しょうちゃんの繰り言
貧富の差 |
第二次大戦後の経済発展を見ると、壊滅的に破壊されたドイツや日本の伸びが世界でも群を抜いていた。簡単に分析した「破壊の後は建設しかない」という当たり前の解説が一番説得力を持っていたようだ。歴史的建造物の多いヨーロッパでは、遺跡保護のため道路の拡張さえままならず、新しい時代への準備を街ぐるみで取り組むためには制約が多過ぎる。破壊された都市は再建に制約が少ないことから、ビルや道路の建設では時代に合った合理性を持って対応する事が可能だ。こういった要因は生き方の議論は別として、都市の近代化や産業の発展には大いに寄与する事がある。奇しくも第二次大戦で敗戦国となり、連合軍の空からの爆撃で破壊されたドイツと日本が奇跡の復活を遂げたのはそのいい例だろう。 ■ 新大陸でのアメリカ合衆国の発展は、開拓時に建設のため旧いものを壊すエネルギーが必要とされなかったからだとも言えよう。歴史ある国は基本的には変化を好まず、そこで旧いものを破壊して新しい挑戦に向かう力を結集するのは容易ではない。また、歴史の無いところには支配階級の既得権も利権も無い。新しい白いキャンバスには自由に絵を画く事が出来る。物質文明の進歩や、経済の発展には出来るだけブレーキとなるしがらみの無い方がやり易い筈だ。ただ、そこには継続した文化や伝統、それに哲学が希薄なのは止むを得ないとしても、少なくとも経済的合理性に裏打ちされた新しい道は開けた。 ■ この新天地が天然資源(石炭・石油等)に恵まれていたことから、20世紀には英国やヨーロッパから流れ着いた移民の人達は新興国アメリカを、世界を制覇する国にまでに築きあげた。本家を継げなかった農家の二男・三男が、出先で長男を遥かに凌ぐ成功を収めたようなものだった。 ■ 一方、日本は敗戦後、戦時体制を支えた政治・経済分野の中枢のみならず学術の分野までGHQによって解体され、軍部に協力したという理由で教育界に従事していた方々(大学教授等)までも政治・経済の分野と同じく公職追放に遭っている。また同時に、戦時中軍部に反対して追放されていた教職者は戦後すぐに復権している。結果として学界の優秀な人材をこの時日本は大分失っている。主に、復権した大学教授等による左翼思想をGHQが野放しにしたのは、日本の弱体化に都合が良かったからという解釈もされている。確かに某新聞社を代表として自虐史観に染まったグループは、我が国を貶める役を戦後長い間充分に果たしてくれている。その為かどうか、日本は経済的には国として一応成功を収めたが、骨格のしっかりした国家は残念ながら築くことは出来なかった。 ■ 軍事力に結びつく造船・航空産業も戦後GHQにより活動が禁止され、財閥と看做された三井・住友・三菱もことごとく解体された。当時、連合国の基本方針は日本国の弱体化にあった。だが、1950年の朝鮮動乱の始まりと共に米軍戦闘機の修理や部品調達の目的で、航空業界は一部復活している。造船も同じ1950年には制限が撤廃された。GHQによって管理された敗戦国は、自国民の自由意思で国の方針を決定出来る環境には無かった。 ■ 我々はGHQによる多くの制約の中から戦後経済再建を遂げた。今、振り返って見れば小数の例外があったとしても終戦直後、多くは食べる事にも不自由した貧しい国民だった。焦土という言葉は現代の若者には馴染みがないだろうが、日本の主要都市は正に軒並み焦土と化していた。人生において悲惨な経験が必要だという議論はあまり意味がない。だが、この悲惨な体験は人を逞しくし、抵抗力や免疫力を与えてくれたと思っている。正に「艱難汝を玉にする」の格言通りだろう。現在の日本の姿を見れば、我々世代が玉になったかどうかの詮索はこの際あまり拘らない方がいいようだ。ただ今の世代の若者とは違い、困難を体験した我々やその前の父親世代は、その結果打たれ強くなったことは事実だろう。 ■ 衣・食・住は生きる上で大事な基本要因だが、敗戦直後この三要素に何の不自由も無く生活出来た人達は極めて稀だった。国民は、ほぼ全員が平等に貧しかったと言える。一丸となって立ち上がる時、スタートで皆条件が同じだという事は達成への実は大変大事な要因なのだ。互いの懐の詮索はしなくて済むし、妬みややっかみの生じる要素があまりない。貧乏でも国民の間に不平不満が当時あまり聞かれなかったのはそのためだろう。 ■ 日本人の「絆」はそんな当時も健在で、何よりも国民はそれぞれ自分の職業に誇りを持っていた。原爆の被害を受けた長崎でも鉄道はすぐに復旧している。身内や縁者に多大な被害が出ていても市民は自分の天職にすぐに取り組んだ。当然今みたいな自衛隊や、ボランティアの援助は一切無かったが、私達の親世代は黙って立ち上がった。互いに協力しなければ生き延びられなかったからだろう。暴動も略奪も私の経験では当時長崎で見ることは無かった。戦後の疎開でしばらく空けていた家からも家財の盗難は無かったと聞いている。常に少数の例外があったとしても、話題になるような略奪や盗難は日本には存在しないのかもしれない。