しょうちゃんの繰り言


判断力は何処から

東日本大震災の折、首都圏では鉄道が止まり所謂、帰宅難民で大混乱が起きた。必然人々は自宅まで歩き、中には会社のある都心から自宅まで十数時間かけて辿り着いた例も数多く報告されていた。誰もがこういった災害時の対応を考えていなかったし、会社も何の対策も練っていなかった為の大混乱だった。この混乱期に起きた様々な人々の対応が後になって総括されることになった。

知人は帝国ホテルで地震に会い、そのままロビーで様子を見ていて結局一夜そこで過ごすことになったが、ホテル側はロビーに避難して来た客に無料で飲み物や軽食を提供し、暖かくもてなしてくれたという。さすが一流ホテルの対応は違うと感心したものだ。ホテル・ニュー・オータニでも同じ様な対応をしたらしい。多分他にも同様な対応をしたホテルはあっただろう。

また、東京ディズニーランドでは帰れなかった来客に飲み物・食べ物に加え毛布も提供し、子供たちには売店にあったキャラクターの人形を現場の担当者の機転でプレゼントした、とテレビで報道していた。担当責任者は“当然の事をしたまで”と謙虚に対応していたのも好感が持てた。公立・私立を含め、学校も講堂を開放した例が多く見られた。困った時に助け合うのは当たり前、と冷静になれば誰でも思うが、率先して困った人達に手を差し伸べるのは日ごろからの心構えがなければすぐには行動には移せない。特に判断力の低下が言われている昨今、こういった例は広く世間に知って貰い、次の災害時に是非役立てて欲しいものだ。奇しくもサービス業の最先端に位置する彼らが、何の躊躇もなく反射的に被災者の援護に動いたことは大いに評価されていいだろう。彼らのサービスには確たる理念が伴っていたとも言える。

一方、JR東京の各駅は早々とシャッターを閉め、駅構内への出入りを禁じてしまった。沢山の人が動けばトイレの需要は増すはずだし、特に女性は困ったことだったと想像出来る。何故トイレと待合のベンチを歩いて帰宅する人達のために解放しなかったのか理解に苦しむ。確か当時の東京都知事もJRの対応に非難の声を上げていたと記憶している。

同じ様に有名なファースト・フード店も東京では早々と店を閉め、沿道を歩く潜在的顧客に背を向けていた。店員の安全や彼らの帰宅の問題を抱えていたとしても何人かのスタッフを残し、トイレを開放して暖かいコーヒー位無料で提供していれば、昨今言われている12ヶ月連続売上高減少ということにはならなかっただろうと思ってしまう。マニュアル通りに仕事はこなせても、マニュアルに載ってない人間としての応用力は上から下まで皆無だったことが図らずも証明された。

多分彼らにも駅を閉め、店を閉めたのには十分な理由があったに違いない。ところが一方で現実に何十万、何百万という人達が帰宅難民として自分の足で遠路帰途に向かわざるを得なかった。その時の苦労を考えれば自分たちのことは少々犠牲にしても日ごろお世話になっている人達に手を差し伸べて欲しかった。

いざという時、人間の力量が出ることが多い。自分の事や組織の目先の利害には敏感だが、長期ヴィジョンに立った判断は、それなりの社会的訓練と生きる哲学が基本になければ適切に下せない。指示されたことや教えられた事には対応出来ても肝心の時の判断力に欠ける人間が増えている。日本が偏差値教育と称して与えられたことの再現に未だに血道を挙げているのが私には良く理解出来ない。偏差値の上では最高学府を出てきているのに役に立たない社員。司法試験を受かって来ているのに判断力の無い弁護士・検事・裁判官。こういった例は世間にごまんとある。厄介なことに国家資格を取ってくれば医者や公務員は能力や適性がなくても首にはならないし職を失くす事もない。

こういった事例がごく少数で納まっていれば大した問題にならないのだろうが、気のせいか各分野で高偏差値人間たちが常に社会を賑わしている。判断力の基準がどこにあるのか分からない人が増えてはいないだろうか?

つい最近では英語検定のTOEICで好成績をあげた社員が英語でも役に立たないケースや、偏差値最上大学の卒業生が指示された以外のことに対応出来ないケースを一流企業の人事担当者がネット上で嘆いていた。彼らは試験に受かることには努力し成功したが、その試験が何を求めているかには関心がないようだ。こうやって難関を突破してきた成績優秀な若者が一部とは言え実社会では役に立たないとすれば、日本の教育も少し方向転換した方がいいのではないだろうか。出来る人間は学歴に関係がない。だが学歴を基準にし、かつ出身大学で若者の序列を決めるような制度では、どうしてもこういった能力の無い成績優秀者が一流と言われている企業でも居るようだ。私の友人にも一流企業で働いた者が多数居るが、彼らの感想も学歴は必ずしも本人の能力とは一致しないというものだった。能力ある人間にはそれに相応しい場を与えることが本人にも企業にも、ひいては社会の為にもなる。

アメリカでは理系大学を出た生徒が多数金融機関に流れ、金融工学を駆使したと称して新たな金融商品を開発し莫大な利益を上げる一方、破綻している例も多く見られる。この例は単純に儲かるチャンスが理系出身の彼らにあるからだ。生きる理念に関係なく自分の利益に結び付けばすぐに飛びつくアメリカらしい動機だ。日本でもすぐに真似している。

