歌とミュージシャンにまつわる話
Story of Songs and Musicians


(325) 原 信夫死去 94歳

シャープス&フラッツの原 信夫さんが、つい先程、21日夜に肺炎のため亡くなりました。享年94歳でした。4月下旬に誤嚥性肺炎で入院。2か月間家には帰れないまま、でもそれ程苦しまず、大往生だったと・・・。

90歳、卒寿のお祝いパーティが2016年11月27日にホテル・オークラで開催され、招待されて家内とマヌエラの中田と3人で行って来ました。#&♭は2008年11月にファイナル・コンサートが東京文化会館で開催されたのですが、メンバーが皆揃って楽しいシャープのサウンドが再現しました。いい夜になりました。

奥様の愛子さんは、大原江里子の叔母さまで、我々オージーサンズのコーラスをよく聴いてくださったのです。草月ホールにもまり子さんに付き添われて来てくれました。残念ながら信夫さんより先に他界されたのです。

第一報が中川ヨウちゃんから先程、FBメッセンジャーに連絡がありました。下記の長文です。

0:18
Yo Nakagawa
Yoさんがメッセージを送信: 今日 0:18

若山先生

原信夫さんの訃報が、Facebookに上がっています。
残念です……

原信夫とシャープス&フラッツ
ジャズ・ビッグ・バンド「原信夫とシャープス&フラッツ」結成57年の歴史は、そのまま戦後の日本のポピュラー音楽の歴史そのものである。

◇ 配信情報は、コチラ(▼)
1951年9月、10人編成でシャープス&フラッツをスタートさせた原信夫は、短期間で現在と同じ17人編成のビッグ・バンド・スタイルを取り入れ、コンサート・バンドとも言うべき、デューク・エリントン楽団、カウント・ベイシー楽団などの本場のトップ・クラスを射程におさめた音楽活動を繰り広げていく。

1958年には初リサイタルを成功させ、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団との共演など、音楽性の高さは初期から評価された一方、国民的スターであった美空ひばりや江利チエミなどと出逢い、原信夫自身の作曲による美空ひばりの「真赤な太陽」が大ヒットするなど、全国的な規模で幅広いファンを獲得。

そうした多岐にわたる活動の中、1967年には日本人バンドとして初めてシャープス&フラッツは<アメリカ・ニューポート・ジャズ・フェスティバル>に出演し成功を収め、その後、アメリカ、ソビエト、ヨーロッパ、アジア各国から招待され世界中で公演を行った。さらにクインシー・ジョーンズ、サミー・デイヴィスJr.、ダイアナ・ロス、イブ・モンタン、パット・ブーン、ペリー・コモをはじめとする国際級の大スターたちとの共演も数多く、日本の音楽界への貢献だけでなく、世界の「シャープス&フラッツ」としてその実力をアピールしてきた。

こうした幅広く精力的な活動によって、南里文雄賞、芸術祭優秀賞、芸術祭賞、日本レコード大賞の功労賞など数々の賞に輝き、リーダーの原信夫は1988年に紫綬褒章を受章、1998年には勲四等旭日小綬賞を叙勲、永年の日本の音楽文化に対する貢献が高く評価されている。

シャープス・アンド・フラッツ現メンバー原信夫(ts/Leader)、佐藤達哉(ts)、猪目慎一(as)、大山日出男(as)、森川信幸(bs)、片岡雄三(tb)、佐藤俊次(tb)、橋本佳明(tb)、堂本雅樹(btb)、数原晋(tp)、マイク・ブライス(tp)、佐久間勲(tp)、菊池成浩(tp)、岩見淳三(g)、鷹野潔(pf)、店網邦雄(b)、板垣貴庸(ds)


⇒ シャープス&フラッツ ファイナル

(2021/6/22 2:09AM)

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