ジャズと歴史にまつわる話
History of Jazz

ミズ・マヌエラ 和田妙子


戦前から戦中にかけて中国大陸で名を馳せた日本女性が何人かおります。よく知られているのが、日本軍スパイ活動にかかわり処刑された川島芳子(清朝の粛親王の14皇女で日本人川島浪速の養女となる)と満州の李香蘭(山口淑子)でしょう。それに加えなければならないのが、上海のフランス租界、米英租界で国籍不詳のダンサーとして華々しく上海社交界を席巻したミステリアスなManuelaであります。

いずれも、激動の近代世界史の中で逞しく生きた女性たちであります。というわけで、Manuelaというのは実在する紛れもない日本人ダンサーの名前なのです。

1999年1月パルコ劇場にて「マヌエラ」<燃える上海 恋する女>が上演されました。天海祐希が戦争前夜から、上海の租界と呼ばれる外国人の居留地で活躍した日本人ダンサー”マヌエラ”を演じました。

2001年6月には、和田妙子著「上海ラプソディー 〜伝説の舞姫マヌエラ自伝〜」がWACから出版されました。1911年(明治44年)、朝鮮忠清南道生まれの和田妙子という女性が「舞姫マヌエラ」その人であります。50年も60年も経ってから、マヌエラを題材にした演劇や香港映画などが作られています。

西木正明著「ルーズベルトの刺客」新潮社(1991)でも、マヌエラのことが詳しく書かれています。


さて、この和田妙子さんが戦後引き上げてきて、内幸町に”Manuela”という戦後初のナイトクラブを開店したのですが、各界の著名人らが集まる東京の社交界で知らぬものはいない存在となりました。

また、マヌエラはジョージ川口、マーサ三宅、前田憲男ら戦後のジャズ・ミュージシャンたちが巣立った登竜門だったのです。90歳をこす高齢ですが「徹子の部屋」にも出演されました。
 

この由緒ある"Manuela"の名前の使用許可を和田さんからいただいたのは帝国ホテルの犬丸さんでした。そして、1982年4月、赤坂見附の一ツ木通りに"Little MANUELA" が出来ました。リトルマヌエラが開店してまもなく、マヌエラさん(和田妙子さん)がお店にお見えになったことがあります。

このように、マヌエラという名前はきな臭い大戦前夜時代に源を発しているもので、戦前から戦後へかけての激動の時代背景と日本におけるジャズの歴史と深く係わり合いがあるのです。


犬丸一郎


Little MANUELA Pary, 2002

この写真は2002年のマヌエラ・パーティでの2ショットです。

若Gはマヌエラさんの席まで行ってお話をしました。お隣の席の芝小路さんが席を立たれたので、そこに座ったのです。次から次へと60年以上前の上海時代、戦後の東京でのミュージシャン気質について話し出しました。昔は、どんな歌でもリクエストをすると、それに応えるのがミュージシャンの仕事という時代だという内容でした。昔のミュージシャンはそれだけ幅広く勉強をしていたということが言いたかったのでしょう。

「ところでマヌエラさんのFavorite Songは何ですか?」

と聞くと、

「ペルフィディアが大好きなの、いい歌よねぇ」

はい、”Perfidia”はラテンの名曲です。誰もが好きな曲ですよね。マヌエラさんは

「レイモンド・コンデさんによく吹いてもらったわ」

と懐かしそうにしていました。90歳のおばあちゃんと話をしているとは決して思えませんでしたよ。


マヌエラさんの話は、リトル・マヌエラのサイトには何ページか書いたのものですが、この「ジャズにまつわる話」では取り上げていないままでした。そこで、簡単なページではありますが残しておくことにしました。

マヌエラさんは、2007年5月18日に95歳で亡くなりました。

(2022/12/1)

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