しょうちゃんの繰り言


不条理の存在

自然界の災害は被害者にとって正に不条理としか表現の仕様がないだろう。東北地方の想像を絶する津波は蒙った被害を考えると、我々日本人をどう納得させようとしても不条理以外の言葉が見つからない。ただ、あの地震や津波は地球という宇宙に存在する惑星の必然的な営みに過ぎない。人間はその惑星に住んでいて、その自然の営みの中でしか住めないのだと自分に言い聞かせるしかない。自然の力には世界一の防波堤も及ばなかったし、今後人智を絞り対策を施しても限界があることを残念ながら我々人類は知らされるだろう。そのためひたすら災害の及ばないことを願い、自分と家族、それに幾ばくかの知り合いのために祈るしか方法がない。視野の広い人や信仰心の厚い人達は全人類のためその祈りを捧げるだろう。

多分昔から人間はそうやって暮らしてきて、出来る限りの対策はその都度その時代の技術力に合わせてやってきたに違いない。それでも旱魃・水害・地震、その結果の津波を我々人類はまだ克服出来ていない。

炭酸ガスによる地球の温暖化を現代の我々は問題にしていて、その規制に取り組んでいるが、もし太陽系に存在する地球が自然の周期として今温暖化に向かっているのであれば人間の手に負えるものではない。

我々が今、利用している石炭は元々樹木であったことは分かっている。その全世界的な埋蔵分布を見ると、かつて地球は隅々まで膨大な量の樹木で覆われていたことが分かる。逆に氷に覆われていた時代はそんな樹木は育たなかったに違いない。ニュヨークのセントラルパークには氷河の痕跡がそこにある岩から見つかり、今では夏場には30度を越す世界一の都市も氷に覆われていた時代があったことを我々に教えてくれている。温暖化と寒冷化は自然界の大きなうねりの中で繰り返されていて、それは人類の出現する前からの自然現象で人間の都合でどうにかなるものではないし、人間の力でコントロールすることは不可能だ。

無神論者でさえ愛する人や係累が身近に居れば、人智を超えた自然の営みに対応するためには神の存在が必要になることだろう。

翻って人間の営みに焦点を当てると不条理と呼べる事柄があまりにも多すぎる。

世界一の富豪が居る国にホームレスが共存する問題さえ、21世紀に生きている我々は解決出来ないで居る。それが現実で人間の営みはその程度だという結論は性急な総括ではないだろうか。

イギリスの宗教家ジョン・ボール(John Ball)は農民一揆を主導した咎で1381年に処刑されているが、彼の残した言葉は今でも輝きを失わないでいる。その彼の「アダムが耕しイヴが紡いだ時、誰が貴族であったか」の言葉はあまりにも有名だ。原文では「When Adam delved and Eve span, who was then the Gentleman」となっていて、Gentlemanが当時は支配階級であったか、若しくは王侯貴族の弾圧を恐れての代理表現なのかは浅学な私には判断がつかない。しかし日本語でジョン・ボールの真意を伝える時、彼の言う“Gentleman”は“貴族”以外に適する訳語がない。

彼の生きた14世紀のイギリスでは、Peasantと呼ばれた農民は今の農民(Farmer)と違って教育の機会も無く、単に支配階級に奉仕する為の存在だったとも言えよう。自由とか平等とか言う概念が社会に広くゆき渡る前の時代だ。

その時代に平等の精神を説いたジョン・ボールは支配階級から見れば正に厄介者で、当時の支配階級のルールで惨殺に等しい方法で処刑されている。国民に対する一種の見せしめの効果を狙ったものだろう。

当時は一握りの支配階級の特権的生活を守るため他の多くの国民は存在していたに過ぎない。農民はむしろ「農奴」と呼んだ方がその時代の状況を良く理解出来るだろう。

今の感覚で言えば農民から見た場合、不条理としか言えない立場で彼らは働かされていた。

これは何もイギリスに限った事ではなく、個人の平等や自由といった基本的な人間の権利が確立されるまで世界のあらゆる国に見られた社会の仕組みである。

奴隷制度もその最たるもので、歴史上有名なのは新大陸南部での黒人を使った農園の経営だろう。白人は何の疑問も良心の呵責も無く黒人を奴隷として売買の対象とし、労役に当たらせていた。あたかも現代で農耕器具・機械を売買するが如く取引されていた。

