昔、「写真の修整」という技術がありました。これは、写真やさんが白黒写真に「筆と墨」を使って「修整」を施すのです。修整したものを複写してから印画紙に焼付けるのです。

集合写真に欠席者の「枠入り」の小さい写真を加えることもありました。こういう仕事は現在のデジタル写真になってからは、誰でも簡単にできるようになりました。「レタッチ」といいます。しかも修整したなんて誰にもわかりません。以下の写真は「喜んでもらえた事例」です。

   

あっこの開眼

何年前でしたか、芝小路さんとツーショットの写真をオルフェアンズのパーティの時に撮影しました。

ところが大事な写真で目をつぶってしまいました(左)。撮り直しができません。

「わかさま、何とかして目を開けてください!」

と言ってきました。そこで、写真の開眼手術を施したのが右の写真です。幸いあっこの写真はいろいろありますので、一番よく合いそうな目玉を取り付けてやりました。

目出度く「開眼」しました。

これは、「人助け」というものです。

   

卒業50年記念の集合写真

私達の幼稚舎卒業は1953年でした。毎年、晩秋に帝国ホテルで開催される同窓会では、こうして卒業50年のクラスが赤い運動帽をかぶって記念写真を撮るのです。その風景を何十年にも亘って見てきましたが、自分達の年が回ってきてしまいました。社会人になったばかりの頃は、親父達の世代の卒業生がこうやって写真を撮っていたのを思い出しますが、ついこの間のように思えます。

私達は男子だけのクラスの最後の年でした。昭和22年に入学しました。翌年からは女子が入学するようになったのです。

さて、この写真に間に合わなかった級友が2人いました。「写真は終わったのか?」と、何ともがっかりしていました。そこで、2人の写真を撮って集合写真に挿入することを考えました。「ちゃんと入れてやるから心配するな」

それが、次の写真です。後列の左に2人を入れました。しかし、帽子をかぶっていません。
そこで、赤帽をかぶせてやりました。

何事もなかったかのように集合写真に間に合いました。めでたし、めでたし!!

下の写真は、オフィシャルの写真屋が撮影したもので、しばらくしてから郵送されてきました。これにも、当然2人は入っていません。そこで、こちらも2人を入れて、出席者達に配りました。遅刻してきたA君とM君は喜びました。

出来栄えが良くわからないかもしれませんね。拡大しておきます。

2人は取ってつけたようには見えません。でしょ?

   

台湾故宮博物院

何の変哲もない記念写真ですが、ここには全員がいます。台湾の人にシャッターを押してもらったわけではありません。これも合成写真なのです。

台湾に駐在していたゼロとか1とかいう某有名複写機会社の大場社長が2008年春には60歳になって定年退職で帰国します。そこで、そうなる前に美味い中華料理を食べさせてもらおうと慰問に出かけました。動機は不純ですが楽しい2泊3日の遠足でした。

故宮博物院は北京の故宮が建物としては立派なのですが、宝物のめぼしいものは蒋介石が日中戦争の最中に台湾まで運んでしまいました。したがって、本土には宝物はありません。

下の写真を見ていただけば、何ををやったかすぐにわかります。

わっはっはっはっはっは!!!宇宙人がいる!