しょうちゃんの繰り言


難しい日本語

私の親しくしている英国人の友人ジェームズは、日本人妻と可愛い子供達に恵まれ、日本での生活も長い。英国人にしては日本語が上手いので、よく私にからかわれてもいる。

「ずい分昔のことだが、外国語の上手い英国人は用心した方がいい、と君の同胞に言われたことがあるが、君は信用してもいいのか」とかなり親しくなってから彼に確かめたことがある。

その時の彼の答えは「気位の高かった英国人が、外国語を学んででも何かやろうと企むのは、単純に考えても極めて少数の学術関係者以外、金儲けしかないだろう。そういう人間は用心した方がいいと考えた同胞が居たとしてもおかしくない」と言った後さらに続けた。

「ショージも知っているように、イギリス人は伝統的にあまり外国語を学ぼうとしなかった。それは、世界中どこでも英語が通用したからだ。一方フランス人は、英語を知っていても話そうとしなかった。今ではどうか知らんが、英仏互いに意地を張っていたのは事実だろうね。」外国語を学ぼうとしない国民と英語を知っていても話そうとしない国民が、ヨーロッパの覇権を争った背景が分かるような気がする。

「つまり、旧き良き時代の英国は外国語まで覚えて取引を急ぐ必要が無く、世界中で英語が受け入れられていた為、余裕があったのだろう。そんな時逆に現地の言葉に精通していると、仲間内から信用されなかったこともあり得た気がする。ただ、少なくとも私の世代ではもうそんな偏見はない」とジェームズは締めくくった。

外国語の下手なイギリス人が、外国語が出来る同胞をやっかんで言い出したことかもしれない。或いはイギリス人のお高くとまった態度を快く思わないヨーロッパの人達の単なる作り話かもしれない。

彼がある時トーマスという名の友人を私に紹介した際「彼の名はJohn Thomasという私の学生時代からの友人だ」、と言った後、私に笑ってウィンクしながら「女にもてるぞ」と付け加えた。

真面目そうな彼の友人は大笑いしながら「私のファースト・ネームはJohnではなくJackだと」と訂正した。三人で談笑に入った後分かったのは“John Thomas”は彼等の国では男性の象徴を意味するとのことだった。

いたずら好きのジェームズが親しい同胞の友人をからかい、また、そのジョークが通じない日本の友人である私も、からかったことになる。昔のアメリカのミサイル“オネスト・ジョン”のネーミングもどうもここから来たようだ。なるほど形と働きは似ていると言えなくもない。

その談笑の帰り際、ジェームズの運転する車に乗ったジャックは後ろの席に、私と二人乗り込むと同時に「Home James」と運転席に声を掛けた。二人はまた大笑いしていたが、彼等の解説によると昔運転手はジェームズという名の者が多く、後ろの席の主人がお抱えの運転手に行き先を指示する時“ジェームズ君、我が家に”という定番の言葉が“Home James”という表現になったらしい。ジャックはこれでジェームズにお返しをしたことになる。

そのジェームズはジョーク好きだが、同時に礼儀正しい男でもある。自分の子供に私を決して「You」と呼ばせない。彼の長男が私に「You」と最初に言った時、彼に「Kusano-san」と言うように教え、その後子供も父の教えをちゃんと守っている。

「日本では誰でも知っている著名な人を呼ぶ場合、普通名前だけで敬称を付けない習慣は僕も知っている。“長嶋”と君たちが言えばミスター・プロ野球の長嶋茂雄氏であることは私にも分かる。逆に“長嶋さん”と言えば単に友達のことを指していると思ってしまう。それは大人でも子供でも著名なスポーツ選手を呼ぶ場合は慣例となっているようだ。また、歴史に名を残すような人物も普通“さん”付けでは呼ばないようだ。この習慣は、むしろ選ばれた人の栄誉となっており、“福沢諭吉”と呼び捨てするのは決して彼を侮辱しているからではないだろう」

そう言うと、彼は持参した新聞を持ち出した。赤線を引いた箇所には“安倍に言いたい お前は 人間じゃない たたき斬ってやる”というスピーチが載っていた。私立大学の教授が、国会で安全保障関連法案の審議が最終段階に至る頃、それに反対するデモ隊の前で行ったアジ演説の内容だった。彼が引いた赤線で示されたものは、他にも“戦争法案”・“憲法違反”・“徴兵制の復活”・“数の暴力”・“民主主義の破壊”・“自民党の死んだ日”等々刺激的な言葉が並んでいた。ジェームズは奥さんに書く日本語のラブレターのため、かつて熱心に漢字を学び、今では日本語の新聞も一応読めるらしい。

「この場合“安倍”と呼び捨てられた君たちの首相は決して栄誉とは取ってないと思うが如何かね」と言うとニヤリと笑った後、続けた。

「私の知っている日本人は礼儀正しく、思慮深い人が圧倒的に多かった。この国の人達は、我々アングロ・サクソンと違い相手を批判する時もあまり刺激的な表現はしなかった。これら赤線を引いた箇所を見ると、日本で革命が始まったのかとさえ思ってしまう。まして時の首相に対して“安倍に言いたい”という大学教授の言葉は、人民を抑圧した頃の暴君に対する命がけの打倒演説としか取れない。だが平和な日本では、政府を批判する時どんな品の悪い表現でも許されているようだ。歴史と伝統の浅いアメリカでさえ、大統領に対して例え反対意見を持つ知識人でも、普通“Mr. President”と表現する。ショ―ジ、教えてくれ、この大学教授の発言には日本の奥深い別の意味が何か隠されているのではないか」

