ジャズとコーラス

(7) 戦前派スタイルの白人コーラス I'll Never Smile Again


The Pied Pipers and Tommy Dorsey

1940年代のジャズ・コーラスといえばパイド・パイパースということになりましょう。当初は男女8人のコーラスでしたが、後には男3人、女1人という編成になりました。「霧のロンドンブリッジ」を唄って日本でも有名になったJo Staffordもソロ歌手となる前は旦那さんとこのグループに属していました。1938年に誕生し1939年にトミー・ドーシー楽団に属してから有名になりました。

そんな関係でシナトラとコーラスもたくさん唄っています。ジョニー・マーサーのバックもやっているんですよ。

戦後のFEN放送(進駐軍放送)でよくパイド・パイパースの心地よいハーモニーが聞こえていました。バーバーショップとはまったく違った都会的サウンドのアレンジでなのです。アメリカの白人的だといえば感じはわかるでしょうか。われわれも一度はこのスタイルのアレンジでやってみたいものです。でも、男だけですから無理でしょう。

なぜ気持ちのよいハーモニーが聞こえて来たのかご存知ですか。それはJo Staffordがトミードーシー楽団に入ることになった時、コーラスグループStafford Sistersのアレンジや監督をしていたMatt Dennisもドーシー楽団の作曲:編曲家として雇われることになったのです。マット・デニスの他にもドーシー楽団には、Paul WestonやAxel Stordahlといった有能なアレンジャーがいてコーラスアレンジをしていたからです。それだけではなくSy OliverやSid Cooperらプレーヤーもアレンジをします。

8人で始まったパイドパイパースは2年ほどすると全員が一旦解雇されて、新たに4人のグループに編成替えされて1942年までドーシー楽団で唄っていましたが、ドーシーの短気な性格が災いして喧嘩別れをして、ジョニーマーサーのCapitolレコードと契約します。1960年代まで活動していました。その間もメンバーの出入りは度々で激しく変わりました。

4人に再編成されたときのメンバーです。Chuck Lowry, Jo Stafford, Allan Storrと John Huddlestonです。この当時、Huddlestonはスタッフォードの旦那でした。女性1人+男性3人という編成は、その後のパイドパイパースに引き継がれます。


Allan Storr, Jo Stafford, John Huddleston, Chuck Lowry



Ruth Lowe
(1915-1981)
コーラス向きの曲っていうのが沢山あります。

"I'll Never Smile Again"はその代表みたいな歌です。1939年にカナダのソングライター、Ruth Roweが書きました。翌40年にトミー・ドーシー楽団でシナトラとパイドパイパースが歌いヒットしました。われわれのグループのレパートリーにも入っているのですが、評判になるくらいの歌なのですからね。メロディの動きとコードの進行がコーラス向きに出来ているのです。もちろん、アレンジも素晴らしいのですが、われわれの歌のアレンジャーは贅沢にもジャズ・ピアニストの大原江里子なのです。


Chuck Lowry, Jo Stafford, Frank Sinatra, Clark Yocum, John Huddleston
The Pied Pipers with Sinatra 1941

シナトラは、ハリー・ジェイムス楽団からトミー・ドーシー楽団に移り、最初はパイド・パイパーズで歌います。 

彼らが有名になった数年後に、誰もがびっくりしたフォー・フレッシュメンが登場してくるのです。(1998/10)


われわれの素人コーラスが"I'll Never Smile Again"を唄っているのをドリー・べーカーが聴いてしまいました。「私がジョー・スタッフォードになるからパイド・パイパースをやろう」と、おばあちゃんが興奮していました。パイドパイパースではなかったのですが、ディズニーの「わんわん物語」の歌を一緒にやったんですよ。

(1999/3)



Michael Jackson     Nancy Knorr      Don Lucas     Roland Michaud
The Pied Pipers, 2004

60年代には解散したと思っていたのですが、1983年以降、Nancy KnorrがPied Pipersを編成して唄っているようです。ちっとも知りませんでした。古いグループ名には価値があるらしいです。ジミー・ドーシー・オーケストラもBill Toleがリーダーになり存続していて、一緒にツアーをしています。Bill ToleとNancy Knorrは兄妹です。

Nancy Knorrは現在でもJimmy Dorsey Orchestraの専属ビッグバンド歌手ですが、パイドパイパースも率いてリーダーとしてマネージしていると言うことです。殊勝なオバサンのおかげで貴重なPPサウンドが生で聴けるというものです。彼らのCDも発売されています。アマゾンで買えます。Dreamというアルバムが出ています。2006年までは、このグループが続いていたようです。

2007年の6月のことですが、二人の男性が入れ替わっているのを発見しました。いつ交代したのか詳しい状況はわかりませんが、おそらく2007年にメンバーチェンジしたものと思います。いずれにせよ、この4人が現在のPied Pipersというわけです。

リーダーのNacy KnorrとDon Lucasに、Kevin Kennard(上)とKris Sanders(下)が加わりました。

一度、ライブで聴いてみたいものです。誰か日本に呼んでください。でも、「パイドパイパースって誰?」って言われそうです。

この写真を見て驚くのは、もうかなりのお年と思っていたNacy Knorrがほっそりして若くなったように見えませんか。周りの男たちが若くなったので、彼女も若返ったのかもしれません。女ってすごいですね。

アメリカのコーラスグループの長寿さには驚きを隠せません。
(2007/6/22)

その後、活動はしていません。Home Pageだけは残っています。

こんな写真があったのです。

Clark Yocum
Chuck Lowry
Jo Stafford
John Huddleston

上の写真はこれを真似をしたこと明らかです。

(2022/3/4)

 


Dorsey Brothers楽団の経歴

1934年、Dorsey Brothers楽団が結成される。Jimmy Dorsey(1904-1957)とTommy Dorsey(1905-1956)は喧嘩ばかりしていた。Tommy Dorseyの悪い性格の所為か?

1935年、Tommy DorseyがDorsey兄弟楽団を離れ、Joe Haymes楽団を引き継ぎ、Tommy Dorsey楽団を結成した。Dorsey Brothers楽団はJimmy Dorsey楽団に改名する。

1954年、二人は和解しDorsey Brothers楽団に戻る。

1956年、Tommy Dorseyが死去。享年51歳。

1957年、Jimmy Dorseyが死去。享年53歳。

その後、80年代にBill ToleによりJimmy Dorsey楽団が再結成され、妹のNancy Knorrが率いる新Pide Pipersが歌っていた。


  INDEX     PREVIOUS NEXT