Dolly Baker's Colleague, Yasushi Sawada | |
Yasushi Sawada & Dolly Baker,1999 |
ドリー・べーカーと沢田靖司とは20数年家族同様のつきあいをし、互いに尊敬し会ういいコンビです。沢田夫人がドリーのマネージャーを引き受けていたのです。以前、ドリーが「日本で尊敬できるジャズ・ミュージシャンは前田憲男と沢田靖司」と語ってくれましたが、これはお世辞でも何でもない事実だと思います。名前は挙げませんがアメリカで有名になれなくて、日本やヨーロッパなどで有名になったジャズ歌手が数少なくありません。大概、そういう歌手はアメリカで冷たく扱われるようです。
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ドリーはそういう人達とは違い、日本が好きだから日本に住んでいるのです。しかし、幸か不幸かドリー・べーカーは日本で一般の人に名を知られるということが今まで少なかったのですが、プロの世界や特別なジャズ・ファンには誰にもよく知られているのです。そのような訳でドリーはアメリカの有名ミュージシャンたちからスポイルされるようなことがなく、アメリカからミュージシャンが日本に来る際には必ずと言っていいほど「ドリーに話を通せば、いろいろ面倒を見てくれる」という方程式が出来上がってしまっています。 サラ・ボーンもメル・トーメも来日に際してはドリーが世話をし日本との橋渡しをしたのです。 しかし、10年以上前になると思いますが、拳闘のマイク・タイソンが大阪でヘビー級世界選手権試合を行ったとき、アメリカ国歌をドリーがアカペラで歌い大変話題になったことがあります。わたしもまさかドリーがそんなところに出てくるとは思いもせず、大学の事務室にあるテレビを見ていたところ、何とドリーがリング上に出てきたのでびっくりしてしまったことがあります。 「おい、あのおばあちゃん歌手は俺の友達だぞ!」って叫んでいました。 現在のところ、ドリーのCDは3枚発売されました。一枚は93年7月のもので、Sony Recordsから出た"ALL WAVES"というアルバムです。プレーヤーはドリー・べーカー(Vocal)、松本英彦(T.Sax)、沢田靖司(Vocal & Piano)、荒川康男(Bass)、石松 元(Drums)、小津昌彦(Drums)という豪華な顔合わせです。小津さんは残念ながら病気で亡くなってしまいましたし、松本さんも闘病生活を送っていましたが亡くなりました。さらに現在では石松元さんもいません。 ドリーの最初のCD"ALL WAVES"は今までに4万5千枚をこすヒットとなりました。この種のCDで4万枚ということはたいへんな数字なのです。もう一枚は98年のレコーディングでDenonから発売された"We 3+Dollly Baker"です。"We 3"とは言わずと知れた前田憲男(Piano)、荒川康男(Bass)、猪俣猛(Drums) のトリオで、+ ドリー・ベーカー(Vocal)というわけです。これも前作とはがらりと雰囲気が変わり、リラックスムードの粋で洒落たCDとなりました。 99年5月にはドリーと前田憲男の"King of Jazz"というタイトルのCDがColumbiaから発売されました。円熟したボーカルは超一流です。 1999年12月1日には、沢田靖司の音楽生活40周年+還暦をぶっ飛ばせのコンサートがイイノホールで開かれました。ドリーの喜寿でもあり当然特別ゲストとして出演しました。ドリーは98年の5月に突然心臓発作が起き、ただちにペース・メーカーを埋め込まれてしまいました。「わたし死んでも、心臓は止まらないのだから」と頗る元気ではありますが、歳も歳です(1922年2月7日ニューヨーク生まれ)。満身創痍の身体をいたわってほしいものです。今までご存知のない方々にも是非とも本物のジャズを楽しんでいただきたいと思います。いずれにしてもドリーとジャズボーカルで掛け合い、セッションがやりあえるボーカリストは日本には沢田靖司しかいないといって誰にも叱られないでしょう。「ジャズ・アーティスト」とは、こういう人たちのことを言うのです。 さあ、「論より証拠」に2人の極めつけThem There Eyes を聴いてみますか? |
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