しょうちゃんの繰り言
友のあいさつ |
例の友人から今日終戦の日に、突然以上のような挨拶がメールで送られてきた。浮世とのしがらみに決別を告げる彼なりの挨拶なのだろう。彼らしくもあり、また彼らしくない。何かを言い残していることは文面から見て明らかであり、何がそうさせたのか彼の数少ない友人としては大いに気になる。しかし、ここは彼の言い分を黙って聞くのが大人の対応なのかもしれない。 ■ 誰にもそれなりの主張や言い分があるが、社会では往々にして許されないことが多い。とくに自分を含めた利害関係が複雑に織り成された組織に身を置く場合、下部に居る個人の意見は通らないことが多い。むしろそれが分かった上で黙って従うのが大人の対応として評価されることが多い。私たちが住む日本は、あらゆる組織がこの暗黙の了解の上で成り立っているのではないだろうか。漱石ではないが、知に働けば角は際限なく幾らでも立つ。そして出る釘は幾らでも叩かれる。 ■ 基本的能力はあっても、その立ち位置で評価は異なる。我々が評価しているのはその真の内容ではなく、言った人の社会的立場にしか過ぎないようだ。安直の代名詞みたいなテレビで、うら若きヴィジュアル係の女性医者・弁護士が出て御高説を垂れ流しているのはそのいい例だろう。聞くべきものがあれば老若男女を問わないし、学歴・職種も関係ない。しかし、そんな見方は建前論にしか過ぎないと皆な分かっている。官民を問わず天下りが横行し、それを下部組織が唯々諾々と受け入れている様は誰もが知っている。人は背景にあるものに従っている。天下りが無能でも勤まるのはそのせいだが、その組織は決して活性化されることがないことも我々は知っている。 ■ 私の友人は風車に立ち向かった正に現代のドンキー・ホーテとも言える男で、古稀を過ぎても誰も聞いてくれない彼なりの正論(?)を発し続け、誰にも理解されないまま隠遁のメールを送ってきた。世の中の物差しに合わせようとしなかった彼は、有り余る能力を少なくとも自分の利害の為には利用しなかった。西郷隆盛が政敵に恐れられていたのは彼には名誉・金・地位に対する私欲が全く無かったからだ。何も欲しがらない男ほど厄介な存在は無い。最後は心ならずも国賊となった西郷に未だに信奉者が多いのはその為だろう。 ■ 終生落ちこぼれを自称した友人は痛快に世のあらゆる出来事を斬ってくれたが、その洞察力と判断力には一目を置かざるを得なかった。時代を間違えて生まれてきた男と言うしかない。世の中がこれほど細部にわたり管理されていては、人々は改革の為誰も立ち向かおうとしない。日本式教育の成果は見事に達成されているとも言えるだろう。誰もが自分は違うと言いがちだが、良く見るとその問題意識さえ持ってない高等教育を受けた人間が数多く存在する。教育が単に若者の序列を日本式に決めていただけで、友人が一貫して取り上げていたのは、このおかしな価値観に対する疑問だ。 ■ 忸怩たる思いをしているのは彼ではなく、気が付いていても何も出来ない人達だろう。それでも気が付いているだけましだと彼にからかわれそうだ。 人は他人と歩調を合わせることに何の疑問も持たず、むしろ歩調を乱す者に非難の目を向ける。我が国が戦争に突入し一般の国民を含め多大の被害を出したのは歴史的に見ればついこの前のことだ。全てが終わり、自分が安全な立場に立つと突然声高に非難し始める。あの時の戦いを是とするか非とするか立場によって見方が違うのは理解出来ても、もし充分な情報と判断の材料があれば時の大新聞社が足並みを揃えて肯定し、一斉に大本営発表をそのまま流したのは納得出来ない。戦後は、その反省からか国のやることにことごとく反対し、隣国の機嫌を伺ってばかりいるような新聞社まで現れた。友人の言う“新聞社のサラリー・マンは居ても、ジャーナリストは居ない”という発言は正に正鵠を得ているが、これは彼に言わせると昔からの新聞社の伝統だそうだ。白州次郎氏風に言えば“プリンシプル(原則)”の無い組織と言うことになる。ちなみに、白州氏はこの原則の無い日本に終生批判的だった。プリンシプルが無いのは新聞社だけのことではない。 ■ 表面的な辻褄あわせで生きるだけなら何も高等教育を受ける必要はない。