しょうちゃんの繰り言


絆(きずな)

東日本大震災は我々日本人に「絆」という人間として大事な要素を思い出させてくれた。まさに社会生活はその絆があるからこそ成り立っているので、平時にあっても、この絆が無ければ本来社会の仕組みは旨く機能しない。生産する人は消費する人があって初めて成り立ち、演技する人は観客があって初めて成り立つ。病院も病人が居なければ成り立たない。そこには本来、上も下もない。こういった人間社会に出現する因果律の中でそれぞれが己の役目を全うし、互いに必要とされるからこそ絆が存在する。ただ日常では、あまり当たり前過ぎてその事を我々が意識していないだけの話だ。直接互いが結び付いているかどうかより、同胞として困っていれば自然に手を差し出すのが人としてのあり方ではないだろうか。我々日本人は大震災後、誰かに指示された訳でもなく強制された訳でもなく、利害や損得を抜きにして被災者救済の行動を取った。多分これは本来人間の持つ特性のひとつで、日本人だけのものではないだろう。

私は5歳の時長崎で原爆の被害に遭い、自宅に居たため助かったのだが、そこは爆心地からわずか1.4キロの距離だった。当時医薬品や救援の迅速なバックアップも無く、被爆した市民は全く悲惨な状態だった。現在であれば自衛隊の救護活動があり、食料や飲料水の供給はもとより、重傷者はヘリコプターで設備の整った病院に移送することも可能だが、当時は何にもなかった。日本中が他人に手を差し伸ばす余裕も無く、多分義援金さえも集まらなかったのだろう。また、今日のように強い自己主張をする人も居なかったようだ。時代が違うと言ってしまえばそれまでだが、ぎりぎりのところで生きてきた私達の親たちはそれでも互いに助け合い、見事に復興を遂げた。過酷な運命を呪うでもなく、暴動を起こすでもなく、大人しい羊のような目で必死に生き延びた。長崎のみならず多くの国民が当時それぞれかけがえの無い犠牲を払い、今日の繁栄を築いたと言っていい。親の話では、戦後の困難な折でも助け合う人も居れば、人の弱みにつけ込んだ人も居たらしい。それが人間だ、としか言いようがないし、何時の時代でも様々な人がいるとしか言えない。ただ、多くの人達が助け合って生き延びたことは事実だ。

今回の震災の折、衣食が足りた後の礼節は昭和20年の頃より、はるかにゆとりをもって示されていたと想像出来る。

どんな職業であれ、人の社会に対する貢献は全て他との絆を生み、全体として調和を持って社会や国を形成している。一芸に秀でようが、秀でまいが、その時存在する人達全てが社会の構成員として認められている。反社会的な人達も含め、国は彼らを抹殺するのではなく基本的には更生指導で社会復帰を促している。あたかも人間の体が60兆の細胞から成り立ち、各細胞の有機的結びつきで我々人間に個体としての生命を吹き込んでいるのと同じ様な図式が国(社会)と個人との関係にも見て取れる。

同じ時代に生を受け、社会や国を構成したメンバーは自己の生き残りだけではなく他との協調も当然要求される。大勢の人間が生きていくには何がベストなのか人類の歴史がその経験則から教えてくれている。宗教が生まれ、哲学が生まれ、人類は単に食べて生きるだけではなく、生き方にも拘るようになってきた。形而上的な判断が意味を持ち、そのことが人類をして高等な知性と知恵を持つ人間にまで成長させた所以だろう。その時代に生きた人達の巡り合わせは単なる偶然だったとしても、我々は自分の存在する時代や仲間を選ぶことは出来ない。そこで生じる人為的、若しくは自然の出来事にそれぞれが対処するしかない。考えてみれば、今の日本で生きているということは或いは幸せなことかもしれない。飢えの恐怖もなく、圧政の苦しみも無い。70年近く戦争とも無縁だった。その間、国内では宗教上の争いや民族間の軋轢・争いも無かった。資源に恵まれない極東の小さな島国が第二次大戦後の荒廃の中から立ち上がり、世界経済第2位まで上り詰め、結果として国民の生活は確実に豊かになった。世界的に見れば日本は勝ち組となったが、国民の満足度はどうなのだろう。

神戸での大地震の折、地元の暴力団が炊き出しをやり、市民に生活用品を無償で配った。彼らも人の子である。「愛国心は無法者(ならず者)の最後の砦」という言葉があるが、日ごろの言動は兎も角、困った人が居れば助けるのが人間の反射的な行動だろう。そこにまだ人間としての救いが見て取れる。

ただ、我こそ善良で常識豊かな市民であると自負している(?)人達の中にも、被災地の無害な瓦礫を頑として受け付けない人もいる。自分が自然災害の被害者になった時、彼らはどういう反応をするのだろう。人は何も無条件に同じ方向を向く必要はない。しかしどういう反応をしたかは本人を含め、互いにちゃんと認識しておいた方がいいだろう。

