しょうちゃんの繰り言


脳の働き
(素人の妄想)

先日(11月30日)、たまたま見ていたNHK教育テレビで(今では呼び名が変わったようだが)、今年2014年のノーベル生理学・医学賞受賞者の研究結果を専門家が解説していた。動物が自分の居場所を正確に認知出来るのは、脳のある細胞の働きに依るものだという事実を発見した功績で、ジョン・オキーフ氏(John O’keefe, America)とマイブリット & エドバルド・モーザ夫妻 (May-Britt Moser & Edvard I. Moser, Norway) が栄えある受賞を果たした。受賞テーマ―は「位置情報を司る脳の神経細胞の発見」という事らしい。

いずれもラットでの実験だが、オキーフ氏はある場所に居る時だけ脳が活動する「場所細胞」の存在を発見し、一方モーザ夫妻はラットがある複数の場所で脳が活発に反応する事を発見した。その活発な地点を結ぶとマス目の六角形になる事が判明し、それを感知する脳細胞を「格子細胞」と名付けた。この両方の「場所細胞」と「格子細胞」がネットワークを作り、ラットは正しく自分の居る場所を確認出来るらしい。ちなみに、この「場所細胞」と「格子細胞」は今ではヒトにも見つかっているという。

拙宅に来る度に道を間違える大学の同級生が居るが、今まで地理音痴とからかっていたのを改めなければならない。彼の名誉の為この理論で説明すれば、彼は「場所細胞」と「格子細胞」の活動が不自由なだけで、決して知性が劣っていた訳ではなかった。

この番組で、解説者の「ロンドンのタクシー運転手の海馬は大きくなっている」という発言に興味をそそられた。位置の認識は脳の海馬という部分の働きに依るものらしいが。ロンドン市の地図を熟知してなければ務まらない仕事だけに素人にも納得がいった。私の数少ない経験からも、地名と番地だけで正確に最短距離で客を目的地まで運ぶロンドンのタクシー運転手は正にプロの技を持ち、日ごろの鍛錬と実践が彼等の海馬を発達させていたという現象が理解出来る。

これをヒントに素人の妄想に近い暴論(?)が生まれてきた。

身近でも知能の発達した人で、現実世界(主に仕事の場でだが)に適さないバランスの悪い人がいる。視野が狭い・協調性がない・連想ゲームが出来ない・人格に問題がある・マニュアルが無ければ動けない・判断力が無い・等々、負の部分を背負った人達だ。ただ、彼らの共通点は私立・国立を含め、皆一流と言われている大学を卒業した偏差値の高い連中だ。簡単に表現するとお勉強の出来た秀才達という事になる。大学では優秀な成績だったと聞けば世間に通用する呼び方で表せば秀才と言うしかない。

逆に、これだけの学校を優秀な成績で卒業したからには彼らの知能は発達しているだろうと推測出来る。日本式訓練を経て努力した結果であり、求められた条件は満たした事になる。それも普通の人より学校の成績では優れた位置に居た人達だ。

脳の働きに関する究明は、医療科学技術の発展と共に最近急速に進み、我々にも色々な新しい発見をさせてくれる。専門家は脳の働きに応じた対処法を考え出して、教育や訓練にも応用出来ることを教えてくれている。経験的に出来上がった過去の訓練方法も決して無駄ではなかっただろうが、今後はより効率的な方法が出てくる可能性もある。

頭も、成績も、人柄も良くて、なおかつ一流大学を出て各方面で活躍しているケースも多いものと思われるが、直接・関節の繋がりを含めて私の周りで目立つのは、何故か前述したようなバランスの悪い例ばかりだ。

前にも書いたが、国境を複数の国と接している国民は母国語以外の言葉を話すバイリンガルが多い。つまり人間の脳は我々のように学校で特別学習しなくても、二ヶ国語位は環境によって同時に自然と覚える事が出来るようだ。彼らは、学校で学んだ我々では太刀打ち出来ないレヴェルで外国語を操り、殆ど母国語と変わらない修練度で使っている。

これは人間の脳の持つ能力を我々に教えてくれているが、この能力は年齢が若い頃でなければ発揮出来ないようだ。知人で外国に成年後半永住している人が居るが、未だに会話は買い物程度にしか通用せず、その国の経済や政治・文学をその国の言葉で完全に理解する事は出来ない。彼は才能ある男だが、残念ながら語学の才には恵まれなかったようだ。或いは新しい言語を習得するには歳を取り過ぎていたのだろう。

生まれつきの天賦の才があっても、人は訓練でその能力をより高めることが出来る。音楽・スポーツの世界で考えれば分かり易いだろう。同時に学校の勉強も絶え間ない訓練で能力を高めることは出来る。普通程度の記憶力さえ備わっていれば学校の試験には合格出来るだろう。日本で行われているあらゆる種類のペーパー・テストは、定員若しくは募集人数以上の参加者を選別する方法として取り入れてある。各入学試験、官庁・職場の採用試験、各種資格試験等々は全てこの範疇にある。つまり受験者の公正な順位を付けるのがペーパー・テストの最大目的で、その利点は短期間での採点が可能だという合理性に尽きるだろう。しかし、このペーパー・テスト方式は適性の判断にはあまり向かないようだ。

