しょうちゃんの繰り言


あざとい企て
(決定事項の扱いについて)

例の口の悪い友人から「とにかく読んでみてくれ」という短文のメモと、それに添付されたやや長い文章が今日届いた。劇場型政治に対する彼のいつもの批判的な持論だが、何故ジャーナリズムが彼が指摘しているような問題について本質を見極めてきちんと取り上げないのか不思議に思っていた時なので私には大変興味深かった。彼は著作権などという世間の約束事を私に求めない筈だから、無断で披露することにした次第だ。一字一句そのまま引用するが、彼なら笑って許してくれるだろう。風邪気味なのと暮を意識して拙宅に来るのをためらったようだ。文章で彼の意見が届くのは今回が初めてではない。

以下が、彼の主張だ。

「普通、多数の人間が関わって物事を決める時、我々は多数決という民主的な方法でその都度処理している。また、特に国家単位の国際的同意事項は革命でも起きない限り、政権が代わるたびに合意内容が変更されることもあり得ない。国内でも政権与党の主張は常に過去との整合性が求められていて、総理が変わっただけでは重要案件の変更はよっぽどの理由が無ければ国民は受け入れないだろう。同じように地方自治体の決め事は予算の額が大きいほど、首長が代わってもその実施過程での継続性は維持される。つまり地方自治体の知事が代わっても、住民に対する説得力ある理由がない限り計画された公共の事業は後任によって継続されなければならない。従って、地方議会で一旦決定したものを新しく選出された市長や知事が独断で変更することは許されないことなのだ。長い時の経過で決め事が実情に合わなくなれば、それは当然議論の対象になり得るだろう。それに明らかな不正(法的判断から)又は不合理なことがそのプロジェクトの進行過程で見つかれば、これも新たに検討されることもあり得るだろう。つまり、合理的な理由さえ見つかれば全てが前任者の決定した通りに進める必要はない。

そういった決め事の大原則を前提として今回の東京都における豊洲新市場問題やオリンピックの会場を巡る混乱を検証してみると、多くの疑問点が浮かんでくる。

今、問題になっている豊洲市場の盛土に関する安全性を冷静に考察すれば、新知事が指摘する程危険な状態なのだろうかという疑問がまず湧いてくる。そして市場全体に対する盛土は安全の為の絶対必要条件なのだろうか。安全のため“豊洲市場全体に盛土がされていた”との認識は都議会も当時の知事も共有していたが、実態は建物の地下には盛土がされてなかったことが判明した。この盛土されてない箇所が安全に対する不信の大きな原因となり、知らなかった当時の市場長や知事が糾弾の的となっている。彼らは盛土されていたと理解して関係書類に署名し、その後の工事手続きを承認していたからだ。

しかし、その全体に盛土がされてなかった事実をもって豊洲市場は安全でないと決めつけるには論理的飛躍がある。全体が盛土されてなかったという現場の事実を把握していなかった理由で、当時の市場長は現知事によって責任を取らされ、わざわざ“二階級降格人事の処分”だと知事自ら都民に報告していた。マイナスの評価を声高にマスコミに伝えるリーダーの神経には驚かされた。不正があり、法的な違反でもあれば別だが、これでは東京都には今後辻褄合わせだけの役人が増えることだろう。

前にも“引越しの日”で君も触れていたが、もし全体に盛土がされていたら建物の工事を始めるためには全体の3分の1にあたる、建物の地下になる部分の盛土を又取り除かなければならないことになる。つまり全体に盛土がされていた場合、盛土を取り除く余計な手間とコストが掛かる。従って上司に報告がされていようといまいと、結果として都の技術系職員は当時正しい判断をしていたと言える。問題があるとすれば市場長・知事を含めた上司や議会に適切な説明がされてなかった内部の“ガヴァナンスの徹底”という点だけだ。この経緯の詳細な安全性に対する説明が問題発覚当時、現場の技術者から無かったため大きな混乱が後に生じる結果となった。現在の混乱を見れば盛土をしてない合理的説明を上司に徹底してなかった責任は確かに彼等にある。しかし、決して間違った方向へ技術者が進んでいたわけではない。そして一番肝心なのは現在の豊洲が食品を扱う市場として安全であるかどうかの判断だろう。これは素人の感性だけで決められるものではない。まして他の要素を混ぜ込んで政治的なパフォーマンスに終わらせてもいけない。湧き出た地下水に水道水並みの規準で議論し、しかも基準以下の数値を声高に危険だと騒いでいた政党もあった。こういったバイアズの掛かった判断ではなく、あくまで専門家による市場としての安全性の証明が必要になる。新しい建物の中での生鮮食品の売買に安全上の支障が無ければ豊洲は今でもすぐにオープンするべきだ。

豊洲市場の安全問題について当時の知事を呼び出し公開で質問する、と新知事は張り切っているが、この試みには全く意味がない。元知事が無責任だというような物言いで決めつけているのも、いつもの彼女のパフォーマンスと言わざるを得ない。現在の築地市場と豊洲新市場の安全性を今の基準で比べてみればいい。どちらがより安全か色の付いていない専門家に判断して貰えばすぐ分かることだ。豊洲の安全性に新知事が疑問を呈した事により、風評被害の種を撒いた事実も良く認識していて欲しい。大きな影響力と波及問題を抱えている行政府トップの判断は軽々しくなされるべきではない。まして政争の具として利用するのは決して許されることではない。現在の豊洲は市場を開いても何ら食品の安全性には問題ないと私には思える。ただ、私の安全に対する意見は通常どこでも得られる情報を基にしているから、他に明らかになっていない深刻な問題を豊洲が抱えているのなら話は別だ。

