ジャズと小噺 Jazz and Topics |
(65) 50年代ポップスとスケート場 |
現在、80の爺さんたちがアイススケートを覚えたのは幼稚舎生の頃からだった。我々がスケートを始めたのは、芝の日活スポーツセンターだった。普通部に進学してからも続いた。授業が終わると、そのままスポーツセンター行だった。タニッチョとサメちゃんとの3人だった。 幼稚舎の2年下の子たちがアイスホッケーを始めて、体育の鍬守先生が彼らを連れてスポーツセンターにやって来た。 私は休憩にトーストを食べるのが好きだった。スポーツセンターのトーストは極上だった。 後楽園にアイスパレスが続いて出来て、こちらにも通うようになった。
スケート場ではバックにポップスが流れていた。普通部3年の終わり頃、仰天の歌がかかった。プレスリーの「ハートブレイク・ホテル」だった。これには驚きの一言だった。 普通部の担任だった遠藤先生は冬休みに赤城山の大沼へスケートをしに連れて行ってくれた。前橋から山の途中まではバスが走っていたが、一杯清水でストップ、あとは歩きだった。ゴム長靴にワラジを括り付け滑り止めにした。当時の赤城山には、猪谷六合雄の旅館があり、峠に向かってリフトが1本だけあった。長細いスキーゲレンデだった。 (2021/10/24) |