歌とミュージシャンにまつわる話 |
(382) 市川秀男のピアノ伴奏 |
|
市川秀男(1945- ) |
国立音楽大学付属高校で作曲を学んだ市川少年はジャズに出会い、独学で勉強し、キャバレーやナイトクラブで演奏活動を始めたという。大学には進学せずにプロの音楽家になってしまったのです。 コマソンも数多く作曲しています。それにテレビ・ドラマのテーマ音楽なども書いています。 かと思うと、1976年にはジョージ川口のビッグフォーのメンバーにもなっています。 現在、78歳になりましたが若々しいままです。(2023/5/13) |
2012年の幕開けはこのライブから 2011年11月、わかGのジャズの師匠・沢田靖司は入院中だった。そんな沢チンに市川秀男から「一緒にライブをやろう」と誘いがかかった。バイパス手術をする前だというのに。 市川さんから「2月なら大丈夫だよ」と言われ、沢チンは引き受けてしまいました。 幸い手術も成功、暮から新年はゆっくり休養しています。 今日、このフライヤーが沢田家から届きました。 皆で全快祝いに行こう。 早く予約しないとSoldOutになってしまいます! |
|
人生、2度目の大手術を2011年11月末に受けた。最初は1978年のこと、このときは脳の手術だった。10年後くらいに後遺症が出て手がしびれてピアノが弾けないと言う。いろんなことがある度、回りの人たちに心配をかけてきた。 今度は心臓だ。冠状動脈が狭窄、放っておけば心筋梗塞になってしまう。バイパス手術を受けることになった。国立東京医療センターの先生が人工透析でカチカチになった冠状動脈に2本のバイパスを入れてくれた。今夜のライブは術後2ヵ月半のこと、舞台で歩くと危なっかしくて眼を瞑ってしまうよ。でも、声はちゃんと出ていた。 82歳の松尾先生までヒヤヒヤして見ていたのだから。とにかく、このジャズ・ボーカルの大家は満身創痍なのだ。満身創痍というと、ドリー・ベーカーを思い出す。ドリーも満身創痍だった。ライブ中に倒れて救急車で運ばれ、ペースメーカーを埋め込まれてしまった。それ以前には大腿骨を金属の骨に入れ替えたこともある。ドリー母さんは長生きしている。この間、2月7日には90歳になった。 沢チン、大丈夫だ。ただ、転ばないように歩いておくれ。頼むよ。
2013年暮、沢チンの入院先だった病院のXX科部長が経営するワインバーでのライブが開かれた。バックは市川さん(pf)、中牟礼さん(gt)、稲葉さん(bs)だった。 |
|
|
さて、市川さんのピアノ伴奏は人とはかけ離れていた。 どういう話か?というと、イントロが全く違っていた。通常のイントロではない市川流のイントロで、聴いていても調性が掴めず、音を取ることが実に難しい。 沢田ボーカル教室へ入って来る生徒の基礎段階の指導は高岡けい子先生の担当だった。そういう関係から、けい子先生のライブの伴奏を市川さんがやることがあった。 けい子さん、イントロを聴いても音が取れません。大変な目に遭ったのです。 |
この話は、2000年代の初めのころのことです。当時、沢チンも市川さんのイントロから音を外さないように取ろうと、真剣な眼差しで集中している様子が、わかGの目にも耳にもよく分かったのです。 歌に入ると一変して、歌に合わせたオブリガートが返ってきます。その即興性に驚かされたものです。 しかし、市川さんのイントロも年を追って優しく音を出してくれるようになり、我々でも調性がつかめるイントロになって来ました。昔は意地悪イントロだったのです。 |
|
◆ ◆ ◆ |
|
|