しょうちゃんの繰り言


物語の背景

例の口の悪い友人が訪ねて来た。正確に言うと珍しい酒を貰ったので拙宅で一緒に飲もうということだった。彼の来宅の真意は、我が家のかみさんが作る酒の肴にあった。かみさんの料理は彼の口に合うらしくて、無条件にいつも褒めている。また、かみさんはそれを眞に受けて彼が来る時は手を抜かない。私にしてみれば、美味しい酒と旨い料理なら文句は無い。彼の来訪なら手ぶらでも歓迎する。

以下はかみさんが料理の準備をしていて、私達がまだ酔う前の会話だった。

「俺はどうも強い酒は身体が受け付けないようだ。洋物の度の強い酒は苦手で、日本酒が一番合っている。それに貧乏人のせいか高いワインと言われても安物との区別もつかん。これは俺が生きた70余年の実生活の歴史から出た自然の反応で、かつそれが導いた結論だろうと思っている」

思いがけない事を彼から聞くのは毎度のことで慣れてはいるが、彼が何を言おうとしているかはまだ見当が付かない。

「食べ物に関してはごく普通の日本食が主体で、フランス料理はあまり食べたことは無い。食べた時の味の良さは分かるが、後の胸やけにはいつも困らされている。そして一度食べると、後半年位食べなくてもいいし又食べたいとも思わない。嫌いではないのだが。思うにこれは俺が典型的な日本人だからではなかろうか」

私も似たような体験をしているので、この意見には同意出来る点がある。

「朝も必ず米の飯と味噌汁が我が家長年の習慣で、パンとかバターとかは俺の嗜好に合わないようようだ。年に何度か口にする程度で、コーヒーもあまり飲まない。もっぱら安い日本茶が俺の愛用だ」

それなら私も良く知っている。彼のかみさんが「パンと目玉焼きなら朝の準備が楽なのに」とこぼしているのを何度も聞いている。

「そんな食生活で出来た身体が西洋の強い酒に合う筈がない、というのが俺の単純な結論だ。刺身には日本酒しかないと思うのは俺だけかね。何事にも結論にはそれなりの背景があるという事を言いたいのだよ。食べ物には本来好き嫌いはないのだが、気が付くと自分の慣れ親しんだものを選んでいる」

それなら私にも同じことが言える。基本的にはあまり冒険しないで外食も知らない店に飛び込みで入ることはまず無い。エスニック料理は自分から挑戦しようとも思わない。

彼も私も食べ物に関しては保守的で臆病だ。今はやりのグルメにもなれないし、ワインの通にもなれない。まして二人とも料理に関して語る事も出来ない。唯一彼が料理に関して口にするのは我が家のかみさんが調理したものは何でも旨いという感想だけだ。

「先日テレビで“マイ・フェア・レディ”を放映していたのだが、30代と思しき男女がこの映画の解説をしていた。オードリー・ヘップバーンが撮影時に30歳だったにも関わらず20歳の役を演じたことと、後は主に彼女の着る物に関する知識の披露だった。原作者に触れる事もなく、ストーリーの成り立つ背景の解説も無かった」

手作りのつまみが来たのを境に、彼は酒の蓋を開け互いの小さめのグラスに注いだ。

「このストーリーには英国の階級社会が背景にあり、下層階級出身の娘イライザが言語学者のヒギンズ教授によって発音と発声を徹底的に直され、短期間に上流階級に通用するレディーに変身する様を劇作家のバーナード・ショウが書いたものだ。階級によって話される言葉が違う事を知っていないと、この映画を理解することは無理だろう。バーナード・ショウはこの階級制度の馬鹿らしさも描いており、映画では階級を超えた愛の物語になっていた。決してオードリー・ヘップバーンのファッション・ショウの映画ではない」

彼はさらに続けた。

「イギリスではシェークスピア劇に出る舞台俳優は例外なく端正な英語で発音も明瞭だ。フランスの歌手イヴ・モンタンもデビューする前に徹底的に訛りを直されている。正しい言葉を話す事に彼等は我々日本人以上に気を使っている。正しい言葉を話すのは教養ある人間の最低の条件で、彼等はそれだけ言葉を大事にしている。シャーロック・ホームズも話し言葉で住んでいる地域や職業を何度も当てている」

なるほど、彼の言うように背景が分からないと、映画の中で描かれたバーナード・ショウの皮肉たっぷりな笑いを真に理解する事も出来ないだろう。こういった言葉に対する文化と背景を知っている事が前提で原作は創られている。日本で映画が上演されるなら、解説者はこのストーリーの成り立つ文化的バックグランドを説明しないと我々日本人には分かり辛い。

