ジャズとコーラス

(45) The Clark Sisters = The Sentimentalists


Tommy Dorsey Orchestra and The Sentimentalists

ある日、ベースの新井ちゃんが、

「先生、トミー・ドーシー楽団のサニーサイドのアレンジャーは誰だっけ?」

「そりゃ、Sy Oliverだよ」

という会話から、この”On The Sunny Side of The Street”のバージョンでFJS合唱団用のコーラス譜を書くことになりました。

練習の日に「クラーク・シスターズが歌っています」と紹介しました。合唱団のメンバーの寺木さんのご主人はドーシー楽団とシナトラのレコードを聴くのが大好きという古いジャズファンです。そのご主人が「サニーサイドを歌っているのはセンチメンタリスツじゃないか」と言っていますと寺木さんからのメール。

もともとドーシー楽団にはPied Pipersというおいしいコーラスがいました。最初は8人編成でしたが間もなくジョー・スタッフォードを含む4人が残りました。

トミー・ドーシーはセッカチで短気で性格の悪い男だったといいます。1942年に些細なこと、ツアーの最中の話ですが、Pipersの1人がポートランドの駅で「間違った行き先を教えた」で、彼を首にしてしまいました。それがきっかけでPied Pipersはドーシー楽団から総辞職けんか別れをしました。Pied Pipersはジョニー・マーサーのCapitolレコードと契約しました。Capitol初のレコードが”DREAM”です。

Clark Sistersは1939年頃からの姉妹コーラスで、当時のタレント発掘番組Major Bowes Amateur Hourに出場して優勝こそしなかったものの認められてUSO(United Service Organization)ショー番組に数ヶ月出演しました。このグループが. オーディションを受けドーシー楽団に雇われることになりました。ドーシーはコンボ・バンドでThe Sentimentalistsという名前を登録してあったので、彼女達のグループ名をThe Sentimentalistsとしました。

ドーシー楽団には有能なアレンジャーがごろごろいましたが、Sid Cooper、Nelson Riddle、Sy Oliverなどが彼女らのコーラス・アレンジをし、当時有名だったアンドリュースや後のマクガイヤーらのコーラスと違い、際立ってインストルメンタルなコーラスを展開してくれました。彼女たちにはそういう乗りができたということです。

この”CHICAGO”はSy Oliverがアレンジして自分でも彼女らと歌います。

 

もうひとつ、サニーサイドも聴いてみますか?

 

というわけで、Clark SistersとSentimentalistsとは同じグループなのです。1953年までドーシー楽団にいましたが、彼女らの働きに見合うだけドーシーが支払ってくれないので辞めることにしました。ドーシーはThe Sentimentalistsの名前は返せと言ったそうです。その3年後、ドーシーは就寝中にゲブをして戻した食べ物が喉に詰まり窒息死しました。51歳です。

その後、Beauty Shop Beatは1957年に、SING SING SINGは1958年にレコーディングしました。当然のことながらClark Sistersの名前に戻っています。(2012/4/29)

    


 
The Clark Sisters(1958)

ドーシー楽団の前半部分をスキャット風に歌い、転調して1コーラスだけ歌っています。


渡部展至氏の訳詞

広島に在住の合唱団人間の渡部展至さんから送られてきた訳詞です。歌詞が通常歌われるのと違って、随分と弄られています。有難うございます。 

(2022/1/11)


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