あとがき

筆者のペンネーム、爵士樂堂の「爵士樂」とは中国語でジャズという言葉であります。「私の趣味はしゃくしがく(爵士樂)です」なんて交詢社の調査書にジャズと書かずに爵士樂と書いたことがあります。愉快千万だとは思いませんか。

中国人の漢語による造語能力は大したものです。カタカナがありませんから外来語は一切使いません。コカコーラ可口可楽などはポピュラーで誰もが知っていることと思います。単なる語呂合わせ以上のインテリジェンスがあります。わたしが専門とするオペレーションズ・リサーチ分野の学術用語の訳語においても、昔から「ウーン」と唸るものがありました。爵士樂にも脱帽するのみです。彼らは「公 爵(Duke)エリントンや伯 爵(Count)ベイシーの音楽」がジャズだと思ったのでしょう。上海のホテルのジャズ・バンドは爵士樂團というのです。

ところで年表を見て驚くことは、われわれが愛し続けてきた多くの作詞家、作曲家、歌手やミュージシャンが悉くこの世から去って行ってしまったことです。われわれがスタンダード・ナンバーといって聴いたり歌ったりする曲に加えられていくようなトラディショナルな作品が最近はきわめて少なくなりました。ジャズはクラシック音楽と同じく消え去ることはありませんが、20世紀初頭から数十年の間に数々の名曲が作られたようにはいかないと思います。クラシックの世界を見ても、有名な交響曲が作られたのは1800年代の前半に集中しています。

このようにある特定の分野に優れた人間や作品がこの世にかたまって現れるという現象は、どうやら音楽だけでなく美術や絵画でも同様です。1400年代のルネッサンスも、1800年代の印象派もそれを象徴するものです。学術、技術の世界でもよく似ています。歴史を紐解くことはこのような事柄をわれわれに教えてくれます。このようなサイクルの一時期にわれわれは生を享けるのです。ジャズがほぼ完熟するころに生まれ、物心ついたときからジャズが流れてくる時代に育ったからこそジャズに傾倒できたのかも知れません。

今後は、若い人に押し付けがましいことはやめておきましょう。彼らは別のものを見出すでしょう。それがくだらないものでも構いません。それが彼らの価値観だからです。21世紀にどんな新しいものが生れてくるのかを見せてもらったらシナトラやサミーが唄っているところに出掛ける準備をしようと思います。しかし、どんな時代にも一握りの変わり者がいて、ジャズをポピュラー・クラシックとして引き継いで行くことと思います。それにはいろいろな時代に育った人達が、その人なりの感覚で捕らえた事柄を書き残しておくことがあってもいい筈です。どの道でも専門家というものが、いろいろ小難しいことを本に書くこととは思いますが、われわれのような素人衆も好き勝手に書いておくことも一興と思います。それで金儲けをしない素人の特権として。

20世紀はわれわれが生まれ育った世紀であります。ジャズとコンピュータが生まれて、わたしの知的な生活と感性の生活を育んでくれた世紀であったのです。本ホームページには書きたいことがつぎつぎとわいてきますので、新しい記事が掲載され続けます。

最後に、スタンダード・ナンバーに限ったことではないかもしれませんが、歌には作者の言いたいこと、主張があるはずです。このことに思いを巡らし、少しなりとも理解して唄うことが名曲を作ってくれた人達に対する感謝の気持ちであり、また、ひょっとすると聴いてくれる人の心を打つものことになるものだと考えるようになりました。それだけの奥深さがあることが、恥ずかしながらこの歳になって少しずつ解りかけてきたのです。

音楽には美しいメロディやハーモニー、軽快なリズムなどいろいろな要素がありますが、歌には言葉があるのです。その歌が何を伝えようとしているのかが解らないままに唄うのは、単なる手慰みに過ぎないのではないでしょうか。日光猿軍団に似たりです。惚れるということはなかなか苦しいことなのです。ここまでくると皆さんに「おい、おい、お前の『音楽』っていうのは『音が苦』じゃあないの」といわれそうです。その通りです。

でも「苦あれば楽あり」と言うではないですか。

 

爵士樂堂主人 若山 邦紘

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