ジャズと小噺
Jazz and Topics

(45) Gibson社経営破綻

ギターのGibson社が倒産というニュースが出ている。

ギターという楽器は人を音楽へと誘う道具である。ピアノは持ち歩き出来ないがギターはどこにでも持って行ける。私が最初にギターを買いに行ったのは、中学生の頃だった。1年生の時に初めてウクレレを買いに行った。神田のカワセ楽器店だった。カワセはギターの専門店だった。

ウクレレに飽きたらず、ギターに手を出した。最初に買ったのはジャズ用のピックギターだった。昭和20年代終わり頃に数千円だった。ポピュラーソングの伴奏のために弾いたものだった。プレスリーの真似までした。

高校生の終わり頃に、またカワセに行ってピックギターを下取りに出して、カントリー用のギターに取り替えた。

同じ頃、トリオ・ロス・パンチョスが来日するようになってラテンも歌いたくなり、ガットギターもカワセで買ってきた。

80年代の初めにマーチンのOM-45という高級モデルを大枚はたいて買った。当時の値段は\800,000だった。私にはどういうわけか2割引きにしてくれた。このギターでBlues GuitarやRagtime Guitarの曲を弾きまくっていた。何年か歌を唄わずにギター・ソロを研究した。カワセではギター曲の楽譜も売っていたのだ。


Martin OM-45

教え子でギター好きの穂垣が家に来ると「先生、マーチン」と言う。


若ゼミOBG

こうしてマーチンを大事に抱いている。

1987年にメキシコ・シティでレキントギターをギター工房に行って買ってきた。そのギターを持ったまま、レストランに行くとトリオが歌いながら客のテーブルを回ってくる。私たちのテーブルに来て、私のギターケースを見つけて、大変なことになった。


メキシコ製レキントギター

「一緒に歌おう」と、ケースからレキントを出してチューニングしてしまった。

仕方がない。シェリトリンドを歌った。ピッタリでバカウケとなった。

「もう1曲だ」

ある恋の物語を一緒にやった。いい思い出だ。レキントギターはネックが短い。チューニングを短3度上げる。

80年代から90年代にかけて、ジャズギターの中牟礼貞則、細野よしひこと仲良くなった。彼らが弾いていたギターがギブソンのES-175だった。私のGibsonは2人と同じモデルの1977年製のギターだ。


Gibson ES-175

Four Freshmenの歓迎会を何回か開いたことがあるが、2回はわたしが幹事でマヌエラを借り切って開催した。その時にはこのギターを持って行ってBrian Eichenbergerに弾かせた。


Four Freshmen #22

1996年にスペインのバルセロナではスペイン製のレキントを仕入れてきた。

Gibsonギターはこの世から消えることはなくて済むらしい。(2018/6/1)


Gibsonは経営陣を刷新し再建されることなったと新聞に出た。目出度しめでたし。


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