しょうちゃんの繰り言


ガリ版の教え

“ガリ版”とは我が高校時代の漢文の教師に悪童共の付けたニック・ネームである。当時当たり前であったガリ版刷りの試験か問題集を、裏返しに印刷した間違いを取り上げて先輩達が付けた名前だと聞かされた。他にも“もやし”、“コステロ”、“カマキリ”と名前の付いた教師もいた。酷いことに“ごり河童”と呼ばれた若い音楽の女性教師も居た。語源は知らないが当時赴任したばかりで若かった先生は未だに健在である。母校は田舎の公立受験校で50年以上前の話である。

“ガリ版”こと木下先生は小柄で老境に達していたが、私達教え子の今の年齢より当時若かったに違いない。好きでも得意でもなかった漢文は必須だった為授業に出ていたが、漢文に関しては「長恨歌」を習ったこと意外は憶えていない。

その木下先生がある時生徒に“運動場に20センチ幅の直線を書くが、諸君はその上を歩けるか?”と問い掛けた。“聞くまでも無いだろう”と生意気盛りの生徒は薄笑いを浮かべていたが、次の彼の解説には黙ってしまった。

“20センチの幅があれば諸君は走っても大丈夫だろう。しかし、その幅だけ取り上げ10メートルの高さにしたらどうする?”

そうなったら話は別で、10メートルもの高さなら20センチ幅では立っことも不可能だ。

“諸君が20センチ幅でも安心して歩いたり走ったり出来るのは、必要でないと思っている空き地が余分に広がっているからだ。これを無用の用と言う”

言われてみれば歩くには20センチの幅があれば充分だが、安心して歩くにはその何倍もの幅の空き地が必要になる。

彼のこの話は折りにふれ思い出し、先鋭化した神学論争的な場で時たま“無用の用”を心得ない論客が出てくる度に苦笑している。

わき道にそれた漢文の授業で、木下先生はある意味漢文よりもっと大事なことを若者に気付かせてくれた。

また、別の先生は“カオスを日本語では混沌と訳しているが、これは「大混乱」ではない”と解説してくれた。“カオスの状態は大混乱としか説明の仕様が無いが、このカオスの状態は刺激が与えられるとこの混乱に秩序が生じる。秩序が生じない大混乱は単に混乱の酷い状態を指しているだけだ。一件無秩序に見えるカオスには将来の秩序が内在されている”

さらに“「迷える子羊」という表現は単に幼い子羊が迷っていると理解しては駄目だ。羊は人間に旧くから飼い慣らされていて今や単独で生きていくことが出来ない家畜だ。山羊は幾らでも野生化するが、何代にもわたって飼い慣らされた羊は野生に戻れない。従って迷った子羊は実は絶望的な危機状況にあることを示している”と教えてくれた先生も居た。そう言えば漱石の著書にもこの「迷える子羊」という表現が出て来ていた。“カオス(混沌)”や“迷える子羊”という言葉は聞いて知ってはいたが言葉通りに捉えていて、深い意味まで理解していなかった。こういった知恵や知識は入学試験には役に立たなかったとしても、今考えると何気なく教えてくれた昔の先生方には奥行を感じさせる人が多かったような気がする。

読書の喜びは年齢相応のものがあると理解しているが、若い頃は本の中に新しい発見があることが何と言っても一番の喜びだった。その延長で考えれば春秋に富んだ若い頃、本質に迫るような先達からの教えは確実に若者達の知の基本になっている。

音楽の専門家がコーラスに必要なのは正確無比に歌える人ばかり集めることではないと言っていた。人の声にせよ楽器にせよ、微妙な音の違い(音程や音質の違い)がコーラスや演奏全体に揺らぎや奥行きを生じさせ、それが人の耳に心地よく聞こえるそうだ。ベートーベンの「第九」が素人の大合唱でも様になるのはこの理屈だろう。