「残念ながら何もこの表現の背景には無い。君が赤線を引いた言葉にも、殆ど裏付けの無い野党のキャッチ・フレーズにしか過ぎない」

私の説明を聞くとジェームズは続けた。

「“数の暴力”とは新鮮な表現だったが、中身をよく読んでみると多数決で決める民主主義の基本ルールが少数野党の諸君には気に召さないようだ。良く考えなくても、自分達が正しいと思い込んでいる少数派の人達の意見を通すと、民主主義の否定になることくらい子供でも分かる筈だ。まして“戦争法案”という決め付けは幼稚さを通り越して笑ってしまう。ミスター・アベは戦争を回避するための手段として国会に保守党の案を提示しているに過ぎない。もっといい提案があるなら国民を説得出来る対案を野党は出せば良いだけの話だ。私の知る成熟した一般の日本人より、野党の国会議員の方が品も教養も知性も欠けているように思えてならない」

彼の疑問は正に私の疑問でさえある。下品な決め付けや見え透いてパフォーマンスの数々は確実に票を減らすと思えるのだが、何故だかそれでも彼等は選挙で選ばれて来る。数々の自己矛盾した表現や、単なる揚げ足取りの国会質問は、受ける人には受けると言うしかないのだろう。万年野党を定義するなら、“政策や発言に責任が伴わなくてもいい政党”と言える。そういう目で見れば、彼等の言動は簡単に予想が付く。中学の頃、何でも理屈を付けて反対する同級生がいた。親は教師だと言っていたが、彼は仲間内で“共x党”と呼ばれていた。中身の精査や対案も出さないで批判する姿や決めつける様子は、我が中学時代を思い出す。共通点は極めて幼稚だということだ。

弁護士上がりだから、官僚上がりだから、といった議員の経歴は知性や教養を担保するものではない。又、平和運動上がりの議員も正常な判断力を備えているとは決して言い切れない。心ある人間にはそういった連中が誰であるか、すぐに分かる筈だ。

「ジェームズ、他の国と宗教や伝統の違いがあっても知性や教養には、あまり国境での違いは無いと思っている。君の見た現実が我が国の眞の姿だ。良識の府と言われた我が国の参議院のあり様が良く理解出来たことと思う。それを選んだのも日本国民であれば、君に納得いくような説明は無理だろう。正直俺自身、今回の野党の振る舞いには呆れている」

「ショージ、君の国は言語も含めて俺にとってはまだミステリアスな部分が沢山残っている。表現の豊かさと言葉遣いの複雑さは英語の比ではない。我々外人が簡単に理解出来るものではない奥深さがある。これは君たちの素晴らしい言語文化だと思っているが、国民を代表する国会議員が呆れるほど単純な決め付けと表現でしか主張しないのは、或いは国民に分かり易く説くための手段ではないのかね」

「残念ながら、そうではない。選ばれたことになっている連中の知性は、その程度のレベルが随分混じっている。問題はそれでも彼等に投票する国民が居ることだ。反対意見は単に反対で終わっては何も生まれない。“私達にはもっと良い案がありますよ”と対案を出して討論する習慣が根付かないと、揚げ足取りの不毛な小競り合いは今後も続くだろう」

ジェームズの取り敢えずの疑問は私の説明で解消したかもしれない。ただ、彼は知り合った教養ある日本人が、殆ど例外なく言葉の外に含めた奥行きを感じさせたことを今まで繰り返し指摘していた。

「英語の表現は大げさな形容詞を使わないと意味を強調することが出来ない。シェークスピア劇のセリフは日本人である君たちにはうんざりするかもしれないが、これが英語での表現の限界だ。ただ、英語は簡潔な主張には向いていて、文の構成原則から内容が理解し易いとも言われている。暗喩(メタファー)と言われている比喩での表現方法も自分の文章や説明に深みを増すための手法として使われてきた。日本では全てを語らなくても、深く表現する方法なら俳句を見れば良く分かる。これは日本語の持つ特性と、漢字・ひらがな・カタカナの微妙なバランスと背景にある約束事があって初めて可能だろう。ショ―ジ、君は気が付いているかどうか分からないが、言語学を学んだ私から見れば、君たちの言語は非常に完成され、世界に冠たるものだと認識している。学べば学ぶほど難しい言語だが、非常に幼稚なことしか言えない君たちの代表を見ると、正直その落差に唖然とする。彼等は日本で国語教育を本当に受けたのかね」

この感想は英国人のジェームズに言われるまでもなく、多くの心ある日本人が感じていることだろう。品も知恵も教養もない連中は良識の府からそろそろ追い出した方が我が国にとってよっぽど良い。

民主主義が効率の悪い制度だと何時までも言われないよう、選ぶ側の国民も少し学ぶ時が来たようだ。

平成27年9月22日

草野章二