しょうちゃんの繰り言


付き纏うジレンマ

同時代を生きた世代間でないと、価値観の共有は難しいことがある。戦前の生まれなら卵が高価で大変なご馳走そうだった実感が残っているだろうが、今の若い世代にはなんの事か理解出来ないだろう。戦後ラムネが1本5円だった頃、バナナは1本50円だった。そういった時代に育った我々の世代はご飯を食べる時、茶碗に米粒を残すことは厳しく戒められていた。その当時、小学生・中学生の叶う願望として、自家用車はごく例外的な一部を除き、あり得ないことだった。冷蔵庫も同じで、あったとしても氷を入れて冷やす方式だった。クーラーや水洗トイレが自宅にあることなど想像もつかなかった。

中学時代、長崎から東京まで始めて行った時、急行列車「雲仙」で片道25時間かかった。それも木のベンチみたいな椅子に厚めの布が張ってあるだけの車両だった。しかも乗客は定員以上乗っているから東京まで立っている人さえいた。昭和30年代から40年にかけては少しばかり時間が短縮された(1時間程度)だけで、大学時代の故郷への列車往復は、乗り物嫌いの私には大変な苦行だった。

就職して飛行機で帰郷したが、片道の料金がほぼ1ヶ月分の基本給に匹敵した覚えがある。飛行機はまだ庶民の手には届かず、一人っ子で親掛かりだから利用出来ただけだ。当時(東京オリンピック開催前後の頃)日本人の平均給与は世界の30数番目で、イタリアより低かったと記憶している。

こういったことに共感出来る世代は、今やまさに後期高齢者で括られる人達だろう。その我々は戦後の極貧生活から今の生活レベルまで辿り着くことが出来た。歴史的に見ればこれは評価してもいい事だと思う。国民個人や民間企業の努力はもとより、官僚・自民党が中心になって舵取りした事も評価されていいだろう。ただ日本経済がピークに達してからの舵取りには問題が残った。全てを彼ら官僚や政治家のせいにするのは酷だろうが、日本の繁栄は簡単に総括すれば、戦後一億総商売人となって、ひたすら金儲けに集中した結果だったようだ。山下清流(精神薄弱のハンディーを持った山下画伯は重要度の判断の規準に兵隊の位を用いた)に言えば、兵隊の位が金(かね)の位に変っただけで、教育も本来の役目が変質してしまったように思える。“猛烈社員”という言葉が流行ったのは私達が働き始めた頃だった。

マニュアル通りの教育を施し、偏差値と称する物差しで若者を仕分けしただけでは、なかなか人間に奥行きも幅も出来はしない。知性や想像力があれば解決することも、こういった要素の出る幕は無く、経済法則優先の決まりきった予定調和の中、全てがマニュアル化されたベルトコンベヤー式のシステムで済まされているような気がしてならない。

あらゆる機能が硬直化し、個人のプライドと知性の反映は無視される傾向にある。確かに物質的に豊になったことは認めざるを得ないが、どこかに大事なものを忘れてきている不安感が頭から抜けない。後期高齢者の陥り易い鬱の症状か、人としての良心の叫びかは定かではないが。

人の価値観はどうしても生まれてから見たもの、感じたものに左右される。小さい頃の体験は鳥類と同じ様に我々に刷り込みとして、或いはトラウマとなっていつまでも残る事になる。

飢餓の記憶と恐れは体験した人には死ぬまでついて廻ることだろう。一方豊かな時代に生まれ育った世代にはどうしても実感が湧かないと思われる。実はここに大きな世代間の違いが既に存在していることになる。私達が親の世代と共有した食べ物に代表される、ものに対する価値観はもう子供の世代や孫の世代とは共有出来る筈がない。食べるものに困り、飢えを知っている世代には“もったいない”という感覚が実感としてあるが、豊かな時代に育った世代には教育として教え込むしか方法がない。彼らには卵は大変なご馳走ではないし、バナナは手の出ない高級品ではない。むしろ極めて安く手に入るものの一つだ。車やあらゆる電気製品は家庭にあるのが当たり前で“ありがたく思え”と思っている世代がいることに彼らは迷惑しているだろう。

我が国で、幼稚園や学校に水洗トイレが完備してなければ、極めて少数の例外を除き、誰もそこに通わないだろう。また、冷暖房の完備してないデパートや映画館は誰も利用しないだろう。今はそういう時代と言うしかないし、今日があるのは我々を含めた前の時代の成果と言うしかない。

