FRIENDS OF OZSONS


Keiko Takaoka

高岡 けい子

沢田靖司のジャズボーカルスクールの先生で、後進の指導に当たりながら、ライブ活動やCDのリリースなど忙しい人です。

沢田スクールの生徒さんからは「けい子先生」と呼ばれて、お母さんのように慕われています。そこで、われわれも「けい子先生」と呼んでいます。

古い方はよくご存知のドラマー、清水 閨さんの奥さんです。シミキンさんが倒れ、今は杖を頼りにして歩かれるほどに回復されましたが、それ以前はよく夫婦でライブに出演していました。
 

ある時、わかGは閏さんのドラムスで飛び入りで唄わされたことがありますが、2003年の12月に亡くなってしまいました。

もともとミュージカル女優になろうとレッスンを受けていたのですが、レッスン代稼ぎに始めたクラブ歌手が高じてジャズ歌手になってしまったという経歴があります。

その頃、その頃とはウン十年まえですが、世良さんからジャズボーカルの手ほどきを受けて、その後で沢田靖司に師事するようになりました。デビューは1975年、八城さんトリオとの共演です。八城邦義君ではなく、彼のお父さんです。

そのアップテンポのスイング感は並外れたものがありますが、スローとなると「超」スローで唄います。これは驚きです。たとえるなら、レコードの回転数をグググッと落として(ただし、キーは変わらない)聴くようなものなのです。やったことがある人はお分かりでしょうが、めちゃめちゃに粗が目立ってきます。

それにもかかわらず、けい子先生の歌は揺るぎがありません。まるでJimmy Scottばりのスローテンポで唄うのですからたまげてしまいます。

何年も前のことになりますが、沢田靖司が私が書いた”P.S. I Love You”の譜面を見て、「おっ、これ」とか言って持って行ってしまいました。それから、翌年でしたか。けい子先生がその譜面を持っていて、生徒さんに教えていたのです。
どこかで見た譜面だと思ったら、わかGの書いたものだったのです。けい子先生はそのことを知らなかったのです。
 

リトルマヌエラでのゲストデーにけい子先生が出演したときです。

我々は3人しか集まれませんでしたが、バックコーラスをつけて”For Sentimental Reasons”をやろうということになりました。

「2ndコーラスのサビからハモリで、サビの終わりで半音転調、コーダは3回繰り返し」と打ち合わせもそこそこで、ぶっつけでやってみました。お互いに「どう来るか」と思いながらのコーラスです。

とてもスリリングでした。けい子先生、面白がっていました。

 
河田欣弥さんのサイト: http://www.mingos.net/ かつて、ここにありき
’04年9月12日、河田欣弥さんはお亡くなりになられました。
欣也さんは高岡けい子のCDを発売してくれました。