翻って現代を見ると社会の富は一部の人間に独占され、今共産主義の中国を含めたあらゆる国で社会問題になろうとしている。

額に汗して働くより金融の仕組の中での不労所得や、不動産に対する投資による利潤追求の方がはるかに儲かる社会が出来上がっている。

日本でのバブル期に人は狂ったように株に手を出し、土地やマンションに投資した。ゴルフの会員券にも群がり、一億総株屋・不動産屋と当時揶揄されたものである。

金融機関は医者・弁護士といった高収入の階層に近づき先を争って融資したものだった。それが結果として不良債権となり、多重債務者を増やす遠因となった。それ以来日本は所謂経済不況に陥り、デフレは未だに続いている。投機に走った連中の後始末を国民全員で負担しているようなものだ。医者や弁護士が自分の専門に取り組んでいれば世間から少しは尊敬の念も持たれるだろうが、不労所得に走った連中が数多く居た事実は残念ながら自らの地位を汚したことにもなる。

IT長者や投資(投機?)で儲かった少数の桁外れの金持ちが居るアメリカは、ジョン・ボールの時代に何となく似てきていると思うのは気のせいだろうか。為替の取引に於いて実需は取引の10%以下と言われて居り、有名なジョージ・ソロスが率いる投資(投機?)機関はそこで莫大な利益を上げていた。日本でもアメリカと比べて似たような小ぶりのIT長者が出現し、それに不労所得で儲かった連中が幅を利かせている。一部の金持ちと多数の貧困層という図式が資本主義社会の先進国で現れてきているのが気に掛かる。

資本主義制度の下ではどうしても富は集中する傾向にあり、富める者はますますその富を増やせる仕組みになっている。日本では当たり前になっているが、金融機関はベンチャー企業や起業家には金を貸さない。一般国民が預金した金はまず、豊な階層に優先的に貸し出されてゆき、底辺に居る人達にはなかなか廻って来ない仕組みが出来上がっている。

又、日本では地主が潜在的に富裕層として存在し、都市部の地主は膨大な含み資産を持っている。他人の懐を覗き見する趣味は無いが、不労所得に対する課税は一度真剣に考える時ではないだろうか。

地主達が所謂社会資本(道路・鉄道・電気・ガス・水道・電話等々)を自分達の出資で完備し、その結果宅地が坪当たり100万、200万円というのであれば、高すぎる感じもするが幾らか納得もいく。税金で道路が整備され、戦後の経済復興で開発された都市近郊の土地値上がりが全て地主に還元されているのは実はおかしなことなのだ。

ジョン・ボールの言葉を借りれば「アダムが耕しイヴが紡いだ時、誰が地主だったか」ということになろう。

一般の給料取りが住宅を買う場合、上限は4〜5,000万円あたりだろうが、土地代に坪100万、200万円取られたのでは碌な家は建たない。それでも銀行ローンの付かない人達が多数居ることも知るべきだろう。

格差の拡大は不満をつのらせ、決して社会にとってはいい事ではない。成功した人達はそれなりの理由を挙げ自分達の正当性を充分合理的に説明出来るだろうが、不満が高まり、爆発する程に格差が広がれば、いずれ社会は崩壊する。

ウォール・ストリートでのデモはその前兆と見ていいだろう。中国での反日デモでの破壊行為・略奪も根はそこにあるのではないだろうか。

“社会はどうあるべきか?”という命題には簡単に答えを出すことは出来ない。ただ、社会は人との繋がりで出来上がっている事を忘れなければ自ずと方向性は決まるのではないだろうか。額に汗して働くのが馬鹿らしいと思える社会は実は大変不幸で、危険なのだ。

不労所得に対する社会還元をもう少し考えて見れば、日本の財政も幾らか楽になると思えるのだが。

“人類で一番不幸な人は?”と妄想したことがあるが、“人類で最後の一人に残った人”というのが私の答えだった。

友人・同級生が時の経過と共に少しずつ亡くなり、最後に自分だけが残った姿を想像すると、とても長生きを喜ぶ気にはなれない。

例え地球を独り占めにしても他に誰も居ないのであれば、それこそ喜んでいる場合ではないだろう。

自然界の不条理と思える大災害に対して人間はある意味なす術が無いが、人間の作り出す不条理だと思える事には対処の方法はある。不条理だと思えることをそのままにしておくことが本当の不条理だと思うのだが。


平成24年9月

草野章二