SUEのエッセー

行った事のある街々(W)

中国編


カッパさん、
勢いで、そのW「中国編」を書きました。
お送りした「そのV」にくっつけて下さると、量的にも丁度良いでしょうか?
宜しくまとめていただけますでしょうか。
宜しくお願い致します。
これでいよいよ「最終回」ですね。

中国では、日揮の後に移った某工業計器メーカーが何か所か生産拠点(工場や提携先)を設けていて、打ち合わせなどで、幾つかの都市を訪れました。

● 北京
北京には、イランへ出張した時に(当時は関空がまだ開港しておらず)、イラン航空に乗り換えるトランジットのために寄っただけで、空港の中しか知りませんが、冬季の事でしたので、空港の従業員がボーディング・ブリッジの中で、一時的に暖を取るために使っていた、我々にとってはすでに懐かしいものになっていた練炭の臭いがしていた記憶が有ります。随分と昔の事ですから、今はこんなこともないでしょう。


<懐かしい練炭>

● 上海
上海には、某メーカーとの技術提携(技術供与)の打ち合わせのためと、重慶へ行く途中の乗り換えのために、極く短期間立ち寄りました。”大都会”・上海“に驚いたのと、街に、ランボルギーニやフェラーリなどの超高級車が走っているのを見て、「ここ、本当に共産国家なの?」と言う思いがしたと言う記憶が有ります。

それと空港の中に、「印章屋」が何件もあって、「末續」と書くと、その場で印章を「手彫り」で見事に作ってくれましたね。


<上海>

● 重慶
重慶(Chongqing チョンチン)は、長江(最下流部では「揚子江」と呼ばれる)の上流地域経済の中心です。西南圏総合交通拠点で、人口が3000万人を超えるメガシティですが、1938年から1941年にかけて、日本海軍の航空部隊によって大規模爆撃を受けた歴史があります。(注)

重慶には、やはりある技術提携の打ち合わせのために行きましたが、とにかく「どんな料理も唐辛子で真っ赤で、辛くて食べられなかった」のと、「会食中に、しょっちゅう強い中国酒で“乾杯”する」ので、下戸の僕は本当に参りました。


<火鍋>

重慶から長江を少し下ると、「三国志」で有名な「赤壁の戦い」の舞台まで行けるのですが、残念ながらその時間は有りませんでした。


<赤壁>

重慶は四川盆地東部にあり、1938年に蒋介石の中国国民党は首都機能を重慶に移転させ、中華民国の中央行政院と臨時政府が設置されています。1937年から1944年までの間、重慶は中華民国の首都として、機能しましたが、蒋介石は1949年に台湾へ移り、1975年に死去するまで大陸支配を回復することはありませんでした。

1949年11月30日、中国人民解放軍は重慶に入り、その後、重慶市は中華人民共和国の直轄市となっています。

市内にはガス田などの豊富なエネルギー資源があり、内陸部内での輸送コストにおいて有利な点から工業都市として発展しています。


<重慶>

(2021/5/7)

    


編集部 昨日、「暫く音無しの構えで」と書いたが。音無しは一晩だけ。その他の他に中国があるらしい。

今度は、本当にお休みになるでしょう。皆さん、お騒がせしました。HP「楽友」ではコロナ騒ぎはありませんが・・・

(2021/5/7・かっぱ)

(注)
「1938年から1941年にかけて、日本海軍の航空部隊によって大規模爆撃を受けた歴史があります」と書きました。

実は最近、半藤一利の著書「21世紀の戦争論」を読みましたら、
この「重慶爆撃」が、「戦時国際法上の相互主義=片方が戦時国際法を破ったら、その範囲において相手も破ってよい」を根拠として、「米国が「無差別東京大空襲」や「原爆投下」=どちらも非戦闘員の大量殺戮=をすることに正当性を与えた」のだそうです。

(2021/8/21・末)