三流大学の落ちこぼれと自称している友人の方がよっぽど判断力はある。失くすものの無い彼は自由奔放に生き、少なくとも私にはいろいろな事を気付かせてくれた。“分かってくれるだけでも君はまだましだ。”と笑いながら言った彼の顔は忘れられない。常日頃“資産の無い俺は、生き方が俺の財産だと子供に言っている。”と冗談めかして言っていたのは彼の本心だったのだろう。発言が過激なため物議を醸すことが多かったが、良く考えれば本質を突いていた。単に悪口を連発していただけではなかった。 ■ そんな彼が隠遁生活に入ると連絡してきたのは単に病気の後遺症だけではないだろう。“長生きしてどうする”と日頃から世間に逆らうような事を口にし実際、健康診断は古稀の歳になるまで一度も受けたことが無かった。歯の痛みも10年余我慢して歯医者に怒られたらしい。彼がその時“根治水が私の歯医者だった。”と言って歯医者を呆れさせたエピソードが残っている。鋭い事を言う割にはどこか間が抜けていて辻褄が合わないことが多かった。他人から見れば面白かったが身内の家族は彼に振り回されただろうと推測出来る。長い付き合いの中で、およそ彼の困った顔を見たことが無い。経済的苦境にあっても彼は平然としていた。彼の隠れた才能に惚れ込んで一緒になった奥さんが一番の被害者でありながら、充分内助の功を発揮したのは間違いないだろう。 ■ 航空機のハイジャック事件が多発していた頃、日本政府は犯人たちに身代金を払いさらに彼らの要求に従って政治犯でない犯罪者も同時に釈放した。理由は時の総理の「人命は地球より重い」という判断からだった。一方ドイツ政府は犠牲が出るのは覚悟で強硬突入し、犠牲者は出たがハイジャック犯を制圧した。その時友人が解説してくれたのは、“乗客は犯人達によって支配され抵抗できない状況にある。これは人間が「奴隷状態」で管理されていて、この状態から彼らを開放するには政府が犯人と戦い乗客の自由を取り戻すしか方法は無い。犠牲が出るのは乗客も承知している。”という西欧流の哲学だった。自分で管理出来ない人達を救うにはこれしか西欧流に考えれば方法が無かったのだろう。奴隷状態とは自分で抵抗し、対応する手段を持たない状況を指し、彼らを救うには少々の犠牲も止むを得ないというのが彼の国での一般的な理解だという。どちらの解決法を選ぶか各人それぞれだろうが、テロ集団に金を渡すことだけは絶対あり得ないと彼は当時教えてくれた。あったとしてもそれは表面に出てこないという解説だった。 ■ このエピソードを思い出したのは、彼がいつも言っていた「精神の奴隷状態」という言葉が頭に浮かんだからだった。これは出来上がったものに無条件に、無批判に付いて行く人間の習性が、実は人間を駄目にしているという彼の持論を表した言葉だ。言われてみれば思い当たることは多い。組織内での盲目的服従などはその良い例だろう。何かを求めるから服従し、その対価が平穏無事な一生だとすればそれに従うのが大部分だろう。それは彼が言うように“教育を受けた人間のやることではない。”という事になる。気が付いてみるとあらゆる分野で、彼が言う“考える人間”が居なくなっている。これだけ自由に発言出来る国で、肝心な事がおざなりにされて来たのは管理され過ぎたことに対する自覚が無いからだろう。 ■ 終戦の日に来た彼の隠遁の知らせは、私にとって時代の変化を知らせてくれるものだった。 彼ほど過激なことは言えず、何となく妥協して生きた自分の人生が自分にとっては大事だと思えてもただ馬齢を重ねただけではないかとの反省は付き纏う。彼みたいな人間は多分どこかに居るのだろうが、身近な存在から消えていくのは惜しまれる。個人的な思い入れがあるのは事実だとしても、彼の世に受け入れられない発言が私に考える材料を提供してくれたことは何事にも代え難い。 ■ 拙い文章を若山教授のホーム・ページに掲載させて頂いて既に47編、これを入れると48編になるが、私もそろそろ隠遁の時期かもしれない。本編の大部分が友人からの刺激で生まれたものだ。私なりに彼に感謝したい。 ■ 口の悪い友人に習い、近い内に同じような挨拶を数少ない仲間に送る事を私も考えている。
草野章二 |