しょうちゃんの繰り言


生業(なりわい)

生業とはまさに生きるわざで、全ての業は他との結びつきで成り立っている。ビジネスでの成功者には天からの贈り物ではなく、ビジネスを通して使用者・利用者から支払われた対価が直接又は間接的に成功者の懐に入ってくる。長年の経験からそれぞれの利益率には相場があったが、特に金融界では人は幾らかでもより儲ける事を試み、複雑になった金融商品の仕組みの中から自分・会社の取り分に執着するようになってきた。個人の欲が全ての原動力としても、社会的にバランスが取れないとその社会は不安定な様子を見せ始める。正当かどうかは別として、妬み、嫉みは誰しも持つ生れ付きの性向で、長い目で見れば格差の拡大は好ましいことではない。金融での不労所得が脚光を浴び、経済のダイナミズムという修辞でアメリカを中心に持て囃されているが、今や行き過ぎの感がする。投機を基本にした経済活動には価値を生み出すものがない。実体の無いところでの経済活動は分かり易く言えば単なるギャンブルに過ぎないだろう。こういった経済活動が果たして正当な歴史の評価を得られるのだろうか。

人が生業を営む時、リスクはあっても格段に効率の良い儲け口があればどうしても目はその方を向くだろう。手持ちの何倍かの資金を動かせる仕組みを導入すれば、確実に何人かは法外な不労所得を手にすることが出来る。しかしその背景にはその分ギャンブルに負けた人たちの賭け金を原資としてなければこのゲームは成立しない。一方、ディラー(金融会社)は賭け金(動かす金)が多いほどテラ銭(手数料)が儲かる仕組みになっている。

金融工学とか新自由経済とか目新しいラベルを貼っても、中身の本質は単なるギャンブルに過ぎない。単に儲ける事を目的化したマネー・ゲームだという事に早く気付いて欲しい。目先の利益を手段を選ばず求めれば、社会は必ず荒廃する。金融で長く栄えた国は歴史上存在しない。優れた技術を持った工業国だったオランダは、チューリップの投機に象徴される金融バブルでその基盤さえ失くしてしまった。友人が言うように“金貸しと株屋が大手を振って歩くのは見苦しい。”というのはある意味本質を突いている。彼らは決して社会の主役ではない。“人の褌で相撲を取る奴は日陰で大人しくしていればいい。何が金融工学だ。”と容赦ない。自営業の彼にはどの銀行も住宅ローンや、運転資金を貸さなかった恨みではなかろうか。しかし彼の発言にも一理はありそうだ。“先を的確に読んでの投機で儲かったにせよ、そこには何の価値があるのか?”というのが友人の投げ掛ける疑問だ。多分それには何十という経済学的言い訳が用意されていることだろうが。友人はさらに“「金は良き下僕、悪しき主人」という言葉が、誰が言ったかフランスにあるが正にその通りだね。”チューリップの球根一個が馬車一台の値段より高くなり、家の値段と同じになっても人々は買いあさった。今では我々はそんな当時のオランダの現象を笑っているが、我々が何10年後に誰かに笑われることになっているかもしれない。

今の日本には形式上の身分制度は無いが、それに類するものは残っている。家元制はその典型で、お茶や花、踊り、歌舞伎という狭い趣味や娯楽の世界であれば容認の範囲とも言えるだろう。それが政治の世界に及び、かつ無能な人間が後を継ぐと本人は元より、国民は不幸である。ただ仕組みとしては国民が選ぶわけだから無能な跡継ぎやその選挙民にしてみれば“余計なお世話だ”ということになりかねない。

日本で残されている身分制度に等しいものとしては他に地主が挙げられるだろう。自宅をローンで払っている程度の地主はこの範疇に入らないが、都市近郊の農地・住宅地を広く占有する地主は、国民総出での付加価値の上昇を独り占めする特権を持っている。(拙文「物の値段」を参照)

農地を含めた土地が有効に利用されず、単に地主の思惑で実質塩付けされているケースは幾らでもある。範囲を絞って東京だけに焦点を当ててみても、この都市は雑然としていて場所によっては消防車さえ入り込めぬ住宅街がある。世界の代表的な首都と比較してみれば、特定の中心部を除き東京の佇まいは決してその経済的ランクに相応しくはない。公共のためというコンセプトと制度上の仕組みがきちんと出来ていれば、これほど醜悪な都市をいつまでも晒す必要は無い。ただただ、個人の損・得というエゴが再開発の進まない枷になっている。応分の要求は理解出来ても、ごね得の姿勢はひたすら情けない。公共のためなら少しの犠牲は厭わないという態度がどうして取れないのだろう。これは持たない者の小さな正義感なのだろうか。このエゴが全ての階層に蔓延していて、天下りの官僚を胸を張って批判出来る人は少ない。お互い様の馴れ合いでは進歩も改良も叶わないだろう。正論が通じないのはそこに原因があるのかもしれない。そうやって残した資産が子供の争いの種になるのは珍しくない。

前にも何度も述べたが、イギリスの貴族はひとたび国難に面すると最前線に出て指揮を執り戦った。国のため自分を犠牲にする事を義務と誇りに思っている。フォークランド紛争の時も王室から前線に出て戦っている。

