久し振りに例の口の悪い友人が奥さんを伴って訪ねて来た。春めいた気候に思い切って出て来たと笑顔で説明してくれた。彼なら何時でも歓迎だ。この歳で忌憚なく話せる友は私にとって大変貴重な存在で、彼に会うとこちらまで精神が高揚してくるのが実感出来る。身体はまだ幾らか不自由だが舌鋒は何時も鋭く、その発言の過激さは病後でも変わっていない。
彼は前振りも無く話し始めた。
「学歴を詐称して謝っていたが、俺なら別の方法を取るよ」
彼が言おうとしているのは最近学歴詐称でテレビ・キャスターへの道を棒に振った自称経営コンサルタントの話に違いない。
「世間は何がしかの経歴や肩書が無いと相手にしてくれない。特にテレビ局は視聴者が納得するような肩書を求めるが、発言の内容にはあまり拘ってないようだ。リーマン・ショック後、“円は1ドル60円台まで上がり、ドルは基軸通貨から外れる可能性がある”とご高説を無知な国民に披露した御仁は、未だにその大外れの予想にも関わらずテレビにも新聞にも出てくる。彼の経歴には東大・大蔵省・大学教授という切り札がある為、たいして判断力の無いテレビ局が使い続けるのだろう。また、彼はリーマン・ショック前“アメリカでは年利35%の金融商品を開発している。日本の金融機関も見習うべきだ”とパイプを咥えた評論家と一緒になって煽っていた。その金融商品がリーマン・ブラザースの破綻を招いたことは明らかだが、彼から何の説明も未だに無い。先走って利口ぶるのが得意で、俺の知る限り当ったためしも無く、古巣の大蔵省では全く評価されてないという話だ」
この話は彼と何度か交わしたことがある。ただこの手合いなら幾らでもいる。かつて野党の党首を務めた男も、バブル崩壊前の1989年暮に翌年の株価を4万5千円まで上がるとテレビで予想し見事に外れている。政治家になる前の当時の肩書は経済評論家だった。同じ時期、経済評論家と称する男は5万円と予想した。その男が最近中国に関する解説本を出版し、結構売れていると宣伝文句には書いてあった。懲りない男達にテレビも世間も寛大だ。
彼は続けた。
「本を出すにも知名度が無ければ自費で負担するしかない。内容より知名度を優先させれば当然野心のある男なら知名度を高めるための作戦を練るだろう。学歴詐称という幼稚な手段なら、遅かれ早かれ破綻をきたすのは分かり切ったことだ。この男はそんな幼稚な方法で、最期は涙声で謝ったらしいが情けない限りだ。問題を起こした大臣の任命責任を鋭く追及するテレビが、自分が任命するメイン・キャスターには所謂“身体検査”も行っていなかったことが今回の騒動で判明した。俺の言葉で表現するなら“いい加減なテレビ局が、いい加減な男を使っていただけの話だ」
新しくタバコに火を付けると彼は皮肉な笑顔を見せてさらに続けた。
「俺だったら、“学歴詐称は計算の上での私の作戦です。私の意見を皆様に聞いて貰いたかったため敢えてこの手段を取りました。そうでもしなければテレビ局は私を使ってくれなかったでしょう。わたしは自分の評論に自信があります。ただ、自分の口から説明する前に週刊誌に暴かれたのは誤算でした”とでも言うがね」
相変わらず人を喰った言い草だが、私には彼の辛辣な皮肉が面白い。久し振りに彼の切れ味鋭い漫談を聞くことにしよう。
「元々テレビ電波は割り当てが決まっているため、テレビ業界はラーメン屋のような自由競争の世界ではない。新規にオープンすることは出来ない世界だ。守られているため著名人の子弟を優先的に採用するようなテレビ局が、学歴詐称位で番組を降ろすのはおかしくないか。何年も彼が放送の世界で生きていたのは、彼の見識や意見をラジオやテレビ局が評価した結果だと思うが違うのかね。聞けば15年間ラジオのDJをやっていたらしい。ラジオなら身体検査も無いし、自称混血のイケメンで、低音の渋い声なら誰でも良かったのだろうか。それにテレビでも肩書だけで中身はどうでもよかったと言うのが実態ではないのか。権威を疑うのがジャーナリズムの原点だと思うが、これを期にますます経歴のチェックは厳しくなるだろう。だが、彼等がやることは皮相的な辻褄合わせに決まっているよ。所得格差を槍玉に挙げながら、実際に番組を作る下請けは、テレビ局員の半分位しか給料を貰ってないケースもあるらしい。人工日焼けした司会者は番組で毎回300万円も貰いながら“俺たち庶民の立場から”と番組の中で盛んに正論(?)を述べていた。庶民は彼の一回のギャラで一年暮らしているのを知っているのかね」
一息つくとさらに続けた。
「もし学んできた自負があるのなら、そしてもしジャーナリズムを標榜するのなら、経歴ではなく中身で評価するべきだろう。中身の評価が出来ない為経歴や肩書に頼っているのではないか。現総理の家庭教師だったお方は偏差値最高学府を出て警察官僚になり、政治家をやっているがまだ大臣にもなってない。多分彼は大臣になることが目的ではなく、国民のための政治に勤しんでいるのだろう。大臣なんかテレビで顔を売った女性が優遇され、バラエティー番組のアシスタント司会者が抜擢されている。彼女の見識が大臣に相応しかったからではないと思われる。政治の世界は別の価値観があるに違いない」
私は応えた。
