しょうちゃんの繰り言
謝罪と時効 |
私達が今日生きているという事実は、人類始まって以来その生命の糸が脈々と繋がっていることに他ならない。天皇家は今年で皇紀2675年の歴史を刻まれるが、それ以前には遡れない。我が家は祖父の時代までなら分かるがそれ以前には遡れないし、また関心もない。だが今生きている我々一人一人は、それでも確実に人類の起源まで繋がっているという事実に間違いはない。民間でも立派な先祖を持つことの誇りは、その伝統を守って自分も先祖に見習い、より良き人間としての道を究める為のバックボーンとなり得るだろう。だが、普通殆どの平均的国民の場合、世界中で私同様「どこの馬の骨か分からない」状態の人が多数を占めているものと思われる。その中から社長も議員も大統領も出てくる可能性がある。オーストラリアでは先祖が罪人としてイギリスから追放された事実をカミング・アウトする政治家も最近出てきている。先祖がどうであれ、自分の系列を辿るのは、ある人達には夢があって楽しいことなのだろう。 オーストラリアはイギリスから島流しに遭った罪人が開拓して出来た国だというのは、良く知られた事実だ。しかし、我々には現在のオーストラリア人に対して何の偏見も無い。元々島流しには政治犯も含まれていた可能性があり、流されて来た全ての人を罪人として扱うべきかという基本的な問題も中には含まれていることだろう。例え何代か前の先祖に罪人がいても、もう現在の本人とは何の関係も無い。イギリスが罪人をオーストラリアに島流しにしたのは18世紀の末からの話で、それ以前には罪人はアメリカに送られていた。正確に言えばその流刑はオーストラリアをイギリスの支配下に置いた後の1788年以降のことである。まだ、国が出来てそんなに歴史的な時間は経っていないが、誰も出自を巡って彼らを非難する人も訴える人もいない。まして、その220年余ほどの前の先祖の事実を盾にオーストラリを非難のプロパガンダに利用する人も国もない。また、国内的にも先住の民アボリジニに対して節目ふしめで、そこに住んでいる白人は謝罪を繰り返してはいない。 アメリカでも先住民のアメリカ・インディアンに対して、白人が何十年・何百年に亘り何度も謝罪を繰り返しているといった話は聞いたことが無い。黒人奴隷の歴史的事実に関して毎年独立記念日、若しくは奴隷解放の記念日に黒人に対し謝罪を繰り返している話も聞いたことが無い。まして敗れた対戦国を「人道の罪」という名目で裁いても、自国の原爆や焼夷爆弾が主として一般市民の大量虐殺に結びついていたにも関わらず、人道上の犯罪には問われていないし、謝罪・賠償の対象にもなったことがない。また、日本は原爆被害を盾に彼等を訴えようとはしないし、謝罪も求めていない。 国民性は国の成り立ちや伝統・文化によってそれぞれの違いがあっても構わないが、少なくとも国家間の軋轢は国際的に通用する整合性のある言葉で主張して貰いたい。まして国のリーダーが他国に何か要求や主張をする時、その根拠は事実を捏造したものであってはならない。自国では通用しても国際的に通用しないことは幾らでもある。 今回の安倍首相による戦後70年談話では、「戦争に何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません」と、至極当然の判断で平和への新たな決意を表明している。彼自身も戦後の生まれで戦争を体験してはいない。そんな彼に戦争責任を追及し謝罪を求めても、彼には何も出来ないだろうし、また首相として要求の絶えない隣国に彼等の満足の為、これ以上何かをやろうとしてもいけない。彼の責任は戦争をしないで済む国の構築と、戦後一貫して取り続けた日本の平和への国際貢献を推進することだ。戦後70年の日本の歩みを見れば補償や謝罪は充分過ぎるほどやってきた。平和への願いと実践の為「敵国条項」から日本が外されてないにも関わらず、日本は現在国連の経費をアメリカに次いで2番目の額で負担している。確か「拒否権」を持つ中国の、少なくとも倍の負担金を払っている筈だ。 日本は所謂「東京裁判」の判決結果は受け入れている。だが、その事実は戦勝連合国による裁判そのものの正当性を受け入れたわけではない。北朝鮮(北朝鮮の抗日運動を戦争とみなして)を除けば各戦争当事国との間には和平条約が結ばれ、それなりの補償も済ませている。安倍首相が言うように、もしまだ歴史問題が存在するなら、それは歴史家に任せるしかない。政治家が歴史を歪めることは許されることではないし、歴史的事実を安易に政治的妥協で曲げてはならない。 国際法的にみても日本は終戦後、ルールに則って早い時期に戦争問題の処理は既に終えている。ただ、我が国の理念無き政治家やマスコミによって一部が歪められているのも事実だ。国内的事情があったにせよ、21世紀になっても反日教育を続ける国の正当な理由を知りたい。戦場における慰安婦問題も、日本だけが女性の人権を蹂躙し国が強制的に支配したと国連でも認定されている。また、我が国からも、同胞の弁護士による国連に対する直訴で、彼が創った「性奴隷」というレッテルが今や国際的に認知され、日本のみが非難の対象となっている。アメリカでは「法廷で嘘をついていいのは弁護士だけ」というジョークがあるが、この男だけは、もし本当に同胞なら許す訳にはいかない。言論の自由とか司法の独立という原則はあっても、捏造とか虚言でその権利を振りまわして貰っては困る。隣国にいつまでも告げ口をする新聞も同罪だ。「女性の人権」を訴えるのなら少なくとも論理的矛盾の無い主張で唱えて貰いたい。弁護士や一流新聞社の社員ならその位は当然分かるべきだ。