コンビニで余った弁当を捨てるのは、常に豊富な数と種類を揃えてないと消費者が買わないための窮余の策だと聞いている。一つしか残ってない弁当はなかなか売れないそうだ。また、食べ物それ自体が我々世代の思い込みとは違う対象になっている。そこには既に食べ物に対する“もったいない”という感覚は存在していない。あくまで商品としての流通と経済性を追及した結果だろう。

この経済原則があらゆる分野を席巻し、個人の価値観の入り込む要素が少なくなっている。儲かるか儲からないかが全てを支配し、何故その機能が社会にあるのかを問う人も少なくなっている。飛躍して連想すれば、金余りと言われている現在、運転資金に困っている弱小企業は幾らでもある。しかし物差しが変ってしまった金融機関はそこに目を向けることさえしなくなっている。自分たちに都合のいい人達だけが顧客として存在するだけだ。

手に入れた豊な生活が、必ずしも心満たされるものではないことに多くの人は気が付いているに違いない。同時にその個人的な不満が社会の大きなうねりにならないところに、我が社会の限界があるようだ。個人を取り上げれば概ねいい人ばかりだ。そして同じ様な問題意識を持ち、かつ何とかしなければと互いが思っている。それがごみ処理場の問題や、震災瓦礫の処理になると個人のエゴが丸出しになり、理屈に合わないことも平気で主張する。企業のエゴも同じである。

公共の乗り物で知人に会うと詰め合ってでも席を作り座らせようと心配りを見せるが、赤の他人相手では全くそんな素振りさえ見せず、少し詰める気配りなど一切感じられない。

知り合った仲間には幾らでも協力するが、同じ国民とはいえ、知らない人には無関心である。席を譲らなければならない人が居ても金融機関は見向きもしない。

この落差の大きさは隣国の身勝手さを笑ってばかりいられないだろう。これが我が国民の限界であるなら、民度は残念ながらこれ以上は上がるまい。

衣食が足りだした頃から何かが変りだしたとしか思えない。つまり礼節を弁えるより、もっと自分(会社)の利益を得ようとすることが当たり前の社会になってしまったようだ。人や社会の繋がりが利害の関係でしか存在出来ないものになっていった。多分この傾向は今に始まったことではないだろうが、利益の飽くなき追求の前にはより強調されるのだろう。我々が生きているのはそういった時代だと認識するしかない。私達は経済の原則に支配されたこの商人社会を、アメリカ標準の所謂グローバル・スタンダードに合わせて追随していくだけでいいのだろうか。

豊かになった先にさらに儲かろうという人達が居て、その究極の形が金融ではないだろうか。労働の対価ではなく、資本を動かすことによる利益で、究極は不労所得の飽くなき追及となるのだろう。資本主義経済の仕組みがそれを可能とし、より利益が獲得出来るとなれば、人は残念ながら手軽な道を選ぶだろう。世界の富豪と言われる人達の多くに、この不労所得で稼いだ例が少なからず散見される。リーマン・ショック前は年間平均給与が4,000万円、6,000万円という会社がアメリカにはあった(拙文「厄介な生き物」に記載)。いずれも金融商品を扱う会社で、その中の一つは破綻した。日本でも物をつくり、運ぶ会社より道具にしか過ぎないものを扱い、その周辺ビジネスの方がより利益を上げている。人の褌で相撲をとる金融機関にも同じことが言える。

資源の無い我が国ではそれなりの方法があって然るべきだと思うのだが、何故かアメリカ帰りの経済学者が幅を利かせている。経済の原則は簡単に人間の自制心を破壊してしまう。本来なら指導的立場にある医者や弁護士に多重債務者が多発したのは、彼らが不労所得を追及し、金融機関がそれを助長したからに過ぎない。

こうやって人心の荒廃が進んでいることも認めなければならないだろう。医者や弁護士はその本業で尊敬されるべきで、不労所得で買った車や豪邸で世間が認める訳ではない。

そうは言っても大きなうねりの中で不労所得に手を出さなかった人達も、いつの間にか時代に染まっていることに気付かされることだろう。私達は何時の間にかクーラや水洗トイレが無くては生活出来ないようになっている。苦手が増えるだけ我々の選択は狭まり、つい一代・二代前の生活にさえ戻れなくなっている。これを進歩と言うのか退廃と言うのか結論は難しい。

確実に言えることは経済の物差しが全てを支配する限りこのジレンマは我々にいつまでも付き纏うだろう。

平成25年2月22日

草野章二