年頭の一枚 2011

議 事 堂(ブエノスアイレス・アルゼンチン)
Congres Nacional (BuenosAires)

1987年8月にアルゼンチンの首都ブエノス・アイレスで第11回IFORSのOR国際会議が開催されました。本来は1984年に予定されていたのですが、1982年に起こったフォークランド紛争のため見送られていたのです。

ブエノスアイレスは「よい風、よい空気」という意味で、船乗りにとって「順風」という意味らしいです。南米のパリと呼ばれる美しい港町です。この絵は23年半ぶりに撮って置いた写真を見て描きました。描いていると、この年のIFORS旅行のことが次々と浮かんできます。

アルゼンチンにはタンゴがあります。港町ボカはタンゴ発祥の地です。タンゴの名曲”カミニート:Caminito”があります。カミニートは小道とか小径と訳されますが、ボカの裏道はまさにカミニートです。それまで、レコードで聞くタンゴにはあまり興味を引かなかった私ですが、本場のタンゴを生で聴いてぶっ飛んでしまいました。

カーサブランカ(Casablanca:ホワイトハウス)というライブレストランに行きました。日本でも有名なレオポルド・フェデリコ楽団が出ていました。凄い迫力で圧倒されました。その話は「タンゴとの出会い」というページ ⇒こちらにあります。


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当夜はフォルクローレのバンドも出ていました。アンデスの空気の響きです。これも素晴らしい経験でした。

フォルクローレ・バンドは笛と弦楽器です。笛はケーナやサンポーニャなど、ギターの他にチャランゴという弦楽器を使っていました。

←これがチャランゴです。翌日、楽器屋を探して買ってきました。松の木をくりぬいて作ってあります。

ブラジルに向かう飛行機で機内持ち込みをしました。預けて壊されると怖いですからね。隣のおばあさんが「それは何だ?」といいます。「チャランゴといいます」と見せてあげました。「コンドルは行く」をちょっとだけ弾いて聴かせてやりました。おばあちゃん、喜びました。

ブエノスアイレスを南北に走る「7月9日大通り(Av. Nueve de Julio)」 は幅が144mあり、10車線の世界一広い通りと聞きました。信号1回では渡りきれません。


日本から会議に参加した我々代表団はイグアス滝に行きました。イグアス滝はアルゼンチンとブラジルの国境に位置し、豹が出てくるようなジャングルのど真ん中にあります。簡単にイグアスまで来ることはできないと思い、私が旅程に組み入れたものです。皆さんに感謝されました。いや、もの凄い滝でした。

大学や会社のお金で学会に派遣された人は、滝を見に行って遊んできたでは後で叱られます。そこで、イグアスの近くにイタイプ・ダムという巨大なロックフィル・ダムと発電所があります。われわれはここを見学するついでにイグアスの滝を見に来たという筋書きを作りました。このダムで堰き止められた川は、長さ300kmの人造湖となっていると聞きました。当時、7基の発電機がありブラジル、アルゼンチン、パラグアイに電力を供給していました。

実際、XX大学の事務は前もって旅程を出せといってきました。私が作成した旅程を出したら「イグアスには何のために行くのだ?」と事務当局から聞かれたと教授がいいました。そこで、私は「イタイプ・ダム見学に行きます」と答えるように言いました。我々の泊まったホテルはイグアスの滝の真ん前にあります。それでXX大学は文句を言わなかったそうです。XX大学ってどこの大学か知りたいですか。はい、○んしゅうだいがくです。


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面白いことを発見しました。私がこの地を訪れたのは4半世紀も前です。発電所を見学し、イタイプダムの上を歩きました。そこにブラジル・パラグアイ・アルゼンチンの3国の国境線が交わる点があり、その印のモニュメントがあった記憶があります。

ところが、現在の地図を見るとイタイプダムの上にはブラジルとパラグアイの国境線が走っているだけです。しかも、発電した電力もブラジルとパラグアイが分け合っていると書いてあります。私の勘違いだったのでしょうか。それとも、この20何年の間に国境線が移されたのでしょうか。まことに不思議です。

原画(A4版) Pentel 筆文字サインペン