KEEP SHINING 5

今年は、ご覧のようにLet's enjoy chorusということで、彼女自身が属するプロ・コーラス The Lure のメンバーとThe Oz Sons が鈴木史子を囲んでのコンサートでした。

オージーサンズのお友達、鈴木史子の第5回目のコンサートです。おじさん達もよくがんばりました。

横浜・東京の2回の公演は無事終了し、フルバンドをバックにやりたいといっていたおじさん達の念願が叶いました。

2001.10

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リハーサルは真剣な顔で


カメラのシャッターは面白い瞬間を残します

当日の立派な写真をご覧ください

オージーサンズが登場した曲は以下のとおりです。

Until I Met You/Satin Doll(鈴木史子 & The Oz Sons)
 “Until I Met You”は、もともとカウント・ベイシー楽団のFledy Greenが1955年に作曲した”Corner Pocket”という曲にDonald Wolfが後から歌詞をつけたものです。ベイシー楽団をバックにサラ・ボーンが唄い有名になりました。マントラのコーラスも逸品です。

 ”Satin Doll”はDuke EllingtonとBilly Strayhorn作曲、Johnny Mercer作詞で1953年の作です。エリントン楽団の代表的な曲の一つです。この2つの曲はコードの進行がそっくりなので、重ねて唄うことが出来るのです。Duke EllingtonとCount Basieの重ね合せとは欲張ったものとは思いませんか。
 男性軍は「君に会うまで恋がどんなものか知らなかった」と唄います。Satin Dollとはシュス織の木綿の人形ということですが、ラテン語などしゃべる小生意気な女を唄ったものです。その小生意気な女が鈴木史子というわけです。

For Sentimental Reasons(鈴木史子 & The Oz Sons)
 “For Sentimental Reasons”は正確には”I Love You For Sentimental Reasons”という歌で1945年のWilliam Best作詞、Ink SpotsのメンバーのDeek Watson作曲で、Nat King Coleがヒットさせました。ところが、その10年ほど前に“For Sentimental Reasons”という、同名のまったく別の歌があります。こちらは渋い歌です。

 戦後、大変にヒットした歌なので、“I Love You For Sentimental Reasons”というのは長ったらしかったのでしょう。単に”For Sentimental Reasons”といえば、この曲を指すようになってしまいました。

Let’s Fall In Love(鈴木史子 & The Oz Sons)
 若いうちに「思い切って恋をしちゃおう」という歌です。鈴木史子がオジサンズの一人ずつに絡みながら”Let’s Fall In Love”と唄いかけるのですが、還暦をむかえたオジサンにとっては”We are not too young at all”が実感です。どうなりますことやら。

 Ted Koehler、Harold Arlenという黄金コンビのスタンダードで、1933年の映画のために書かれました。1934年にEddy Duchinが唄いBillboard誌の第1位のヒットとなりました。1956年には映画”The Eddy Duchin Story”でCarmen Cavalleroがこの曲を弾いています。作曲のHarold Arlen自身が唄っているレコードも出ています。

I’ll Never Smile Again(The Oz Sons)
 1940年、Tommy Dorsey楽団でFrank SinatraとPied Pipersが唄ってヒットした曲です。この歌はシナトラのキャリアの第一歩だったのです。その一年前に、カナダの若きソングライター、Ruth Loweが結婚1年で自分の夫を突然失って途方にくれて、彼女の妹に”I’ll never smile again”と語りました。そして、その夜、一夜でこの歌を書き上げたものです。このときRuth Loweは24歳だったのです。

 オジサンズの数少ないレパートリーの中でも好んで唄う曲ですが、世良 譲トリオと鈴木史子のライブを聴きに行ったとき、「おやおや、みなさんお揃いで。あれを唄いなさい」と唄わされたことがあります。ある時は、ドリー・ベーカーが聴いて興奮して曰く「私がJo StaffordをやるからPied Pipersをやろう」と。

Up, Up And Away(The Lure & The Oz Sons)
 Jimmy Webbというロックのシンガー・ソングライターが書き、Fifth Dimensionが1967年に唄って大ヒットしました。そのときには、”Aquarius”も大ヒットをしました。Las Vegasで彼らのMidnight Showを見たことをよく憶えています。

 「わたしの美しい気球に乗って、大空を飛びませんか」という夢いっぱいの美しい歌です。Jimmy Webは父親が伝道師で、中学生の頃は教会でオルガンを弾いていたのですが、賛美歌をいつの間にか編曲してしまうのです。Jimmy Webbのヒット曲、”By The Time I Get To Phoenix”や”MacArthur Park”をご存知の方は、彼のロマンチックなメロディと美しいコード使いから、どんな編曲をしたのかが想像できるかもしれません。

Bella Notte/La La Lu(鈴木史子 & The Oz Sons)
 1955年のディズニー映画「わんわん物語」"Lady & the Tramp"に使われた歌です。
 "Bella Notte"はLadyとTrampが町のイタリア料理屋の裏庭でデート中に、料理屋の主人が2匹のためにスパゲティを用意して、2匹はこの歌を聞きながら1本のスパゲティを両端から食べ、知らずにキスをしてしまうシーンが印象的です。

 "LA LA LU"は"When You Wish Upon A Star"(ピノキオ)、"Some Day My Prince Will Come"(白雪姫)とともにディズニー映画で大ヒットしました。最近のディズニー映画「102」では、人間の主人公2人がデートに出かける際に、留守番役の犬達にビデオをセットしてあげて、何匹もの犬達が見ていたのが「わんわん物語」でした。

 この映画で使われた曲はすべてPeggy LeeとSonny Burkeにより1952年に作られたものです。Peggy Leeはクリスタル・ヴォイスと呼ばれた、とてもとても色っぽい歌手ですが、たくさんの歌を書いたソングライターでもあるのです。

A Lovely Way To Spend An Evening(鈴木史子、The Lure & The Oz Sons)
 Harold AdamsonとJimmy McHughの1943年の歌です。作曲のJimmy McHughといえばどなたもご存知の”I Can’t Give You Anything But Love”(1928)、”On The Sunny Side of The Street”(1930)、”I’m In The Mood For Love”(1935)を思い出します。”A Lovely Way To Spend An Evening”はシナトラが何度も吹き込んでいますが、このような大ヒット曲に隠れた佳曲です。

 ブロードウェイ・ミュージカル"Higher and Higher"の挿入歌ですが、翌1944年に同タイトルの映画も出来ました。この映画が当時のRKO Radioの番組"Frank Sinatra Show"で宣伝されたということです。映画の最後のほうにもシナトラが登場しますが、メジャーな映画に出たのは、これが初めてだったのです。

 この歌を鈴木史子の高校時代の同級生(あるビストロのご主人)が「いい歌だよ」と唄うことを薦めたのです。それ以来、鈴木史子のお気に入りの歌となり、コンサートやライブの締めくくりの歌としています。今日はバックコーラスが7人も付きます。

And I Love You So(鈴木史子、The Lure & The Oz Sons)
 この歌はロックのシンガーソングライターDon McLeanが1970年に書いてTapestryというデビューアルバムで唄われた歌ですが、このアルバムはあまり売れませんでした。

 89歳の誕生日を6日後に控えてこの世を去ったPerry Comoが1973年にカバーをして大ヒットさせましたが、その2年後にElvis Presleyが心に迫る熱唱を聴かせました。鈴木史子はこれにまいったのです。

 

これは当日のプログラムのライナーノート用に書いたものです。