指導者に自己犠牲の精神がなければ、その部下は誰も信頼を寄せないだろうし、そういった組織が普遍性を持って長続きする筈がない。下の者が物を言わないのは単に自己保身のためで、馬鹿な指導者に信服して従っている訳ではない。今日のサラリーマン社会では良く見られる光景ではなかろうか。

人は何らかの形で社会との接点を持っている。社会に対する貢献度がプラスであれマイナスであれその絆は存在する。(拙文「絆」を参照)

問題なのは、それぞれの生業から生まれた絆がどこかで方向性をなくした場合だ。官僚は国と国民に奉仕するのが一番の役目だが、現実はどうだろう。作る人が居て、買う人が居る。互いに必要とされている場合、相手に対する敬意は払うべきだろう。米を何の心配も無く必要な時、必要なだけ食べられるのはそれを作っている人が居るからだ。勿論その流通に携わっている人もいる。それぞれの生業が互いに必要とされるから、働き甲斐・生き甲斐が生まれる。それが価値を生み出さない単なるマネー・ゲームの場合、関心は自分が儲かるかどうかだけである。こういう分野で資産を形成しても誰も敬意は払わない。不労所得には所詮その程度の評価しか与えられていない。必要な天下りは大いにやればいい。それで社会に貢献出来、それが妥当な対価であれば誰も文句を言わないだろう。

友人が言っていた。“生業が社会に必要とされていることは本人の生き甲斐にもなり得る。人の価値は残した資産で計られるものではない。この原則を弁えないで、福祉の仕事をしながら高級住宅地に30億円の豪邸を建て、同じ様な金額を別荘にもつぎ込んだ男が居た。問題があって国会にも召喚された、福祉から一番遠いとこに居る男だと思うが、一流銀行は彼に金を出し自宅も別荘も出来上がった。さすがディスコで儲かった男はやることがえげつないと思ったものだが、金融機関の判断力の無さは情けないくらいだ。”

ちなみに付け足すと彼の下、現場で働いていた介護士は月18万円しか貰ってなかった事実も当時明るみに出た。“福祉は自分の理念だ”と最後まで喚いていたが、福祉を食い物にしたいい例だ。口の悪い友人から金融機関が馬鹿にされるのが良く分かる。しかし、儲ければ何でもありという浅ましい根性は昔から日本にあったのだろうか。

私の父(明治生まれ)やその友人達は愚直なほど誠実な生き方をしていた。“人様から後ろ指を指されるな、身の丈に合った生き方をしろ”というのが口癖で、多く貰ったお釣りは必ず帰しに行っていた。正しい判断かどうかは別として株をやる連中は「かたぎ」とは別の人種だという捕らえ方を父はしていた。“まともな人間が手を出すものではない”と親戚の者に説教していたのを子供心に憶えている。彼らにあったのは凛とした誇り高い生き方で、浮利を追うとか、人の弱みにつけ込むと言った言動を私は一度も父親に見たことがない。決して金持ちではなかったが生き方に筋金が通っていた。頑固な明治男の典型だった。ちなみに、あの頃のおじさんたちは誰の子供でも行き過ぎがあった場合たしなめていた。世間というのはそんなものだと理解して育ってきた。

友人が言うには、“世の中に怖いおじさんが居なくなり、子供はほぼ放し飼い状態で、銀行は金さえあればもみ手をする社会は我々が本当に望んでいる社会なのだろうか。「膏薬と言い訳は何処にでも付く」という古い言い伝えがあるが、やる事に凛とした背骨がないため、人は愚にも付かない自己弁護で自分を正当化する。揚げ足を取って、見苦しく聞き苦しい話は国会の中継だけかと思っていたら、あらゆるところで蔓延している様にみえる。品も何も無い小銭持ちが幾ら増えても、彼らは礼節には程遠い人種だよ。これでは国が良くなる筈はない。”友人の言うことはいつも過激だが残念ながら何かしらの心当たりがある。

“誇り・品性・人徳といった人間に一番大事な要素をないがしろにして、いい国を作ろうとしても無理だね。まず影響力のある地位に居る人や企業が何をすればいいのか今一度考えてみる事だ。互いが小商人(こあきんど)の性根では、せいぜい頭の中身より残した小銭や家の大きさを競うのが関の山だろう。それを評価するのは金貸しくらいだね。”言葉は毎度辛らつでも、彼の言うことには成る程と思わせることが多い。

“我々日本人が忘れかけているものを今一度取り戻す事が出来れば、もっとましな社会が出来る事だろう。教育の基本は小賢しい事を覚えさせて、それを正確に答えさせることではない。今のやり方は、学ぶということを何か勘違いしているとしか思えない。これでは大局観をもって判断する人間など育つ筈がない。今の日本を見れば戦後教育の成果は充分分かるだろう。”

「悪しき主人」を求めるより、大した学歴も無かった明治生まれの父親の「身の丈に合った生き方」が何か誇らしいことに思えてきた。

平成25年5月15日

草野章二