「そう言えば大臣にもなった同じような経歴の女性は、国会内でグラビア撮影をして問題になった。ただ、彼女達のために敢えて弁護すれば、国会に相応しくない議員は男性にも多く見られる。これも選挙制度という民主主義の原点が織りなす現象だ。国民が選んだのであれば致し方ないが」
頷くと彼は付け加えた。
「風が吹くと“xxチルドレン”と呼ばれる議員が必ず当選する。維新の名をかたって当選した汚物を連想させる県議は政務費の誤魔化し疑惑で現在裁判中だ。妻の出産時に浮気がばれて国会議員を辞任したのは保守党の公募に通った男だった。同じ様に公募で当選し、現在バラエティー番組で稼いでいる男も同類だ。政治を志すのは個人の自由で、それを選ぶのは選挙民の判断だ。特に比例代表制の選挙だと、こういった雑なのが入り込む余地があり、彼らを推薦した政党の責任は大きい。連中を見ていると残念ながら議員としての資質は何処にも見られない。表面に出たのはほんの一部で、相応しくないのが国政にも地方にも幾らでも隠れていると思った方が良いだろう。これは全て民主主義のコストと考えるしかない。アメリカでトランプを大統領に推すのも最後は国民の聖なる判断だ。それが賢明な判断だかどうかは保証出来ない。その為にジャーナリズムがあり、各種言論機関があるのだが、日本では30年以上も間違いを正さなかった新聞社もあることだから、あまり当てに出来ないがね」
家内が出したコーヒーに口を付けるとさらに続けた。
「かつての国会議員や候補者の中にも学歴詐称で問題になった例は幾らでもある。この古典的な手法で押し通せると思った程度の判断力の男にコメンテーターやメイン・キャスターをやらせるのは確かにテレビ局に問題がある。ただ、内容に見るべきものがあったのなら、経歴詐称は致命的な問題ではない筈だ。形骸化した肩書が役に立たないケースを我々は幾らでも経験している。嘘が許せないと正論を通すのであれば、誰も何にも言えなくなるぞ」
私は応えた。
「主張には一貫性と内要に整合性があって始めて説得力を増す。この単純な議論のルールさえ弁えない連中が政治の世界やマス・メディアに居るのが問題だろう。日本国憲法の第九条を忠実に守れば私の解釈では自衛隊は明らかに憲法違反だが、我が国は別の判断をしている。しかし問題は独立国がどうあるべきかという基本的なコンセンサスを形成すべきなのに、何故だか平和憲法を守るかどうかの議論にすり替わっている。憲法学者の判断も単に解釈に終始し、独立国として相応しい憲法かどうかの提案はなされてない。現状では憲法改正は必要だと思うが、野党を始め文化人と称する一団が強固に反対している。それで平和が守れるなら何も言わないが。本質を考えないで肩書や経歴で有難がるから議論がおかしくなる。大学教授もノーベル賞受賞者もその肩書に値する意見を持っているかどうかは分からない。ましてテレビ文化の底の浅さはかねてから指摘されている。そんな世界で学歴詐称など大騒ぎする問題だろうか」
「平和憲法と言えば耳触りも良いし、誰もがその“平和”という表題だけで納得する。もっと肝心なのは今の憲法で平和が守れるかということだろう。憲法九条を死守することで国民の安全が守れるのなら、結構な話だが、現在の国際情勢はそんなに甘いものではない。少し考えれば分かると思うが、大勢は相変わらず少しもものを考えないようだね。テレビもキャスターも評論家も、俺から見れば骨のある奴はあまり居ない」
と皮肉な口調で彼はコメントした。
学歴詐称した男が居て、彼は少なくとも15年間ラジオの世界で活躍していた。時にはテレビに出ることもあり、評判が良い為メイン・キャスターとしてこの4月から番組を任されることになっていた。友人が言うように、そんな彼を抜擢したテレビ局の身体検査はどうなっているのだろう。今後は総理の大臣任命責任には鋭い突っ込みが入れ辛くなるに違いない。主に女性の声だが、彼の評判は悪くないという。彼女らは「誰も被害者が居ないから、大騒ぎすることではない」とその本質を語っていた。これも形骸化した権威に対する彼女達の批判だろう。
友人が最後に纏めた。
「俺があの男だったら、反対に最終学歴“義務教育修了”で売り込むがね。内容に自信があれば何も外国の大学の力を借りることはない。何時も言うことだが、学問の神様として祀られている菅原道真は大学を出ていない。俺も一応高校・大学は出ているが、成績は最低で自慢出来たものではない。お陰で一流とされている企業には就職の願書さえ出すことが出来なかった。学校が推薦しないからだ。行きたいと思わなかった俺には、それに対する不満は何も無い。そういう約束事で世の中は運営されているからだ。俺一人が勝手な自論を主張しても単なるゴマメの歯ぎしりに終わるだけなのは良く承知している。問題は、今当たり前のように通用している物差しで、しっかりした社会が出来るかどうかだろう。詐称なら誰もが憶えがあるだろう。特に俺なんか、かみさんをモノにする時は人格の詐称までやったよ」
隣に座っていた彼の奥さんと家内は腹を抱えて笑い出した。
平成28年3月22日
草野章二
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