中途半端な教育とその結果の資格試験で弁護士になったとしても、この弁護士には「考える」という知的作業における基本的な訓練が何もなされていない。同じことが学歴と成績では条件を満たしたであろう件の一流新聞社のジャーナリスト(サラリーマン)にも言える。 各人その家系の歴史を紐解き先祖を丹念に調べることが可能なら、どこかで反社会的なこと、或いは相手に受け入れ難いことをした先祖に行き着くことはほぼ間違いないだろう。アジアが白人による植民地支配で苦難の道を歩んでいたのは何百年も昔の話ではない。日本の台頭が無ければ今でもそれは続いていた可能性さえある。その白人支配に反抗して立ちあがったのが日本で、第二次大戦後のアジア諸国の独立に大いに貢献していることを忘れてはいけない。満州や朝鮮半島で学校も鉄道も工場も、日本の国家予算で創られた事実をお隣リの国々は思い出して欲しい。日本に文句を言い続けるのなら、人口の多いお隣は歴史的経緯からイギリスにはもっと言ってもいいと思うのだが彼等は矛先を日本にだけ向け、かつアジアの隣国を力によって未だに浸食している。被害者意識だけが旺盛な人間を日常でも時として見受けることがあるが、お隣の国々の性根は彼等と何ら変わらない様に私には見える。事実を捏造してまで主張する様はその国の国内事情があったにせよ、およそ知性を備えた人間のやることとは思えない。後ろ向きの姿勢では互いに価値あるものを生みだすことは不可能なことだ。我が国が取るべき道は史実に基づき粛々と対応することで、余計な配慮や大人の判断は彼等には無駄だともう知るべき時だろう。 根拠がある場合、国として謝罪は当然なされるべきだが、精査した結果必要のないものには毅然とした態度で対処すべきだ。また国際的慣行に則って講和条約を結べば、その時解決した問題に関しては相手に蒸し返されても断固拒絶すべきだろう。戦後70年という時間が流れ、それでも処理が終わってないと主張しても、まともに相手することはない。1000年という時を持ちだし、恨み節を続ける女性リーダーがいるが、国際間の解決した問題に対し、これだけ理不尽な主張を続ける国を不明にして私は知らない。日本の中途半端な政治家や新聞が相手に付け入る隙を与えた為、隣国は品の無い主張を止めようとしない。ここらで馬鹿げた不毛の論争に終止符を打つべきだ。大きいだけの声が通用する国に、何を言っても無駄な気がするが、幸いにして国際世論も理不尽な主張に気が付き正当な判断も出始めている。 人間社会の知恵として犯罪には刑期と時効という制度が設けられている。犯罪と認定するためには完全とは言わないまでも法律に従い徹底的な検証がなされ、人権が確立された社会では、そこに恣意的な力が加わることはあり得ない。刑期の長短も類似犯罪との整合性から定められていて、ここにも恣意的な力は加わらない。また、殺人罪を除けば加害者を拘束出来ない場合、時間の経過で法的な手段(制裁)が効力を失くすことになる。 性質はやや違うが、国際的にも戦争による被害の解決には当事国同士が講和条約を結ぶことで決着を付けている。講和条約を結び補償金も得た後で、怨念として恨みを1000年も引きずることは勝手だが、講和条約の趣旨にはそぐわない。専有の島を実効支配し、限りなく謝罪を要求する姿勢は、それを許した隙が我が国にあった為だろう。また、短期間に人口以上の30万市民を殺害するのは原爆でも使わない限り不可能だった筈だが、それでも史実として隣の国では記念館まで建てて主張している。念の入ったことに実際は20万と言われたその都市の人口が終戦時には25万に増えた事実も記録に残っている。人口が増えたのは、日本兵が来て治安が保たれた為現地の人達が集まって来たと解説してあった。 冷静に彼等の主張を分析すれば日本語で言う「辻褄の合わない」ことが幾らでも出てくるが、それでも彼等は被害を声高に主張し、それに迎合する我が国の「平和主義者」もいる。 戦後のわが国がアジア諸国に対して結んだ講和条約、それに付随する補償金の支払い、その後の経済協力等々を冷静に分析すれば、わが国はアジアで二国を除けば何ら問題無く受け入れられている。植民地からの独立も日本のお陰だと感謝する国さえある。 我が国に「反省と謝罪」を限りなく強要する国の司法制度を見れば、恣意的な判断は特別なことではないことが良く分かる。特に人口の多い方の国では「人権」という概念さえ確立されてないように見える。近代国家としてルールの確立されてない国に何を言っても通用しないという無力感さえもただよう。 「リベラル」、「平和主義者」、「ハト派」等々で紹介される方々もその主張の根拠が盤石でなければ説得力はない。世論は残念ながら往々にして本質を見極めることなく耳触りの良い方へ流れることがある。謝罪を続ける今の日本は、一部の政治家や新聞社のせいではなく、それを許した我々日本人全員の責任でもある。どこかでこの不毛な連鎖を断ち切らなければ隣国と真の友好関係を結ぶことは不可能だろう。プロパガンダの為に捏造された歴史ではなく、互いに真摯に合理性を持って取り組むことから全てが始まるべきだ。政治的妥協が戦後70年の時を経ても良い方向に向かわなかったサンプルとして後世の判断の材料に残すべきだろう。 謝罪するだけの三流の人間に政治を任せると決して互いに良い方向へは進めない。孫子の為にも安倍首相の今回の声明を支持したい。 これで私も平和主義者から「右翼」のレッテルがすぐ貼られることだろう。 平成27年8月18日 草野章二
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