歌とミュージシャンにまつわる話
Story of Songs and Musicians


(354) 旗 照夫 Hash-A-Bye


旗 照夫(1933‐2019)

旗 照夫は昭和28年(1953年)に日比谷高校を卒業し、歌手の道に進みました。わかGが普通部(中学)1年になった年です。

1955年にコロンビアからデビュー盤が発売されました。”Hash-A-Bye”と”Unchained Melody”が入っています。

”Hash-A-Bye”は旗 照夫の生涯の歌となったシグネチャーソングです。われわれの時代のものには忘れられません。

皆さん、沢村美司子とまみの姉妹をご存知でしょうか?姉の美司子は2008年に66歳という若さで亡くなりました。
 

この写真は2003年、もう19年も前のことですが、沢村まみをマヌエラに呼んで、ゲストデーを開催した時の写真です。お姉さんの沢村美司子が応援に来てくれました。”Bei Mir Bist Du Shoen”のDuoです。 


沢村美司子  沢村まみ リトルマヌエラ 2003


中島安敏

姉妹には中島安敏という兄さんが居ます。中島さんは、ピーナッツ、西田佐知子、黛じゅん、山本リンダなどが歌ったポップ歌謡のヒット曲の作曲家です

西麻布にINDIGOがある90年代の後半でした。偶然に中島さんが遊びに来て、オージーサンズのコーラスを聴いてお褒めの言葉に預かりました。「君たちのコーラスは素人じゃない」と・・・。

中島さんは白金台でPAC音楽院という音楽教室を開いていました。中島・沢村兄妹が指導者でした。

また、亡くなった沢村美司子の名を遺すために「沢村美司子賞」という賞を設け、歌手の表彰をしてきました。毎年、開催していた沢村まみのコンサートでは、受賞歌手たちがゲストで呼ばれました。旗 照夫、由起 真、西村 協などが居ました。

2011年の草月ホールでのコンサートには、まみちゃんの希望で、FJSのメンバーがバックコーラスに呼ばれました。


沢村まみコンサート 草月ホール 2011


旗 照夫 Hash-A-Bye

この時、旗さんは”Hash-A-Bye”を歌ったのです。何と旗 照夫の「ハッシャバイ」を初めて生で聴きました。いやー、歴史的な日でした。旗さんは日ごろからトレーニングを積んでいました。それは、「おれ、90まで歌いたいのだ」という事でした。昔、聞こえてきた歌声よりずっとしっかりとした発声になっていました。この時、77歳でした。この頃、旗さんは茨城県の鹿島に住んでいましたが、何年か前までは千葉の木更津でした。サリナ・ジョーンズのショーを木更津の知り合いのホテルで1999年に開催した時、旗さんが聴きに来てくれました。

わかGは、旗さんは90歳まで歌い続けるものだと思い続けていたのです。ところが、2019年12月に敗血症のため86歳で亡くなってしまいました。今、生きていれば88歳、来年の暮には90歳にゴールインだったのに・・・。

(2022/2/20)


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