「国民は自分のレベル以上の政治を望めない」というイギリスの諺になぞれば、「我々は自分達の水準以上の社会(国)は造れない」と言えるだろう。これだけ教育が普及し、大学への進学率が高くなっても、必ずしも上等な人間が増えたわけではないようだ。そのことは銘記しておくべきだと思う。教育の成果とは何だろう、という疑問に基本的な問題意識を持って今一度考えてみてはどうだろう。

ファースト・フード店のマニュアルは未経験なアルバイトの店員や未熟な職人に対応する為に生まれたもので、文化度の違う日本が真似する必要はない。ともすれば教育の分野までマニュアル化されているような現状に大人が黙っていて良いのだろうかという疑問が湧く。人間の行動規範や判断は本来マニュアルで全てが示されるものではない。調理された食品の店頭販売という単純作業を、短時間に画一的に教育する為生まれた単なる指針にしか過ぎない。言語・宗教・民族・教育程度等の違う集合体にあっては、作業効率・経済効率を求めれば対応策の一つとして評価されようが、そんなに意味のある奥深いものではない。

資本主義経済の行き着くところは想像出来ないが、現在あらゆる価値判断の基準が経済を基本に置かれている。前にも書いたが地主の含み資産を増やしたのは彼らの努力ではなく、経済の発展に寄与した国民である(拙文「物の値段」参照)。公務員の安定した生活と老後の保障も国民の税金が元になっている。成功した弁護士や医者もトラブルを抱えていた人達からの報酬である。繁盛している飲食店も本人たちの努力があったにせよ、顧客の払う対価で成り立っている。人が生きると言う事は他人が居なくては出来ないことだ。その事を肝に銘じていれば絆は自ずと見えてくるしその本質も判ってくるだろう。我々は60兆の細胞の一つだと思えば分かり易い。

各個人が、今まであまりにも目先の損得に捉われていなかったか、己の利害にのみ拘泥していなかったか、という事をもう一度考えてみて欲しい。医学部に進学し、医者になれたことは当人として大いに誇りにしていい事だが、当事者が払った授業料ではとうていそのコストは賄いきれていない。国民(税)の援助があったことは生涯忘れるべきではないだろう。だとすれば単なる自分の利便・都合だけで働く場所を選択するのでなく、無医村に対する対策も自分達(医者自身)で提案すればいい。もっと言えば患者の発生は日曜・祭日を問わない。個人で対応出来なければ地域での分担でもいい。知恵を絞れば幾らでも対応策は出てくる。医者になるということはそういうことではないのだろうか。

“Noblesse Oblige”は色々な訳語があると思うが、“賢者の義務”とすれば分かり易いと思う。難しいとされている試験に受かり、それなりの敬意を払われている立場なら、この言葉は、自分の栄達のみに拘るのではなく、他への配慮を促す至言として心に刻んでいて欲しい。社会はあなた方の知恵や力を必要としているのです。恵まれた才能を社会に還元する気持ちがあれば世の中はもっと住みよくなるだろう。道徳、倫理、哲学といった人間の行動規範になるものは経済効率を高めるものではないが、少なくとも我々の考える幅を広くしてくれるし、視野を広くしてくれる。他人への思いやりといった、共同生活を基本とする人間の根底に絶対必要な要素だという事を考えてみてはどうだろう。例の口の悪い友人が言っていた“単なる金儲けなら「おれおれ詐欺」でも出来る”という発言は何か深い意味を持っているようにも思えてきた。

1000年に一度といわれた自然の大災害は、副産物として日本人に絆を思い出させてくれた。自分の事から一歩外に出て、他への思いやりの気持ちを持つことが如何に大事かを実感させてくれた。世界がどんなルールで生きようと、我々は誇り高く生きることが出来る。過分な不労所得を求めない潔い精神が新しい価値観を生む可能性がある。余談だが、政治家の資産公開で石原慎太郎・橋下徹の両氏は株を所有してなかったことが明らかになった。偶然なのかどうか、当人たちの意図は定かではないが彼らであれば何となく納得出来る。

ルールの下で儲かることは悪いことではないが、過度に走るマネー・ゲームは品のいいものではない。人間の尊厳は預金や資産の多寡で決まるものではなく、その人の持つ品性で決まる。衣食が足り、絆を思い出した我々が次に目指すのは資産の倍増ではなく、恥ずかしくない生き方ではないだろうか。金貸しや株屋に主導権を取らせてはいけない。お金なんて必要悪くらいの気高さを持ちたいものだ。

それにしても、もう少し金があればと思う人は私を含めて沢山居そうだ。

平成25年5月2日

草野章二