人間は必要に応じた、若しくは必要とされている学習に集中し、そこでのハードルを超す事に努力する。しかも、それが自分の将来を決める大事な試練であれば、当人はもとより親も必死になって援助する。日本で学習塾が流行っているのはこういった背景があるからだろう。過去何度も指摘したが、そこで必要とされているのは、大部分はあくまで与えられたことの正確な再現能力だ。その結果アジアの国々でも、日本の大学生若しくは卒業生の英語能力は、日常の業務には役に立たないという負の評価を貰っている。また、司法試験合格者が社会教育訓練を新聞社等で経験したという記事を読んだ事がある。確か検事志望の修習生だったと記憶している。また、社会性の無い医師や弁護士なら世間には幾らでも居る。

念の為断っておくが、いずれの分野でも、どんな試験結果でも優秀な人は少なからずいるものだ。ただ、形骸化したチェック・システムでは、試験を受かっただけの人間が沢山生産されるのも事実だ。

必要に迫られてロンドンのタクシー運転手は海馬を発達させたが、日本の学生は必要に迫られてどの部分を発達させているのだろうか。

このとこ毎回、お騒がせな新聞社の例を出して申し訳ないが、あの新聞社も入社するには高学歴と優秀な成績が必要条件ではなかったのだろうか。それにしては偏向した記事や論説をむしろ確信犯的に長期間にわたり流し続けている。事実に基づいた記事や論説なら共感も得られるだろうが、このとこ糾弾された例ではことごとく自分達の主張のため捏造された事実が浮き彫りにされている。原発での調書の読み間違い(吉田調書)、慰安婦問題での長期にわたる虚偽報道の放置(吉田証言)、南京事件での根拠の無い記事、等々挙げていけば限がない程偏向した報道を続けている。どう見てもこういった姿勢からは、知性の欠如か敵意を持つ他国のプロパガンダ、としてしか私には見えない。本当にこの社には高等教育を受けた知性ある人間は居るのだろうか。

どういう記事がベースであれ、そこから出た主張は自由に発表する事は出来るが、少なくとも記事そのものが事実に基づいたものでなければ説得力はない。見解や主義の違いはお互いに認めよう。但しそれらを主張する根拠が捏造されていれば、もはや主義とも主張とも言わない。成績優秀、高学歴のエリート集団と看做されている新聞社(?)が、この程度の事さえ判断出来ないとこに教育の難しさを感じる。

彼等は教育で脳のどの部分を鍛えたのだろう。イルカや猿に芸を教えるレヴェル程度ならその成果に多くを望まないが、少なくとも記事を書き論評するのであれば単なる条件反射で済む訓練だけではその役は果たせない。この新聞社に限らず、何処で学び訓練したのか分からないような、役に立たない成績のいい高学歴者がいろんな分野で見られるが、共通点は知性の欠如だ。

知識の豊富さを武器にし、それを振りまわしても判断力が伴わなければ何の役にも立たない。教育が何を求め、どういう結果をもたらしたのか関係者はもう一度見直してみる必要がある。学問とは先人が説いた内容を諳んじる事ではない筈だ。そこから何を学ぶかが大事で、強いて言えば自分なりの人格・品性を完成させるための勉強ではないだろうか。皮相的な効率を求めるから経済の世界ではグローバル・スタンダードと称する中身の無い、資本の単純な流れを有難いものと受け止めている。この単純な経済の原理をあらゆる分野ではびこらせれば、品も知性も無い小商人(こあきんど)が天下を取り、政治家や言論人もそれに習うだろう。

件の新聞社もインテリと称する偏向した集団に守られ、受験生相手に億面もなく新聞の売り込みを大々的に行っている。売り文句が「試験に良く出る新聞」だから笑ってしまう。出題する学校関係者が有力なこの新聞社のサポーターのため、高校生の青田刈りを続けていれば稼ぎ続けることは出来る計算だ。大学の問題に出題されることより、国益を如何に棄損したか考える時ではなかろうか。互いの主義主張は許されても、知識人ならそれなりの矜持を持って貰いたい。かつて反論や反対意見に高圧的、かつ不遜に対応したこの社の姿は今となっては無知な人間の虚勢にしか見えない。

ここにも偽りの権威が見えてくる。崩れてみれば単なる偏向集団の象徴だった事が明らかになるだろう。

知識はあるが知恵や品の無いインテリを「理念なき」という形容詞で括れば、多くの秀才達にも適用出来るだろう。何を教え、何を学ぶか考えないからこういう人材しか育たない。

幸いに物の見える有能な人達はまだ残っている。彼らの脳を調べ、本当の知識人の在り方を解くカギが見つかればノーベル賞以上の栄誉を与えてもいいだろう。知性を司る脳細胞はどこにあって、どう鍛えればいいか誰か早く発見して貰いたいものだ。

日本では、それぞれのハードルを越すために働く脳細胞は経験的に分かっているから、今度は「偏らない判断力」の鍵となる脳細胞を見つける番だ。もしかしたらその細胞は「格子柄」でなく「正」の字の形をしているかもしれない。この荒唐無稽な予測が当たればノーベル賞を貰えるだろうか。

後天的な訓練で得た人智に限界があるのなら、正しい知性を司る脳細胞に頼るしかない。

あればいいが。

平成26年12月1日

草野章二