朝日新聞に「ベルリン」



お元気にお過ごしのことでしょう。
3・11の時に先輩が向かっていたという
蔵王温泉へ先日行ってきました。
「自粛を自粛しよう」と内外各地を巡っています。
気仙沼、南三陸、石巻なども再三お訪ねし、惨状に言葉もありません。
政治の混沌も目の当たりにして、早い復興を願い、祈るばかりです。

12月18日付朝日新聞朝刊のアスパラトラベル面に
拙稿「ベルリン」を書きました(写真とも)。興味深い旅でした。
さらに詳細をasahi.comにも2本載せています。
ご笑覧いただけたら幸いです。

新しい年が健やかな日々に転じていくよう祈念しています。
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林 莊祐 HAYASHI shosuke


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アートが語る破壊と再生 ベルリン(ドイツ1)  2011/12/17

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墓標をイメージするコンクリートブロックの上を子供たちが無邪気に飛び回る=ユダヤ人犠牲者追悼記念館

東西を分断していたベルリンの壁が1989年に崩壊、歓喜に沸いたブランデンブルク門の近くに大きな直方体のコンクリート群の異様な光景が目につく。6年前に開館したユダヤ人犠牲者追悼記念館の野外展示で、灰色の直方体2711個が整然と並び、幾何学的な美しいアートのようにも見える。

霊施設と思わず、子どもたちが跳びはねる傍らで、係員が「上に乗るな」と訪れる人たちに丁寧に注意している。ベルリン在住のテレビプロデューサー小竹四朗さん(64)は「それぞれの高さが違うので、間を歩くと景色の変化がおもしろい。街中に巨大な墓は要らないなど賛否はありますが」と話す。

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ブランデンブルク門前の記念撮影はベルリン観光の定番

壁崩壊後、物価の安い旧東側の市内に若手芸術家たちが流れ住み、解放の息吹が育まれた。2000年の「ゼロ年代」になって、ドイツが背負う負の遺産を語り継ぐユニークな記念碑が市内あちこちに建った。現代アートをうたうベルリン・ユダヤ博物館の建物も、展示通路が鋭角にいくつも曲がり、X形に交差し迷路のようだ。ゆくえ定まらないユダヤの歴史を訴えているともいう。暗い閉鎖空間の造形に、ガス室の恐怖も覚える。

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現代アートの表現豊かなユダヤ博物館の内部 奈落のイメージ
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上空から見ると折れ線グラフのような
ユダヤ博物館=同館絵葉書から
「優秀なユダヤ人」をPRする展示

50年前の1961年に西ベルリンが有刺鉄線で一斉に封鎖されてから壁が崩壊するまでに、東側から西側へ壁を越えて逃げた人は5千人を超すという。東西の国境線だった北部のベルナウアー通りにある壁資料センターの前には、いまも100メートル余りの壁が残され、センターの屋上からは、壁の延長線上に旧国境地帯を示す赤茶けた鉄棒群が続くのが展望できる。旧検問所の「チェックポイント・チャーリー」は人気の観光スポットで、米兵に扮した人と記念撮影する人たちで大にぎわいだ。

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壁資料センター前の東西を分断した壁と境界線に続く鉄棒のモニュメント
 

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壁を越えようとして命を落とした人びとをしのぶ追悼の碑=壁資料センター前

 
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観光地化した旧検問所「チェックポイント・チャーリー」と「壁」博物館
 

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博物館の外観
 

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壁を越えた数々の方法などを展示する壁博物館
 

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ビジネス街の路地裏にひっそりと残る東西分断の旧壁監視塔

ドイツ国民が分断されたもう一つの傷跡、ベルリン北部郊外のザクセンハウゼン強制収容所跡を訪ねた。第2次世界大戦でヒトラー政権がユダヤの人びとを隔離し収容所へ送り込み戦後は逆にドイツ戦犯が収容された。

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ベルリンの北約30キロの町オラニエンブルクにある荒涼とした
ザクセンハウゼン強制収容所跡

 
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ザクセンハウゼン強制収容所跡の
インフォメーションセンター 
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 収容棟内部