この見事に抑制された日本人は今回の東日本大震災でも同じ様な反応を示し、海外から驚異と尊敬の眼で見られた。人間はいざという時本性を見せるものだが、原爆被災後も大地震と津波の後も日本人の行動には秩序があった。これは我々が大事にしなければならない伝統だろう。人の心構えに、この基本がある限り日本民族はまだ大丈夫だ。 ■ 戦後の貧困時代から急速に発展した我が国は、確かに豊かになった。今日では何より飢え死にする人は統計上出て来ない。識字率100%の国民は日本を除き世界にも類を見ないが、ある意味でこういった底力が短時間の歴史の中で豊かな国を創ったとも言えるだろう。原動力は国民の教育普及と勤勉性だと言われている。 ■ 国の経済的発展は国力の伸張を意味し、GDP世界何位という表現は国の経済力のみならずその国の総合力として我々は普通評価している。簡単に言えば、個人でも金持ちの方が世間の評価は高いのと同じだろう。この基準で見ればアメリカは世界一に君臨し、隣の国は日本を抜いてその民度にも関わらず世界二位の地位を占めている。 ■ 人間が生物として高い知能を持った故、動物本来の生き方から脱却するのは或いは自然の摂理なのかもしれない。ただ、厄介な事に少々の知能では人類がすべからく平和に暮らす方法は依然まだ見つからないでいる。これは神が人に与えた試練とするなら、知恵を持った人類が自らの手で将来解決する道を模索していると考えた方が分かり易い。成長や発展の後に生じる富の偏りは歴史上常に社会問題を生じさせている。これは人類の解くことが出来ない永遠のテーマなのだろうか。 ■ 人が生物としてのエゴを追求すれば、まず自分が生き残ることが何よりも優先され、自分の欲しいものを充足させる道を選ぶだろう。今、我々が当たり前に思っている自由とか平等とかの概念も人類の歴史から見れば極めて最近の事で、中にはまだなおざりにされている国もある。世界は完成された社会や国ばかりではない。全体で見ればまだ混沌としていてカオスの状態だと看做した方が分かり易い。特に貧富の差はGDP最先端の国でも広がっている。共産主義を謳っている隣国でも貧富の差はもう我が国の比ではない。そういう我が国も今や貧困層は社会問題となっている。 ■ 現在世界で通用する経済を基盤にしたランク付けは、一つの指標としては意味があっても、人間社会はそれが全ての物差しではない。社会が等しく貧しかった時代は発展の為互いに協力出来たが、富が偏ると社会は安定を失する傾向が強くなる。 ■ アメリカの著名な投資家ウォーレン・バッフェット氏(Warren Edward Buffett 1930~)は2007年に自分の所得税を上げるべきだと主張している。株式配当や株の値上がりに懸かる税率はアメリカでは一律15%だそうだが、彼はその年17%の税金で済んだらしい。一方彼の秘書の税率はそれより高かったそうだ。 また、アメリカで過去30年の統計では1%の富裕層の所得はその間3.8倍伸びたのに、下位20%の国民の所得は18%の伸びにしか過ぎないと出ていた。上位1%で富の40%を保有し、公的資金で救われた金融機関の役員も今や高額のボーナスを貰いこの1%の仲間に入っているそうだ。こういう実態を知ると国民が怒らない筈はない。 ■ ちなみに、バッフェット氏は年収100万ドル以上には最低30%の税率とする「バッフェット・ルール」の導入を提言している。 ■ 経済協力開発機構(OECD)は「相対的貧困率」を定期的に算出して各国の数値を発表している。所得分布における中央値の50%に満たない人々の割合を示したものだが、2003年には日本は14.9%でOECD加盟国では4番目に高くなっている。一億総中流と言われた1970年代は国民にも活気があり、家・車・家電への国民の支出は国内の経済循環を活性化していた。今の高齢者が活躍していた時代である。 ■ こういった富豪の主張や統計の数字を見ると、今後世界がどういう選択をするのか興味深い。確かフランスの上流階級夫人も金持ちの税金を上げろと主張していた覚えがある。 ■ 今後の社会不安となる前に先進国は貧富の差に何らかの手を打つべきだろう。機会ある度に言うが、経済のグローバル・スタンダードなど影響力は大きいとしても単に資金の流れの自由化を謳っているだけで、そこには人智を働かせる必要がある。個人や、企業・国のエゴだけで資本を運用すれば格差社会は拡大して問題は解消しないし、安定した国は出来ない。少数の人や国が富を独占しても決して人間社会の安定には繋がらない。 ■ 幸い富も権力も欲しがらなかった西郷隆盛を評価する文化はわが国にはまだ残っている。仏教でも現世の欲を戒めている。 ■ 日本人は学校教育に従順に従う傾向が強いので、是非学校で教える教科に清貧で歴史に残った人達の事を教えて欲しい。人の価値は経済力に無い事を子供達なら信じてくれるかもしれない。 平成26年12月20日 草野章二
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