ジャズと歴史にまつわる話  第1部 1940年まで

ジャズ歌手が育つのが1930年代


Bing Crosby(1903-1977)
and Paul Whiteman(1890-1967)

ビッグ・バンドはもっぱらダンス・バンドとして演奏することが多かったのですが、いい専属歌手をもつバンドがふえてきます。

ビング・クロスビーは1927年にポール・ホワイトマン楽団の専属歌手となりました。ポール・ホワイトマンは1920年代に"King of Jazz"といわれた音楽家です。

1931年にはビング・クロスビーはラジオで人気歌手になり、全米にその名が知れ渡ることになります。

その後の映画でも人気者となるわけですが、シナトラはクロスビーの歌を聴いて、自分も歌手になろうと志を立てたといいます。



Billie Holiday(Eleanora Fagan)
(1915-1959)

ビリー・ホリデーは、後に出るエラやサラなど多くの歌手に影響を与えた偉大なジャズ歌手ですが、彼女はまずベッシー・スミスのブルースを受け継ぎ、やがてレスター・ヤング、そしてルイ・アームストロングらの影響をつよく受けます。

彼女はいずれのバンドの専属歌手にもなりませんでしたが、1933年に、はじめてベニー・グッドマン楽団とレコーディングしました。次いでテディ・ウィルソン、後には、ルイ・アームストロング、カウント・ベイシー、アーティ・ショーらと珠玉のクラシック・ジャズ・ボーカルを唄い、44年の短い生涯の間に307曲ものレコードを残しました。



Ella Fitzgerald(1917-1996)
 

アメリカ人でなくとも、ジャズを知らない日本人でもエラ・フィッツジェラルドの名前を知らない人はいないでしょう。

エラ・フィッツジェラルドが1935年、チック・ウェッブ楽団からデビューする話は各所にありますが、はじめ、ウェッブはエラを雇うのをすっぱりと断ったのです。

At first Webb flatly refused to hire Fitzgerald.
"We'll take her to Yale tomorrow night," he said. "And if she goes over with the college kids, she stays."

She passed the test .


「明日、彼女をYaleへ連れて行こう」
「もし、学生どもと一緒に初めからやり直すというのなら、彼女を残そう」と。

彼女はテストに合格したのです。

どうです。嘘のようなはなしでしょ?

そのたった4年後、チック・ウェッブは脊柱結核で30歳という若さでこの世を去ってしまいます。エラは楽団のリーダーとして2年近く残り、その後、ソロ・シンガーとして独り立ちすることになるのです。

Ira Gershwinがこう述懐したことがあります。「エラが唄ってくれるまで、われわれの歌がこんなに素晴らしいものとは思わなかった」と。