郊外から帰りの高速列車が着いたベルリン中央駅は、サッカーW杯の開催に合わせ、首都の玄関口として5年前に開業した。巨大なドーム状の天井が威容を誇り、建物そのものが破壊の悲劇に見舞われた大都会が再生・復活したシンボルになっている。

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大きなドーム屋根が美しいベルリン中央駅

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長距離列車の発着

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ベルリン中央駅のすぐそば、市中央を流れるシュプレー川畔の
国会図書館も壁崩壊後にデザインされた現代建築だ
文・写真 林莊祐(旅記者)

https://aspara.asahi.com/ulrsc/6/colum/travel-aspara/20111212_01/p21.jpg 林莊祐(はやし・しょうすけ) 1942年東京都生まれ。朝日新聞、週刊朝日、アサヒカメラの記者を経て、大阪科学部次長。 CS放送協議会(現・社団法人衛星放送協会)事務局長などを歴任。 現在、メディアジャーナリスト、旅記者、日本旅行作家協会常任理事。
https://aspara.asahi.com/ulrsc/6/colum/travel-aspara/20111212_01/map.jpg メモ ベルリンは東京23区の約1.5倍、約890平方キロの広さがあり、人口約340万人。1999年にボンから首都機能が移転した。ドイツ連邦議会議事堂や五つの博物館・美術館が集まる博物館島なども人気だ。
 

ベルリンと旧東ドイツの街をめぐる(ドイツ2) 2011/12/17

ベルリンの中央を流れるシュプレー川の中州に世界的に有名な五つの博物館・美術館があり「博物館島」と呼ぶ。1830年から100年間に建てられた博物館群で、壁崩壊後に大改修が進み、1999年ユネスコ世界遺産に登録されてベルリン観光の定番となった。6000年の歴史をたどる考古学コレクションから19世紀芸術まで保存・展示されている。その中核がペルガモン博物館で、古代ギリシャ、ローマ、中近東、イスラムの美術を集めた。館名由来のペルガモンは古代ギリシャの都市で、現トルコ西部のエーゲ海を望むベルガマに当たる。観覧客の長い行列で入館はかなりの時間待ちになることが多いが、この古代都市で発掘、館内に再建された全能の神を祭る「ゼウスの大祭壇」が圧巻だ。このほか博物館島は、古代ギリシャなどの美術品を収蔵する旧博物館(古博物館)、エジプト美術収蔵の新博物館、19世紀絵画・彫像などの旧国立美術館、世界有数の彫刻・工芸品コレクションを持つボーデ博物館がある。

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館内に再建された「ゼウスの大祭壇」=ペルガモン博物館
 

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現トルコ西部、エーゲ海沿岸の
古代都市「ミレトスの市場門」

 

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中東バビロンで発掘された「イシュタール門」の復元

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博物館島にありシュプレー川に臨むベルリン大聖堂の高さ114メートルの威容。第2次世界大戦で大被害を受け、ベルリンの壁崩壊後に修復した

ドイツ連邦議会議事堂。ブランデンブルク門のすぐ北側にあり、壁崩壊後8年かけて改築した。屋上の中央ドームの中からシュプレー川や市民憩いの広大な庭園ティーアガルテンを望む

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絵画館から見たベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地「フィルハーモニー」。テントを張ったような屋根が特徴だ。右方向へ行くとポツダム広場駅

