| 牧 田 清 志 |
| よく人の世話をした・・・・・頼まれなくても・・・・・温かい人だった。 |
| よく人をイビッた、イビるのが大好きだった、それも温かさの故だろう。 |
| オヤジ伝来のあわて者で、一生ハヤトチリをしやがった!畜生! |
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三 国 一 朗 |
| 私は小島さんをチャーちゃんとよんだことはありませんでした。 |
| あらゆる点で私たちのレベルをぬきんでた人だったからです。 |
| 私は心から小島さんを尊敬していました。 |
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神 津 善 行 |
| 学生時代に作品を持って門をたたいた。「よし演奏してやろう」と言ってくれた。 |
目茶苦茶になった。小島さんは言った。「音楽は理論だけじゃないよ、それが解らなければ作曲家にはなれないネ」と・・・・・ |
| そして今、僕は作曲家になった。 |
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フォー・コインズ |
| 小島さん。あなたが音楽を愛したやりかたで音楽を愛し・・・・・ |
| あなたが人生を生きたやりかたで人生を生きる・・・・・ |
| それが僕等の祈りなのです。 |
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デューク・エイセス |
| お会いする度に、 |
| いろんな小バナシを聞かせてもらえるのが |
| 大きな楽しみでしたが・・・・・ |
藤 村 有 弘 |
| 永遠の青年であったチャーちゃん、 |
| いつも、いつまでも若さを忘れずにいたチャーちゃん |
| きっと天国でもそうだろう。 |
海老原 啓一郎 |
| 十九の時でした。 |
| 何もなかった僕に粋なゆかたを着せて喜んでくれたチャーちゃん。 |
| 二十年経った今日でも昨日のように憶えていますよ・・・・・ |
| さよならチャーちゃん、胸が一杯です。 |
大 橋 節 夫 |
| 2月2日の私のリサイタルに司会をして下さる筈だった小島さんでした。 |
| 誰よりも大きなショックを受けた私でした。 |
| 偉大な先輩を失いました。 |
伊 藤 素 道 |
| 「オヤジさん」と小島さんの事を呼んで来たのは、 |
| 僕の本当の親父が空爆で死んだからだが、第二のオヤジも・・・・・ |
| 惜しまれる人は早く神に召されるのかな? |
高 浜 哲 郎 |
| 学校はK-Wと違いますが、学生ジャズ界の大先輩であり、 |
| 慶応ライトミュージック・ソサイエティー三田会の名誉会員として色々お世話になりました。 |
| KLMS現役、OBを代表して心から哀悼の意を表します。 |
本 多 俊 夫 |
| 小島さんとアマチュア・バンドを作るという3年越しの計画は |
| ついに実現しませんでした。「俺は管楽器とヴァイオリン、 |
| モンチ!お前ヴァイブをやれ」なんて一人決めしてたのに・・・・・ |