年頭の一枚 2008

メトロポリタン・カセドラル(メキシコ シティ)
Metropolitan Cathedral (Mexico City)

メキシコの建物は初めて描きました。

メキシコ・シティの市内にあります。立派な教会でした。世界各地に聖母マリア出現の伝説がありますが、ここもその場所です。それでこの教会が建てられたのです。メキシコに行ったのは20年も前のことです。忘れかけていた題材です。

20年前のメキシコは国連の拠出金も払えないような借金だらけの貧乏国でした。それが、市内は美しく電信柱などもなく、インフラは東京など足下にも及びません。いやんなっちゃいました。80年代の日本はバブルも弾けていないいい時代だったのです。

日本は何でも薄っぺらだなぁと思いました。経済と政治のギャップをまざまざと見る思いでした。

メキシコの人は陽気です。金なんか無くてもマリアッチがあります。ボレロがあります。誰もがギターを抱えてトリオで唄うのが好きです。

とは言うものの、最近はメキシコにも昔のようなトリオは少なくなったのだそうです。赤坂に「ambe」というラテンのお店がありますが、マスターがトリオを探しに行っても昔とは変わってしまったと言っていました。

さて、メキシコに行きたかった理由が分かりますか?パンチョスのアルフレッド・ヒルのようなレキントギターが欲しかったのです。ギター工房を見つけて買って、ギターをぶら下げたまま、みんなの待っているレストランに合流しました。この店では、お客の席を巡ってトリオが歌っていました。

それが、テーブルの下に置いてある買って来たばかりのギターを見つけて、何とチューニングしてしまい「一緒に歌おう」と言います。「出来ない」とは言えません。


メキシコ製レキントギター

”Cielito Lindo”を歌いました。見事に4人コーラスで歌いました。お店は大騒ぎになり「アンコール」となり、”Historia de Un Amor”を歌ったのです。メキシカン・トリオは大喜びでした。ギターもちゃんとケースにしまってくれました。

実は、この飛び入りの何日か前にリオ・デジャネイロのカーニバル・クラブでも歌わされました。此処は世界中からリオ・カーニバル・ショーを見に来たお客で一杯です。国毎にかたまって席に座っているので、司会者は、その国のヒットソングをバンドに伴奏させて、客の代表に歌わせる時間帯があります。日本テーブルに回ってきて、団長の東工大学長の松田先生が「わかやま〜、国威を発揚して来い」で舞台の上。イントロは「上を向いて歩こう」でした。

カナダのバンクーバーに、Blue Noteがありました。NYのBlue Noteとは無関係の小さなジャズ・バーです。”On The Sunny Side Of The Street”と”When Sunny Gets Blue”を歌ってきました。この店の女性歌手が私のテーブルに来てジャズ談義が始まりました。

オーストラリアのメルボルンでは、私の所属学会のアジア太平洋連合のオーストラリア代表の息子Benが、ロイヤル・メルボルン大学数学科を卒業し、ジャズミュージシャンになりアルトサックスをやっています。中学生の頃、お父さんのBob Johnston教授と東京に1年間住んでいました。ライブに行ったら、ステージに呼び出され「何か歌え」になりました。”Stain Doll”を歌ったら、オージー(Aussie)の皆さんに馬鹿受け、席に戻ると皆さんから握手攻めになりました。