しょうちゃんの繰り言


人の行動半径

飛行機や鉄道・自動車が無かった頃、人の日常の行動半径はどの位だったのだろう。乗り物の無かった時代はひたすら自分の足で歩くしか移動手段は無かったと思われる。例外的に牛や馬を使った歴史は残っているが、駕籠を含め普通の庶民が当たり前に利用出来る交通手段ではなかったことだろう。1里(約4キロ)の道は歩いて1時間程度と言われている。陽が出ている間に所用のため遠い距離を往復すれば、歩く時間はせいぜい10時間程に納めないと一日で用を足して帰宅することは出来ない。つまり片道5里(20キロ)が日常的生活圏の限界ではなかろうか。食事の時間や休憩を入れると、あるいはせいぜい片道4里(16キロ)だったかもしれない。いずれにせよ、今では車で1時間もあれば簡単に往復出来る範囲だ。

人の行動半径は、実は極めて大きい影響を個人に与えている。生まれてから死ぬまで、限られた範囲で生活すれば、人はそれ以外の世界を経験することは出来ない。これは日本人に限らず、あらゆる国の人達が体験してきたことだろう。庶民にとって世間は決して広くなかった。「世間が狭い」という日本語の言い回しがあるが、これは視野の狭い人のことを蔑称した表現である。従って我々一般の日本人は、つい2〜300年前までは一部の支配階級や特殊な職種を除き概ね「世間が狭かった」と言えよう。これは、それぞれの国で交通事情の多少の違いがあったとしても世界で共通した事象だったと思われる。

鉄道が国中に普及するまでは、老人や婦女子にとって遠出の旅は困難で、宿の宿泊費を含め金も掛った事だろう。特に婦女子の独り旅は危険度も高く、普通一般には行われていなかったようだ。つまり一般の人にとって、よっぽどの事が無い限り、鉄道の普及以前は日常の生活圏から飛び出すことは、いずこの国でもあまりなかったと考える方が合理的だ。

かつて古の時代、人は規模の違いがあっても狭い地域内で集団生活し、社会を形成していた。そこでの住民の規範は長い歴史の中で育まれた価値観が根底にあったであろうことは推測出来る。現代で受け入れられないこともその時代には必然があったと思うしかない。貧困ゆえの厳しい掟や、人権の意識が低かった故の性差別も当時はあっただろう。

ある時期から日本の支配階級は中国を師として学び、自分の子弟に字を教え、その結果彼らの階級は書を読むことも可能だったが、一般庶民には読み書きすら無縁のものだった。

その後17世紀後半から18世紀にかけ、町人対象に寺子屋が日本では普及し、19世紀半ばでの日本人の就学率は7割から8割に達しており、当時の英国・フランスと比べれば数倍の開きで我が国は優位に立っていた。識字率も当然世界最高水準だった。この事実は西洋文明が本格的に入って来た、明治以降の日本の驚異的な発展と大いに関係がある。

日本で義務教育が完全に行き渡るのは1900年に明治政府によって授業料が無償化されてからだが、寺子屋の普及など比較的早い時期から東洋の島国が国民の教育に熱心だった事が窺い知れる。この国民の確かな教育レベルという基盤があったから、明治維新後の日本政府が富国強兵策を急速に推し進め、短時間に世界の先進国に追いついたのがよく理解出来る。行動半径は狭かったが、教育という方法で日本人は世間を広くしていたと推測出来る。

日本の文明開化から現代までの物理的時間の経過を、過去の等しい時間の長さと比べてみれば、我々は時間軸だけでは測れない大きな変化に気がつくだろう。私達の曽祖父・祖父・父といった手の届く歴史の流れの中で、実は曽祖父以前の過去数百年にも匹敵する変化が起きている。むしろその変化は質のみならず量で見れば、もっとそのスケールは大きい。人類の歴史から判断すると、我々はたかだかこの2〜300年という僅かばかりの時の流れの中で目覚ましい変化が起きていることに気が付くだろう。これはむろん日本だけのことではない。特に敗戦後の日本の変化は、かつて無かった程の影響を国民に与えている。

我々が「狭い世間」で判断すれば、その基準は残念ながら人間の本性や業に従った結論になりがちだろう。それでも、「広い世間」での判断が出来たのは自分が経験しなかったことでも教育という方法で多くの知識と考えるヒントが得られたからだろう。これが教育の効果ではなかろうか。我が国が鎖国政策を止めて開国し、西洋の文明を取り入れた時、日本の国民は見事に対応出来た。決して無知な未開の民の反応ではなかった。そこには国民の教育水準以外に説明出来るものがない。

どの時代に生きても、旧いものと新しいものの変遷の中に生きる事を人は運命付けられている。例えば、人権とは被害者のみならず加害者にもあることを、日本の進歩的弁護士は私達に教えてくれている。時として在りもしない捏造された外国の被害者にも、日本の弁護士は率先して弁護にあたってくれ、その功績かどうか定かではないが現在国民に国会議員として選ばれ、相変わらず日本の政府を攻撃している。世間が狭い人間の常識とはかけ離れた価値観を彼らは我々凡人に教えてくれている。但し、それが歴史の評価に耐えられるかどうかはまだ分からないが。

