音楽ジャーナリスト 中川ヨウ


Yo Nakaagawa

中川ヨウは小学校(幼稚舎)からの後輩であるが、歳が一回り少々違うので学校で会ったこともないし、デートもしたことがない。つい何年か前、彼女がFM東京でインタビュー番組「ジャズ紳士録」を持っているとき、われわれOZ SONSのメンバーにインタビューがしたいという話が持ちあがった。結局、小島 恂がラジオ慣れしているので彼が代表選手として出演したことがある。

それがきっかけとなって、オージーサンズのジャズコーラスを聴きに来てくれるようになり仲良くなった。

才色兼備とは彼女のこと。現在、慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科 特任准教授、洗足学園音楽大学では ジャズ・コース 客員教授も務めている。

2008年には「ジャズに生きた女たち」平凡新書を出版した。

最近、慶応義塾大学アートセンターに油井正一アーカイブの設立に骨を折った。私のこのジャズサイトもアーカイブに訪れる人の資料にくれというので、この間アートセンターに届けに行った。まだ整理されていない油井さんの資料が段ボール箱に入れられて棚に積んであった。ライナーノートの資料や手帳までさまざまである。

この新聞切り抜きは2012年6月7日毎日新聞朝刊の第2面に書かれた、大野雄二&ルパンティック・ファイブの「Live Review」である。


 

大野雄二はアニメ「ルパン3世」の音楽を手がけてきたことはよく知られている。

それが2004年だったか、日本テレビの山田慎也さんから連絡があった。新しくルパン3世のレコーディングをするのに「大野さんがサリナ・ジョーンズに歌ってもらいたい」といっているという話で、サリナに話を通して欲しいという依頼だった。そこでサリナにこの話を伝えると「OK」の返事だった。レコーディングだけのためにサリナはやって来た。日テレ四番町別館のレコーディング・スタジオでの録音に立ち会った。

大野雄二は高校から慶應だった。クラスが18もあるので1学年の生徒数が900名で高校時代には面識も無かった。この日はスタジオ脇の部室で大野と一緒だった。われわれの先輩でFive Brothersというジャズ・コンボを高校時代から続けている寺田さんのライブ・パーティに時々、大野雄二が呼ばれてゲストで来ることがあった。きまって、ライトのOBと即興でピアノを弾かされたものだ。90年代の話。

久しぶりに話をした。

  「大野がサリナを呼べば、わざわざ俺から話をしなくてもサリナは来るのに」

  「だって、日本で一番仲がよさそうだから」

という。それは確かにその通り。

日テレの音楽関係の人間がインターネットで調べたのだ。電話があったので「私の家は日テレから3分だからすぐいらっしゃい」で話は簡単。担当の山田君が飛んで来た。日本では、サリナの記事はすべて私が書いているようなもの。それを見て「この人間に頼めばサリナは来る」と思ったのだろう。

このレコーディングの後、サリナが赤坂プリンスで泊まるので来いという。何も話をする時間が無かったからだ。12時頃になってホテルの部屋に尋ねて行って夜中の3時頃までサリナの部屋で喋っていた。家内もそれに我が家の犬ちゅんちゅんも隠してで連れて行った。ちゅんちゅんはサリナのベッドの上を喜んで駆け回っていた。ヨウちゃんの新聞記事で随分(8年)前のサリナとルパンと大野にまつわる話を思い出した。(2012/6/7)

    


「サリナにまつわるページ」