一過性の利益、不労所得というものが人間の原動力と同時に人間を蝕んでいることも知るべきだろう。そこには永続性のある理念もなければ万人が共鳴できる哲学もない。あるのは飽くなき利益の追求という単純な法則だけだ。アメリカの有名なスポーツ用品メーカーがその工場を人件費の安い国を求めて点々と移し、閉鎖を発表した国の従業員から“職を奪わないでくれ”という要求に本社のキャリヤー・ウーマン風で30代と思しき役員が極めて事務的な対応をしていたのが印象に残っている。彼らに取ってその国の従業員の生活には何の関心もなく、自分たちが如何に利益を上げるかが一番の目的なのだ。経済のグローバル化とはこういう一面も持っており、この単純な法則を我々はグローバル・スタンダードと呼んで有難がっている。熾烈な競争が背景にあったとしても、自分達の利益のために簡単に切り捨てる従業員が居る事を彼らはどう思っているのだろう。

自分の利益の追求、所属する企業の利益の追求が第一で、経済で勝ち抜く事のみが彼らの大事な関心事のようだが、人はそんな単純なルールで生きているわけではない。経済以上に人には生きがいが必要であり、生きる喜びが必要なはずだ。

アメリカはその経済力と軍事力で世界の盟主国になったが、国内には多くの問題を抱えている。多民族国家であるが故国民を纏めるのは大変だと想像出来る。それでも経済最優先のあり方には国内からも異論が出て、その象徴的出来事がウォール街での定期的デモだろう。金融の暴走を快からず思う人達はアメリカにも存在する。決まりきった単純な物差しでは人間は満足出来ない。その表れが今の金融界に対するアメリカ人の反発だろう。儲かれば何でもありの世の中は一部の人間を富ませても、国民を幸せにすることは出来ないと心ある人達は気が付いている。

経済活動の重要性は誰にでも判る。それでも不労所得を求めて右往左往するのが或いは人間の業かもしれない。持っている人ほど欲しがるのは日本でも嫌と言うほど見てきている。その連中をフル・サポートしているのが残念ながら金融機関だ。彼らにも理念が必要だし、社会的使命を早く認識して欲しい。平等・公平な社会とは現実には有り得ないと分かっていても、企業を含め富裕層のエゴには正直言ってもううんざりだ。

災難に会った時人は普通自然に助け合う。この精神は利害というメカニズムとは無縁だが、それでもこの無償の行為を人間は選択出来る。受験という競争に晒され、企業間の競争に晒され、国外からの競争に晒され、私たちは大事なものを失くしている。そこにあるのは自分だけが生き延びる事ではない。他人を慮る配慮はどんな国でも社会でも最低の人間としてマナーだと思う。官僚の天下りを含めて国民が非難しているのは、国家財政が危機的な状況の時、それを一番知る立場にある官僚が相変わらず自分達の利益を最優先しているからだ。金が欲しければ自分で稼げ。国民の税金にたかるのは最も見苦しい。そのくらいのことは大学を出なくても皆分かっている筈だ。文句があるなら顔を出して堂々と反論して欲しい。未だにそれをやった天下り官僚は一人も居ない。

アメリカや隣国がどんな事をやろうと、日本には日本の美学がある事を発信出来る位の誇りを持ちたい。その為には教育が大事で、それが若者の単なる仕分けに終わってはならない。高校・大学では必須科目として哲学を是非入れて欲しい。試験は出来るが底の浅い人間を幾ら世に送り出しても何の役にも立たない。資本主義の行きつく先は分からないが、少なくとも今の金融機関の作りだした社会なんか真っ平御免だ。教育は何のためにあるのか今一度考え直す時ではないだろうか。小賢しい秀才を幾ら作りだしても社会の為には何にもならない。現在の官僚機構を見れば結論は出ていると言っても言い過ぎではないだろう。自分と自分の属する組織の利益だけに忠実な人間が国家に貢献するとはどうしても思えない。

自己犠牲を厭わない志の高い人間を育てるには、損得や金勘定に終始する今のやり方を総括してみることだ。損や得を越えたところに素晴らしい人生がある事を若者に教えるのは我々大人の役目だ。そうすれば未知のことに対応する判断力も少しは養われるかもしれない。

その大人も損得に捉われていて小商人(こあきんど)みたいな生活に終始しているのが大半のようだが。

平成25年4月11日
草野章二



編集人注今夜はしょうちゃん一家と食事会をした。丁度、お嬢さんの裕子ちゃんがロンドンから2人のお孫ちゃんを連れて一時帰国をしてきたからだ。8歳の長男が「自己紹介します」には面白かった。サッカーはマンチェスターUのファン、野球は巨人ファンだが「イギリスではクリケットです」ときた。裕子ちゃんには10年以上会っていなかった。ずいぶん大きくなった。そりゃあ、お母さんだもの。

1990年になる頃だった。Finance Engineeringという科目を東京工業大学で開講したい。ある教授が科目の名前をどうしようか考えていた。「若山さん、理財工学にしたいのだがどうだろう?」と言ってきた。「理財学」とは耳慣れない学問かもしれないが、福沢諭吉が”Economics”を「理財学」と訳したことに始まる。慶應には理財学科があり後に経済学部となったのである。

彼は根っから慶應で育った私に敬意を払うつもりでわざわざお断りをしにきたのであった。ハーバードやMITではファイナンス理論はその20年前からあったのだ。

法政大学の工学部経営工学科でも、92年頃に金融工学がカリキュラムに加わった。結構、そんな頃から「金融工学を学びたくて経営工学科に希望」という高校生がいた。

しかし、私は金融工学は好きでなかった。工学とは物づくりのための学問だ。物づくりには金融工学なんて必要ない。マネーゲームに過ぎない。金儲けのために金を材料にするのは性に合わなかった。

しかし、ファイナンス理論には高等な微積分学に確率論、数値計算や情報処理の素養が必要だったので、文系の学部では手に負えず、理工学系の学部に開設されるようになった。こんなもの経済学部あたりでやってくれればいいのに。

そもそも人間を理系と文系なんて分けるというやり方が気に入らない。私が変人なのか?(わかG・13/4/11)