笈田 敏夫 コンサート

Message from Geso

若い頃、自分のコンサートを開くなどということは、夢のような話でした。

しかも、都内には今のような立派なホールも少なかったし、至難の業であったように記憶します。

それにもかかわらず幸せなことに、私は今までに数多くのコンサートを打ってまいりました。スタッフに恵まれたことが大きな原動力でしたが、私自身、ステージで歌うことが生き甲斐と感じていたからなのです。

私は、常にステージシンガーでありたいと希ってきました。ライブのステージというのは、私にとって一番こだわりを持つ仕事なのです。

生の歌は、その時その時によって、生きています。ですから、毎回ステージで歌うことのスリルが私の生き甲斐なのです。

昨年に続いて本日、こんな素晴らしいステージで歌えることの幸せを実感しています。コンサートを開くということは、多くの皆様の力を拝借しなければなりません。

また、来てくださる皆様なくしては成り立ちません。

ステージシンガーとして、もうしばらく歌いたいと云うのが、今の私の夢でもあります。今回は長い歌手生活に最も大きな影響を与えてくれた男性ビッグシンガーの歌を集めてプログラムを組みました。

皆様それぞれの憶い出を蘇らせていただける様、一曲一曲を大事に丁寧に歌えたらと希っています。本夕は本当にありがとうございました。

笈田 敏夫

 

 

今年は、78歳にちなんで7人のプレーヤーと8人のゲストを決めたのです。何というこだわり方でしょう

    ・ゲスト:大橋 節夫/スリーグレイセス/OZ SONS

    ・バンド岸ミツアキ(Pf)/青島 信幸(Bs)/猪俣 猛(Dr)/細野 義彦(Gt)
         五十嵐明要(Alt Sax)/原田 忠幸(Bari Sax)/北里 典彦(Tp)
 

名実ともにそうそうたるミュージシャンの中に、なぜか、素人衆のコーラスOZ SONSがチャッカリと名を連ねているのです。考えてみると不思議な話です。考えなくても不思議ですね。われわれOZ SONSより上手なコーラスは山ほどあります。オーディションでもやればいくらでも集まってくることでしょう。でも、やらないのです。

 「お前たちが一緒にやってくれればいいのだ」
これが、人間関係というものなのでしょう。ゲソ爺やプロデュースをしたアガサスの社長、忠Gはよそ事は考えないのです。編曲者の細野義彦もオージーサンズには軽めのアレンジをするよう手加減をしてくれました。
オージーサンズのこの日の年齢は合計で231歳と8ヶ月でした。このメンバーの中では若いのだといわれてしまいました。平均58歳ということは、ゲソ爺と20も違うのです。最年少は岸ミツアキの42歳でした。歳のことばかり言うのはじじいの証拠です。いやですね。

コンサートの写真です

なにか、和やかにおしゃべりしているところです。

打ち合わせとは、違った話になってしまいました。

おかげで、言うべきキーワードが持ち出せませんでした。

それが、次の曲への導入となるはずだったのです。

ゲソ爺+スリーグレイセス+オージーサンズ

リハーサルの時間に撮った写真から

笈田敏夫とスリーグレイセス

"Pa Pa Loves Mambo"

左から

五十嵐明要(Alt Sax)

北里 典彦(Tp)

原田 忠幸(Bari Sax)

左から

青島 信幸(Bs)

細野 義彦(Gt)

猪俣 猛(Dr)

岸ミツアキ(Pf)

出演者最年少でした。42歳。

72年来の親友、大橋節夫と笈田敏夫

"Blue Hawaii"

 

オージーサンズ

"I'll Never Smile Again"

フィナーレ(全員)

"What A Wonderful World!"

プログラムの中のオージーサンズ紹介(これだけ見ていれば立派なもんだ)
 

ゲソ爺はこんなものを用意していました。

78歳にちなんだ金額(税務署が見るといけないので秘密)と感謝の言葉が入っていました。

「洒落だからな」と念を押して。

 
ゲソコンうら話

どんなコンサートだったか。来ない人にはわかりませんよね。まず、お客さんの平均年齢の高いことは本邦一です。前列に陣取ったゲソフレンズは元気印の高齢者集団、中心は熟年のおじ様おば様、それに少なからず若い人たちも聴きに来てくれていたのです。3世代に亘ります。

出来はどうだったか?そりゃあ、バックの7人は、ゲソ爺がどんなに「気まぐれ」をしでかしても動じません。本番がリハーサルでの打ち合わせとと少々違っていてもびくともしません。自分で言うのもなんですが、オージーサンズもよくやりましたよ。タイトロープを渡る気分で何とか終わりまでついていけたのですから。