具体性の無い“ブラック・ボックス”や“沢山いた黒い頭のネズミ”等々、相手を悪者に仕立てて都民を味方に付ける“あざとい手法”は新知事の十八番だが、この底の浅い劇場型政治パフォ−マンスに国民は踊らされてはいけない。何より政権与党に属しながら対抗勢力と組んで政治ショーを繰り広げる様は異常としか言えない。新知事の依って立つ政治基盤は、その議員としてのスタートから見ても良く理解出来ない。それに、かつての仲間達からも彼女に賛同する意見は皆無だ。独りよがりの言動で彼等から相手にもされてないのが現状のようだ。古巣での彼女の評判は決して良いものではない。

2年以上の歳月をかけて各関係者総出で練り上げた3カ所のオリンピック会場に新知事は工事のストップかけ変更を画策したが、ことごとく失敗に終わり単に無駄な時間を浪費したに過ぎなかった。代替案で知事がら新たに出て来た三つ会場は全て過去に委員会で検討されていて、そこに決まらなかった結論には明快な理由があった。良く調べて慎重に検討すれば分かることだが、彼女には精緻に検討し妥当な決定を下す能力がないとしか思えない。前任者や決定に預かった人達を確たる証拠も無く利権の巣呼ばわりするのは品の良いものとは言えないだろう。こういった安易で根拠のない決めつけは、大衆受けはしても責任ある立場のリーダーには本来許されることではない。

都庁を退出する際“XXのOO退治”という新聞の見出しをカメラに見えるように、あざとく演出していたのも彼女だった。マスコミは概ね彼女に好意的に報道していたが、こんな子供だましの下品な手を大々的に報道するとこにジャーナリズムの劣化がある。

前知事の下で決めていたオリンピック・ボランティアの制服も新知事の一存で廃止を決定し、彼女の友人である女性デザイナーは新ユニフォー?に“知事の象徴となっているグリーン・カラーを基調とするのもいい”と言っていた。これこそ透明化を徹底するべきだろう。例え些細なことでも前任者が既に決めていたことは、よっぽどの理由が無い限り変更するべきではないし前任者に対して失礼なことだ。また、変更の手続きやデザイナーの選定は“見える化”を徹底しなければ彼女の主張と矛盾することになる。まして選挙の時、彼女の象徴とされたグリーンを何故ユニフォー?に反映させなければならないのか、女性デザイナーの判断力に常識を疑ってしまう。こういった手法を普通世間では“私物化”と言っている。

選挙戦術とはいえ“都議会を解散する”とか“ブラック・ボックス”とか都民に訴えるからには、発言に対する具体的な裏付けとなる実証が必要とされる。無責任で大衆受けを狙っただけの発言なら票は獲得出来ても彼女の言う“東京の改革”なんか今の手法では出来る筈がない。

選挙の際都民に約束した“山手線の二階建てで座って通勤”の公約は一切口にしなくなった。都内電柱の地下埋蔵も長年の懸案事項だが、今迄コストの面ですぐには実行出来ないでいた。税金をつぎ込み、電気・電話・ガス・等の料金を見直せば物理的には可能だが、そのコスト負担の解決策が見えないため話がなかなか進まないでいた。彼女が仕切ることによりコスト負担を都民が直ぐに受け入れてくれれば簡単に解決出来ることだ。誰もが電柱の無いことを願っていて、彼女が言い出したことで都民が初めて気が付いたわけではない。

東京都は都道に手を付けられても国道や区道沿いの電柱はどうするのだろう。都民の後押しで電柱を東京から失くしてくれれば、それだけで彼女の名はレジェンド(偉大なる貢献者)として後世まで残るだろう。ついでに山手線を二階建てにして通勤客が座って会社に出勤出来るようになれば、丸の内に彼女の銅像が建つかもしれない。

ついでに言えば、オリンピック関係の経費に関しておおよその目安は出ているが、何も確定したものはない。誰が知事になっても最終的な経費の調整は行われるだろうし、現時点で何百億円セーブしたと主張してもあまり意味がない。それに実質アメリカに次いで経済的には世界二位の日本にはそれに相応しいオリンピックを開催しても何らおかしいことはない筈だ。ロンドンが2兆円なら東京はそれ以上でも国の総合的経済力から判断して当たり前とも言えるだろう。それに東京オリンピックを契機としてて来日する外国人観光客は今後も増えるだろうから東京のみならず東京以外の都市でも経済的波及効果は期待出来る。

物事を矮小化して論点を絞るのは時として必要だが、大都市の知事ならもっと視野を広げてオリンピックの真の役割とそれがもたらす経済的効果を専門家に検討して貰ったらどうだろう。古巣の同僚議員に彼女への賛同者が少ないのは、“自分ファースト”のあざとい手法を見破られていることを本人が分かるべきだ。個人的な上昇志向や野心を非難するものではないが、都民を考えての“都民ファースト”なら共に働いた議員仲間を納得させなければどんな改革でもうまくいく筈がない。

人としての基本が出来てなくても議員になった連中は幾らでもいる。特に対立という手法でのし上がる気なら、もっと本質的な課題に取り組み対立の相手さえ説得出来るようなちゃんとした考えを出すべきだ。最近“愛人にあげた着物”で知事はリオのオリンピックに出ていたと週刊誌に書かれていたが、出鱈目なことを書かれたのならちゃんと反論するべきだろう。書いた週刊誌は三流とは思えないが、他のマスコミも沈黙を守っているのは何か訳があるのだろうか。彼女を全否定する訳ではないが、相手を全否定するような彼女の手法に対しつい言いたいことを言ったまでのことだ。君が書いたのは“くり言”として出ているが、俺の文はさしずめ“たわ言”とでもなるのかね」

ここで終わっている彼の文章には何の解説も要らないだろう。

草野章二

平成28年12月25日