるという怖さを知る事になった。

東京裁判で日本の指導者を平和や人道に対する罪で裁くなら、一般市民を対象とした無差別攻撃の究極兵器、原子爆弾も充分条件を満たしていると思うが、それを使用した国はこれから何年経っても人道に対する犯罪として歴史に取り上げられる事はないだろう。残念ながら勝者の理論で後追い裁判は決着が付けられ、この歴史も余程の事がないと書きかえられる事はないと断言出来る。

事実や真実が必ずしも歴史に残る訳ではない。世界の歴史は権謀術数(*巧みに人を欺くはかりごと)にまみれ、力あるものが常に勝者として残る事になる。私の短い人生でも何度かこの目でその例を見る事が出来た。正に人類が常に直面する不条理だろうが、世界の政治は必ずしも理屈や道理で説明のつく代物ではないことが分かる。政治家が安易な妥協を重ねていると後世には唯一従軍慰安婦を軍の力で拉致・強制し、他国の女性を性奴隷として扱った日本民族の栄誉(?)が歴史にいつまでも残るだろう。

政治家なら、知恵ある弁護士なら、知性ある一流新聞社なら、当然彼らは自分の社会的役割をわきまえておくべきだが、思慮の浅い人間はどこにでも居るようだ。国の為に事実と違った事を主張せよとは言ってない。少なくとも事実に無い事を捏造する癖は止めて貰いたい。如何に同胞を落としめているか彼らは考えた事があるのだろうか。言い訳にもならない自分達の弁解(見解?)を、誤謬を元に主張した件の新聞社が紙面に発表していたが、知性ある人間を自負するなら恥かしいような内容だった。あの程度で国民を誤魔化せると思っていたらとんでも無い勘違いだ。あの組織にも物の道理が分かった人や知性豊かな人も居ると思うので、勘違いした連中を全て追い出し、まともな人達で新しい道を歩んで貰いたい。新聞には新聞本来の役目がある筈だから。ただ、彼らの目的が日本の弱体化と解体を狙いとしているのなら「お好きなように」と言うしかない。それでも読むか読まないかは読者が決める事だ。

日本には「言い訳と膏薬はどこにでも付く」という古くから言い伝えられている格言(?)がある。念の為強調しておくが、これは決して褒め言葉ではなく揶揄している事を当事者は良く理解していて貰いたい。リベラル・人権派と聞けば何となく良識派・弱者の味方と連想するが、必ずしもこの看板は中身を保証してない事がある。「三百代言」という表現も最近は聞かなくなったが、この言葉は三百文(安い金額)で引き受け不適切な活動を行った弁護士を指していた。こういった人達は昔から居たことを古い言葉は我々に教えてくれる。

人類は科学技術を除けばあまり進化出来ないのだろうか。主義・主張に違いいがあるのは理解出来ても、事実に反する事や捏造で自分達の主張を通そうとするのは多くの場合見破られる。誠に厄介な存在の人達だがこれも人類が払わされるコストなのだろう。

幸いなことに、こういった厄介な人達は大勢(たいせい)を占めては居ない。いずれ孤立し誰も相手にしなくなるのだろうが、時として歴史に間違った記録を残す元凶になる事がある。それ以前に影響を受ける愚かな人達が出てくるのも事実だ。高等教育を受けても何故(なにゆえ)に判断力のない人達が育つのか大いに興味が湧く。簡単な括りをすれば「それは人間だから」と言うしかないだろう。

幼い命を親が自分の手で虐待の結果断つような事件がある度に「人でなし」と表現するが、これは「人だから」と改めなければならないだろう。他の動物には見られない現象を「人でなし」と表現するのは適切ではない。神は人に知恵を与え、他の動物と際立って違う能力も与えてくれたが、その方向性に関しては我々人間に任せてくれた。その結果生じている現象だとすれば「人間だから」と甘んじて受け入れなければならないだろう。見方によっては負の遺産にしか思えない事も、人の営みの一部としてあり得る事だと覚悟していた方が良さそうだ。

知識の習得と教育が高まるほどその攻め方は荒唐無稽に変質していく。素朴に生きる人達から見れば正に正気の沙汰ではない。厄介な事に守る側の弱点を良く熟知していて、今では国際的な機関に持ち込み何とか主張を通そうとしている。

口先での謝罪や反省をする前に、何が間違えていたのかを良く理解して欲しい。殆ど手段を選ばないような作戦を取り祖国を攻撃するが、正当な理由さえあれば国民も或いは納得するかもしれない。ただ、自分の勝手な思い込みだけでは今程度の最低の評価でも充分だろう。三百代言レベルの弁護士や、プロパガンダに終始する新聞は隣国で受け入れられても今の日本では先行き見通しは暗い筈だ。それでも高学歴の無知な愛読者という人間を幾らか騙せるかもしれない。

犯罪が複雑化し、「オレオレ詐欺」も進化しているらしいが、三百代言や新聞まで手口を真似する必要はない。攻めるも守るも何のためにという基本を思い出すだけで大分変わるだろう。

そう言えば、日本には「盗人猛々しい」という言葉もあった。厚かましく世に出てくる連中に同じDNAが隠されているようだ。恥を知らない人達の特徴で、一瞬目立っても長い目で見れば国にとって良い事は何もない。国会から消えていった連中を見ると何故選んだか今度は選挙民が考える番だ。すぐには良くならなくても、少しでも国民の見る目が変わればやがて子孫に誇れる国が出来るかもしれない。

新聞社は読者が支え、国会議員は選挙民が支えている。弁護士は考えてみれば、トラブルを抱えている人達が支えている。攻めるも守るも苦労する筈だ。

平成26年11月24日
草野章二