先生方に教えられた言葉の深い意味や背後にあるもの、さらにコーラスでのハーモニーといった人間の不思議で繊細な感性を知って驚くことが多い。こういうことを理解し判断出来るのが人間だが、人によっては気が付かなかったり、知らないで一生を終えることもあるだろう。一見試験にも役立たず、表面上は実生活で何の役にも立たないように見えるが、実はこういった洞察と理解が人間に揺らぎと奥行きを与えているのかもしれない。

生産効率性や経済的指数を最優先させ、人間らしく生きる道を模索しなかった付けは既に各方面に現れて来ている。判断の根拠を皮相的なものや経済の原理(得するか、損するか)に委ねていては決して住み心地の良い社会は出来ないだろう。

教育が金太郎飴的な従順な子羊を養成する目的なら、我々は単に与えられた教育というマニュアルに沿って生きるのが波風立たずいいのかもしれない。管理する側から見れば、ものを考えない人間ほど御し易い。

高校で習った微分や積分は残念ながら今では忘れている。歴史の年代表も殆ど覚えていない。その専門の道に歩んだ人だけは未だに高校・大学での基礎はしっかり頭に入っていることだろう。だが、青春の日に学んだ事柄は試験と言う関門を過ぎた時点から専門以外の学科は過去のファイルに閉じ込められ、関門の結果が単に栄光、若しくは挫折の記憶としてしか各個人に残されていないのが実態ではないだろうか。

我々に必要なのは若き日の短時間に詰め込んだ断片的な知識だけではない筈だ。50年以上の時間の経過にも関わらず木下先生の言葉は今でも鮮明に残っている。他の先生方のエピソードも同じだ。

人は色々な特性を持って生まれて来ている。正確無比な音を出せなくても社会でのコーラスには互いが必要欠くべからざる存在と認めることで揺らぎや奥行が生まれるのだろう。

人間は存在そのものに価値があるので、生き方に拘る必要は無いという先人も居た。日本有数の数学の権威が自分の経験則から、ある問題を1時間で解いた学生と解くのに1日掛かった学生との数学的能力には差が無いとも述べていた。その人間集団を単一で画一的な物差しで仕分けすること自体に無理があるように思える。

これは弱者の自己弁護ではなく、単一化された価値観への疑問と取って欲しい。前にも述べたが英国の支配階級である貴族は国に難事があれば先頭に立って戦った。自分の崇高な役目を認識しているので卑怯な真似だけは絶対しないし出来なかった。だからこそ彼らは国民の尊敬を得られていたのだ。英国貴族にも日本の武士にも、まず支配階級として“どうあるべきか”という命題が彼らの前に常に立ち塞がり、自分の使命にストイックに立ち向かった。リーダーの資質というのはこういう精神性の高さを言うのではないだろうか。

田舎の高校で学んだ生意気な餓鬼共も古希を迎えそれなりの人生を歩んで来た。決して誇れることばかりではないが、贖罪の意を込めて言えば世の中のおかしなことにもっと毅然と対応するべきだったとつくづく思う。

ものの本質を問わないような設問には無視する位の気概が欲しかった。目先の利益のため妥協を重ねて来た人生は決していい思い出ではない。結果子孫に残せるのが今の日本だとすれば申し訳なく思っている同世代は少なくないだろう。

何の疑問も無く受け入れていた世の中の仕組みや仕分けが、実は極めて皮相的で中身が無い事に既に気がついている人はたくさん居ると思う。

受験には無駄だと言われた文学書の濫読も、20センチ幅の道を歩く時立派に私達を有意義な空間として支えてくれたと思いたい。

衣食が足りた今、礼節に少し心を配れば孫には尊敬されるかも知れない。美田を残すことが全てだとすれば誠に寂しい人生だと言わざるを得ない。

ガリ版こと木下先生、憶えていた教え子がまだ居ました。

平成25年1月22日

草野章二