人間の本性には、概して他人から口を挟まれるのを嫌う傾向がある。何か間違いを犯した場合、小さな子供でも自分の非を認めようとせず、何らかの言い訳や言い逃れをする。自分の経験でも、大人になればその傾向は巧妙になるがますます強まるようだ。自分を正当化するのは人が自分の心理的負担を減らしたり、体面を保ったりするための自衛手段と考えれば納得がゆく。言い訳のためにどれだけ事実でないことを言ったか、別の言葉で言えばどれだけ嘘をついたか、思い出すのさえ冷や汗ものだ。しかし、そういった辻褄合わせは多くの場合他人に見破られている。それでも、個人はもとより最近では大新聞さえ理解不能な理由で同じ轍を歩んでいる。無謬とか称していても、人間社会どんな分野でも無謬なんてあり得る筈がない。この方面での人間の進歩はなかなか見られないようだ。

また、互いに目の届く社会の規範と、隣が何をやっているか分からない社会での規範とでは自ずと違いが出てくるのは当然だろう。東京みたいな大都市では、少なくとも知らない人への気遣いには大して期待出来ない。知識で得たものはそれで充分価値があるが、実感として身に付いた規範とは大いに違いがある。そのバランスが悪いと先走りの人権派弁護士や、皮相的なジャーナリスト・評論家の発言に違和感を覚える。

田舎で過ごした成長期がやたら懐かしいのも、良し悪しは別として知った顔にいつも囲まれていたからではないだろうか。外へ出るということは必ず知っている誰かしらと会うし、異性と歩けば知っている誰かにすぐ分かってしまう。時として人の目から解放されたいと思うこともあり、その心理的束縛感が嫌で都会に出た若者もいるだろう。我々は同時に自分の都合のいいことを全て手にすることは出来ない。そして歳をとり、故郷を懐かしむのは束縛があっても知った顔に囲まれた時代の安心感だ。広い世間を目指した自分が、狭い世間に郷愁を覚えるのは単なる老化か、理屈を超えた人間の帰巣本能か定かではない。ただ言えることは、人としての基本を学んだという揺るぎない確信がそこには残っている。

我々以降の世代は父や祖父の時代と比べ知識は増え、行動範囲は格段に広がっている。しかし、行動範囲や知識に限界があった筈の先代は、世間が広くなり東西の歴史を含め数多の知識を得た現代より、遥かに多くの事を我々に残してくれている。強いて説明すれば「血の通った教え」とでも表現するしかない。そこには人間の在り方を基盤とした教えが確かにあった。しかしその多くは民主主義教育という名のもとに教える側によって否定された事実が残っている。そこには何か大事なことを忘れているという思いがいつも付きまとう。

現代で確立されている価値観の中には、歴史の新しいものが沢山あるし、今から出来上がる価値観もあるだろう。今日では海外からの影響も当然相互にある。狭い世間で生きていた時代とは全く違う環境に囲まれて我々は現在生活している。

自然科学のあらゆる分野で分業が進み、それぞれが専門化されている。我々はこれを単純に進歩と捉えているが、分野によっては違和感を覚える事さえある。その違和感は人間を見ないことによる収まりの悪さに行き着く。現代医療に対する漠然とした疑問はあるいは素人の正しい指摘なのかもしれない。目先の問題を詳細に分析し、本質を究める事は学ぶ人間として大事な基本姿勢だが、往々にして目的と手段の混同が見られる。

自然科学分野と人文科学分野とではその学ぶ基本姿勢を同時に論ずることは難しい問題があり、極める手法にも当然違いがあるだろう。浅学の私には学問的立場から論ずるほどの見識は持ち合わせていない。それでも強いて言わせて貰えば、人文科学の探求には常に人の価値観という形而上的な命題が付きまとうことではないだろうか。ジャーナリズムの世界や司法の世界で論評にも値しないような不祥事が出てくるのは、当事者たちは単にそこで要求されるハードル(壁)を越えてきたという事実があるだけで、彼らが真に相応しい能力を備えているかの基本的なチェックを疎かにしてきたせいだろう。自然科学と違い、一般的証明で正当性を裏付ける事は出来ない。ただ、個々の事実関係の証明は出来る。その事実関係さえ意図して操作されたのでは正しい結論に結びつくことはあり得ない。そこで無謬性をいくら強調しても説得力はない。官庁・検察・新聞社と、こういった基本を忘れたような問題を起こした組織は未だに健在だが、国民はいつまでも馬鹿ではない。

本来なら「広い世間」でものを見、広い視野を持つべき人達が、「狭い世間」で生きた私達の先代より言うことに説得力が無いのは何故だろうか。

学問の神様と言われている菅原道真は大学を出てないし、フランスの画家達に影響を与えた浮世絵師は誰も芸大や美大を出ていない。私の子供時代にも大学を出ているのは学校の先生くらいで、同級生の親にも大学出身は殆ど居なかった。それでも陰湿ないじめ問題は皆無だったし、学級崩壊も校内・家庭暴力も高校を出るまで聞いたことは無かった。そんな故郷に私が魅かれるのは単に古稀を過ぎたせいだけではないように思えてくる。

知識が増え大学進学率が上がり、世間が広くなっているのに内在する社会問題は一向に減る気配はなく、逆に問題は深刻化しているように私には見える。

どこかで何かが間違っていたことを、教える側も親も真摯に考える時ではないだろうか。

平成26年9月1日

草野章二