「アメリカのギャング映画で、チンピラの若者が高級レストランで食事をした帰り際に周りの客に聞こえるような声で“俺のデユーセンバーグを玄関に回しといてくれ”とウェイターに命じるシーンがあった。字幕では“俺の車”となっていたが、これではチンピラの真意は伝わらない。当時デューセンバーグはロールス・ロイス以上の高級車で、彼は自分の乗っている車を周りに大声で知らせたかったのだ。チンピラの浅はかな見栄を監督は描きたかったのだろうが、日本では残念ながらこれも観客に上手く伝わらなかったと思うよ」

言われてみれば、未経験な世界での出来事には我々は深くまで入れない。“湯豆腐が美味しい時期だね”とか“鍋物が食べたいね”と言う我々の季節感を外国に住んでいる人達に直訳しただけでは理解させるのは無理だろう。まして小説に出てくる“なんでやねん”という日本語を外国語に翻訳した場合、関西出身の人物とまで表す事は解説抜きには不可能だろう。お奉行さんが片肌脱いで啖呵を切るのも日本人以外、彼が酷く怒っている状態だと理解は出来ないだろう。

「習慣の違いは、食習慣を含めそれぞれの国が文化や伝統として築き上げた結果である。それに宗教が加わると互いに完全に理解し合う事は不可能に思える。しかし考えてみればこの違いがあるから互いが存在する意味があるのだろう。従って、我々は多くを西洋から学んだのは事実だが、同時に我々から発信するものもある筈だ」

そう言うと、彼は料理中の酒好きなかみさんにも一杯注いで台所まで持っていった。

「欧米には日露・日清戦争、及び第二次大戦を通じて日本を好戦的な国民として捉える向きは未だに残っているだろう。同時に彼等は極東にただならぬ民族が住んでいる事も知った。まして大戦後の経済復興は彼等にとっても脅威だった。天然資源に恵まれず、また平地にも恵まれない国が戦後の壊滅的状態から世界第二位の経済大国として頭角を現したのだ。アジア諸国の中ではノーベル賞受賞者の数も他を圧している」

今度は、私のグラスと自分のにも新しく注いで続けた。

「今では日本食が海外で持て囃される時代になったが、その基本は安全でおいしいからだよ。日本産のリンゴは海外で“リンゴ”として高級品として流通し、現地のリンゴは“Apple”として売られているらしい。世界の食べ物を受け入れた日本は、今度は伝統の日本食を海外に出している。昔から知る人ぞ知るという日本食であり、日本文化だったが、今や陽の当たる王道歩いていると言ってもいいだろう。一部の日本通にしか周知・理解されていなかった伝統的日本文化も若者のアニメ文化を含め今日では世界的になっている。我々が築いてきたことが世界で評価されている事を国民は素直に受け入れていいのではないか」

いつも口の悪い友人が、酒が入ってハイになったのだろうか。

「お互いの国が一歩立ち入って互いの背景を知れば、より理解は深まる。表面的な違いや、過去の不確かな出来事で相手を非難しても決して良い結果は生まれない。残念ながらリーダーとしての資質に欠ける人間はどこの国にも居る。世界が客観的歴史を知った時、いずれ訂正されるだろうが、それまでは辛抱強く国を挙げて説得するしかないだろう。本当はこんな後ろ向きの事柄に煩わされるのは馬鹿げているが、国内でも確たる根拠もなく足を引っ張る輩は居るからには時間は掛るだろう。幸いにして日本を非難・罵倒している国は極めて小数に限られているのが救いだが」

彼が言う事は良く分かる気がする。

「日本にはテロと特攻隊の区別も出来ない大新聞が今でもある。彼等の悪質な間違いとその反省は口先だけだったのか、或いは基本的な判断力が無いのか定かではないが、念の為彼等に説明しておくと特攻隊は究極の選択として国を守るため、主に戦艦に体当たり攻撃を加えた。言うまでもないが、テロは一般市民を巻き込んだ犯罪だ。特攻隊はただの一機も一般市民に攻撃を加えていない。言えることは日本でもこんな見方しか出来ないジャーナリズムが存在するという事実だ」

彼が指摘しているのは、つい先日いつもの新聞が載せた“少女に爆発物を巻き付けて自爆を強いる過激派の卑劣。70年前、特攻という人間爆弾に賞賛を送った国があった”という記事だ。

彼が怒るのも無理はない。この程度の認識で記事が書けるのなら、知識も教養も要らない。もしかしたら彼等の根本的な間違いはそこに原因があるのかもしれない。

酒が入って私も高揚したようだ。私達がやるべきは背景を知って出来るだけ真意を知る事で、それが結果として相互理解に繋がると思うからだ。

彼も私も大して発言に影響力は無いが、それでもこの歳で基本を間違えないようには今でも努めている。

酔った彼が帰り際、

「俺のデューセンバーグを玄関に回しておいてくれ」

と言ったのには大笑いだった。

平成27年1月31日

草野章二