客席のお客様は、「よかった、面白かった」と一様に満足されてお帰りになりました。離れたところから見ているのですから、われわれが冷や汗かいていても分かりません。

以下は、ゲソ爺と一緒にリハーサルを行い、本番のステージの上にいた者でなくては知りえない、そして、語れないことです。

これはお客様も一部の人は気がついたことだと思いますが、第二部の最初、"Route 66!"では、後半のサビを2回繰り返したのです。ゲソ爺が出を勘違いして「さびに戻れ」のブロックサインがバックの連中に出されました。私たちはそのサインの意味を知らなかったのですが、状況を判断すれば理解できます。「了解、Uターンせよだな」とばかりあわてながらも落ち着いていましたが、一瞬は皆さんがどう処理していくのかと思っていました。ドラムスの猪俣さんが、終ってから解説してくれました。

「こんなこと、アドリブをやっているときはよくあることだよ」

コーラス屋のスリーグレイセスとオージーサンズだけが知らなかったことだったのです。コーラスではアドリブをまわすことなど絶対にありませんからね。なぜこんなことになったか。一度目のサビはオージサンズが4小節、つづいてゲソ爺です。ところが本番でゲソ爺は、一緒に歌ってしまったのです。そこで、「いけねえ」と思い、間奏後のサビの頭では、ゲソ爺は黙っていたのです。今度は、ゲソ爺が歌いオージサンズが「ぱ、ぱーぱ・・・」とバックをつけるのです。ややこしい話で申し訳ない!

もうひとつ、"Blue Skies"の間奏をバンドが演奏しているときです。途中ではわれわれのコーラスパートが5小節ばかりあるのです。ところが、ゲソ爺は左隣にいる私のところに寄り添ってきて、耳元で「間奏の後は、頭か?」って言うのです。「そう、頭です」と返答をしている間に、間奏がどこかへ飛んでいってしまい、私にはどこをやっているのか見当がつかなくなってしまいました。ヒヤッとしましたよ。感覚的に4小節単位ではコード進行の流れに区切りがありますからわかるのですが、何段目のところかが定かでないのです。不注意に飛び出すわけにいかないのです。

コンサートもフィナーレに近づき、"The Theme of New York, New York"を歌っている最中でした。ゲソ爺が後ろを振り返り、我々のほうに顔を向けたのですが、一瞬、これまでには見たことがない、やつれた100歳のゲソ爺の顔を見せました。心身ともにストレスがピークに達していたのに違いありません。ステージを共にしていた仲間内にだけ、ふと見せてしまった顔だったのです。そんなゲソ爺を少しでも支えたのだという満足感が後になって沸いてきました。

アンコール曲には"What A Wonderful World"が用意されました。ところが、当日になってからでも、ゲソ爺、アレンジの細野、コーラスのスリグレ、オージサンズとそれぞれに思惑が違うのです。ユニゾンをめぐってのこととエンディングに関してです。リハーサルが終ってから、それぞれが譲り合ってまとまったのですよ。なんてったて、はじめは「適当にやろう」ってことだったのですから。コーラス隊は適当にやるわけには行かないのですよ。

あの歳で、午後2時のリハーサルから8時20分まで歌い続けたのです。強靭な気力・体力といわねばなりません。10年前、Dolly Bakerが71歳の時でした。コンサートで張り切りすぎて声もつぶし、舞台で横に寝っころがってしまったことがあります。そのときは、当然だ、おばあちゃん、よくがんばったと思いましたが、ゲソ爺はそのときのドリーより7歳も年上なのです。

「気まぐれコンサート」というタイトルの意味が身をもってわかったことは大収穫といわねばなりません。オージーサンズも、またまた、強くなりました。ゲソ爺のおかげです。

ゲソ爺は80歳のコンサートが夢であったのですが、あと2年となり現実のものとなりつつあります。

ゲソ爺はそれなりの地位にいる人ですから、プロの間では厳しいことを言ったり、意地の悪そうなことを言ったりすることもあります。当然といえば当然ですが、我々のような素人に対してはまったく違います。

当日のリハを含めて3回の練習中に、ボソッと「若ちゃん、お前たちとは、気が合いそうだよな」

OZSONS-PITの笈田敏夫のページには、ゲソの由来が書いてあります

ゲソ爺の公式ページは上記からリンクしています

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