絵画館は72の展示室があり、質量ともに充実した美術館だが、観光スポットから少し離れているせいか入館で並ぶことも少なく、芸術をゆったり堪能できるお勧め空間になっている。中世、近世の所蔵で、ブリューゲル、フェルメール、クラーナハ、ボッティチェリ、レンブラント、ルーベンスら多数の作品が並ぶ
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フィルハーモニー向かいの絵画館
市内の博物館・美術館鑑賞に「ミュージアム・パス・ベルリン」の3日間有効カードが便利だ。19ユーロ、学生9.5ユーロするが、ベルリンにある国立・市立・私立の60館以上で使えるので、かなり割安になるだけでなく、入館券購入で長い行列をするペルガモン博物館などでも優先的に入館できる。込み合わない絵画館などを先に訪ねてこのカードを手にしておけば効率良いベルリン観光が可能だ。
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館内カフェのランチ
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旧東ベルリンのシンボル「赤の市庁舎」とテレビ塔
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老舗のツア・レツテン・インスタンツ
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名物アイスバイン
赤れんが色の外観から「赤の市庁舎」と呼ばれるベルリン市役所は19世紀中ごろの建築。第2次世界大戦後、再建して東ベルリンが使ったが、壁崩壊2年後に統一ベルリン市政の中心となった。テレビ塔は高さ368メートル、東ベルリンのシンボルとして戦後建設された。近くに1621年創業でベルリン最古というレストラン「ツア・レツテン・インスタンツ」があり、骨付き豚すね肉を煮込んだアイスバインをビールで楽しむ日本人観光客の姿もよく見かける。乗降客の多いベルリン中央駅や隣駅の郊外列車が行き交うフリードリッヒシュトラーセ駅など構内の飲食店は朝夕通勤客でにぎわう。すしはビジネスマンらに人気で、昼食時に駅前のチェーン店などは列をなす。
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フリードリッヒシュトラーセ駅近くのすしチェーン「一心」
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中央駅や市内のレストランのランチ
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ベルリン中央駅の長距離列車発着
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時刻表と券売機
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転車と一緒に

旧東ドイツを巡る旅は、ベルリン滞在のあと、ライプチヒ、ドレスデン、マイセンなどを巡る人たちが少なくない。ベルリン中央駅から鉄道利用が大変便利だ。あらかじめ駅の自動券売機で指定席切符を手にしておく。初めは慣れないが画面に沿って手順を追えば容易に買える。券売機で列車時刻表を印刷できるのは便利だ。

ベルリンから鉄道で1時間余りのライプチヒは作曲家ヨハン・セバスチャン・バッハが住んだ町。市街の聖トーマス教会の前庭に立つバッハはこの教会のオルガン奏者兼合唱団指揮者だった。教会祭壇前の床に墓標がある。生まれはドイツ中央の小都市アイゼナハ。

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トーマス教会のバッハ像
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教会内のバッハの墓
 
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ファウストゆかりでゲーテや森鴎外も通ったというライプチヒの酒場レストラン「アウアーバッハス・ケラー」。
カモのロースト
第2次世界大戦終焉のころ、ドレスデン爆撃で崩れ落ちたフラウエン教会は長い間がれきのまま屋外にさらされていたが、コンピューター技術などを駆使して2005年、再建された。ドレスデンの新旧市街の間を流れるエルベ川畔は市民・観光客の憩いの場だ。黄色い路面電車で市内を回るのも楽しい。世界に名高い磁器の町マイセンへ郊外電車で行く。市民が自転車と一緒に乗る車内風景は日本では珍しい。
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エルベ川を望むエンゼル像 
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ベルリンの壁崩壊後に再建されたフラウエン教会
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隣国チェコの首都プラハから流れるエルベ川
 
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旧市街地区を走る市電
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ドレスデン中央駅前を走る市電
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自転車と一緒に乗る=ドレスデン・マイセン間の郊外電車で
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上流のドレスデンからドイツ北部のハンブルクで北海へ流れるエルベ川と
マイセン市街。15世紀建設のアルブレヒト城の中に磁器工場があった

古都マイセンはドレスデンから郊外電車で約40分。エルベ川と山上の古城が美しい。ふもとの石畳の道の先に、お目当てのマイセン磁器博物館がある。多数のアンティークの食器や装飾品の展示が十分目を楽しませてくれる。敷地内の磁器工場は一般に公開されていないが、館内の見学用工房で作業工程の実演を見られる。市街のショップなどで博物館売店よりかなり割安なマイセン磁器を買える。
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マイセン磁器博物館
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館内の見学用工房で作業工程の実演
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マイセンの皿に工房マークを模したソーセージのランチ
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館内の売店と646ユーロ(6万5000円)の値札が付くポット。日本で買うと数倍という
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マイセン磁器を売る市街のショップ
文・写真 林莊祐(旅記者)